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2017年5月17日水曜日

死の教えを心から憶念することはなんという喜び!

一切の生は死という本質にある。
永遠の生命を得たならば怠惰の中になり、
欲望は果てしなく湧き起こる。
無益に一生を費やすことなく、
死の教えを心から憶念することはなんという喜び!
あらゆる財力や権力を幻の王国と見る一方で、
慢心や自尊心、快楽を貪る心や虚栄心を起こすことなく、
それらがどれほど無益かを知る智慧をもち、
出離の意志を貫くことは何という喜び!
いかなる名声であっても、それはすべてはあたかもこだまの響き。
さまざまな言葉で賞賛されるようになるまでのこと。
それは悪い種子が捨てられ非難されるようになるまでのこと。
靜寂の中で、マントラの中でそれを悟ることは何という喜び!
分別という悪しき執著が敵となり、さまざまな心が湧き起こる。
この心の本性を、真の法身を知り、
さまざまな事象を識別し、無作の法身を知るとこは何という喜び!
ユトク・ニンマ・ユンテン・グンポ
「ユトク伝ーチベット医学の教えと伝説」

2017年3月26日日曜日

天地を和合させるのも敵を殺戮するのも梵である

 人々が感知する潜在力の中で、あるものはとりわけ重要である。「梵」は、あたかも虎の威力が全身にみなぎり、皮膚・爪にまで及ぶのに似て、ヴェーダ・祭式・バラモンの中に浸透する。梵はすでに最古のテクストの中で、種々の意味をもって登場し、語形を基とした語源論によって様々に解釈される。今日の辞書の中の說明はあまりにも偏り、一方すぎるか、キリスト教風、ヨーロッパ風に潤色されている。「敬虔な心情の吐露としての祈り」でも、その類でも決してない。この語について今日辿ることのできる最も古い意味は、いうまでもなく、ヴェーダの文句・讃頌・祭祀などに内在する力である。また祭祀中に発現する神秘的勢力であり、さらにヴェーダを知って、祭式執行の資格ありとされたバラモンの所有する神秘的勢力あるいは精力、バラモンとバラモン階級全体も表す。
 しかし、この解釈は、なおこの語の意味の多くを闇の中に残している。供養祭で、供祭僧が唱える祭詞・讃頌は梵である。梵は勢力を担った語であり、大詩聖が已が民族を護りうるような恵みの潜在力である。バラモンたちは神々を梵でみなぎらせ、爽快にし、悦ばせ、その力を増強する。また「呪術的」効果を目的とする祭祀で、施行者は梵を駆使し、梵によって悪人どもを撃滅する。バラモンは、自分たちの本性として、幾世紀にもわたり、自己の優勢を負うこの不思議な実在力=梵によって行動したのである。神々もまた、祭式の場としてふさわしい宇宙で梵を駆使する。インドラは梵によって再び勇気を取り戻し、別の神は梵によって魔神を切り裂く。また、ある神は梵を駆使して天地を和合させる。鏃を鋭くし勝利に導くのも、霊感と情熱を与えて生の力を増大させるのも、敵を殺戮するのも梵である。梵により、雲に隠れた太陽も見つけ出せる。梵は神々の所与であり、また神々の所造ともいわれる。
ジャン・ゴンダ「インド思想史」

2016年11月7日月曜日

真の虚言で一気に危険となる

 永楽庚子春、予、命を受けて日本に使す。東海に泛びて馬島に到り、兵余の地を見、残凶の俗に諭す。一岐に危ぶみ、九州に説び、志河を発して、赤間関に入り、唐島を歴て肥厚を過ぎ、我王の所に至る。乃ち国家馬島に行兵するの翌年の春なれば、島倭、朝鮮の兵船の再来を以謂い、中より浮動して守御を罷めず。
 予の帰くや、標語の代官王に報告す。その武衛・管領・外郞等以謂えらく、「吾が御所、朝鮮使臣の来るを知れば、則ち必ず入見せざらん。我が日本は、憔に琉球船を勾留するのみならず、大明に向かいて隙あり。今また朝鮮使臣を入れざれば、則ち甚だ負荷なり」と。我れを引きて通事魏天の家に入接せしめ、然るのちに王に告ぐ。王、人をして我れに言わしめて曰く、「経および礼物は等持寺に入れ置き、官人は出てて深修庵に在れ」と。猜心益ます深く、我れを待すること至って薄し。その終の吉凶、未だ知るべからざるなり。翌日予、深修庵に帰く。俄にして王の送る所の僧恵供・周頌等来たりて曰く。「昨年の夏、朝鮮、大明と同に日本を伐ちしは何ぞや」と。予いわく「此れ真の虚言なり」と。馬島を討罪するの由を歴陳し、力めてこれを弁ず。二僧予の言を聞きて還り、王に説く。王の惑い乃ち解けたり。後十六日、王、我が殿下の書契を見、後に我をして諸寺に遊覧せしめ、また諸寺をして次々に来賓せしむ。我を待すること特に厚し。予の回還に及び、その書契を修し、その礼物を備え、以ってその慕義和好の心を著わす。

宗 希「老松堂日本行録ー朝鮮使節の見た中世日本ー」

2016年10月18日火曜日

戦争の達成に軍隊が最優先

 マヌ法典は、数多いインド法典中、最も重要な位置を占めている。インドで、ダルマすなわち「法」というのは法律だけでなく、宗教、道徳、習慣の遵守の根拠と認められた。紀元前200年の成立から紀元後200年に現形を整えた。
 【王国の七要素】294  王、大臣、首府、国土、実物、軍隊、及びその友邦は王国の七要素なり。ゆえに王国は七肢を有するものなりと言わる。295  しかしてこの順序に従い、これら七つの王国の構成要素のうちにて、各々先に名を挙げられたるものは、後のものより重要にして、その破壊はより大なる惨禍なることを知るべし。296  しかも苦行者の三杖の如く支えられたる七肢を有する王国において、如何なるものも各々の性質の重要さの点よりは、他より更に重要なるものは一つも存せざるなり。297  されど、それぞれの目的の達成において、各々の部分は他より優位に在り、ある目的がそれによりて達成せらるる時、そはその点において最も重要なるものと宣べらる。

田辺 繁子「マヌの法典」


2016年8月26日金曜日

東洋思想が更に平和

 東洋的な仏教的な考え方の方が、社会を更に平和にし、幸福にすると思います。政治問題にしても、今の社会が不安なのは、自国中心の考え方が各国に強いからで、この点でインドは偉いと思います。ガンジーに次いでネルーの政治思想は。極めて東洋的的で、日本へあっさり賠償放棄を宣言したのは、他の国では見られぬやり方です。
 これを考えると、米ソ共に政治家の考え方はずっと古くて幼稚ではないでしょうか。自国への執着心が強い国は、戦争が絶えないでしょう。軍縮などは、なまぬるい休止期な政治的な考えで、宗教的解決ではありません。ガンジーの無抵抗主義は、軍備された英国すら負かして、インドは平和に独立しました。もしインドが抵抗的革命をとったなら、今日の独立はずっと遅れたでしょう。
 目下フランスはアルジェリア問題で、オランダはインドネシア問題で悩んでいますが、いずれも自己本位の植民地政策をしているからで、そんな立場を、宗教的にあっさり棄て去ったなら、どんなに気が楽になるでしょう。力を盾にしている欧米の政治家の立場は、まだ古くさいのです。
 歯で歯をという形にに、まだこびりついているのです。東洋的解決で政治をたかめようとするインドに将来の希望を感じます。
 平和、平和と口ではとなえてもハンガリアを力ずくで抑えている限り、ロシアは決して信用されないでしょう。あっさり撤兵したら、世界からどんなにか敬念を払われたでしょうに。イギリスがエジプトに力で進駐したのは、その歴史に永遠の汚点を残したではありませんか。そう考えると、韓国の李承晩大統領のやり方、西洋かぶれで少なくとも登用思想を生かしていないと思います。アメリカのような自由な国民が率先として力の力の政治を法規したら、もっと世界を導いてゆけるでしょうに。中国はロシアを真似るべきでなく、もっと登用本家の精神を輝かすべきでありましょう。

柳旨 悦 「随筆集」


2016年6月21日火曜日

非暴力非服従の聖書

 真理は存在さらに実在を意味するが、物の本質を究明すれば、世の中に存在するのはただ真理だけである。すなわち「神は真理である。」というよりも「真理が神である。」のが一層正しい。真理が性格で完全で唯一のものである。我々が肉体の虜である限り真理の実現は不可能である。思考によって永遠の生命のある真理を体得することもできない。そこで結局は信仰に頼るようになる。
 多くの人々が神の名に心を奪われたこと、及び神の援助を求めて筆にしがたい暴挙をあえてしたことである。注意すべきは、唯一の神のみが存在し、その他何物も存在しないこと明らかにすることである。「真理が神」であり神たる真理を見出すために、避けることができないのは暴力否定である。完全なる暴力の否定は生命あるものに対して、全然悪意を持たない事である。暴力の背後には過激なる意図をもち、独断に敵へ悪をなす希望である。
 暴力否定は悪に対して現実の闘争を止めるだけでは成立しない。悪に対抗して結局これを拡大するような復讐よりも、一層積極かつ現実なる暴力否定か必要である。不道徳と戦うため、精神的すなわち道徳的抵抗をする。尖鋭なる刀剣で暴者と衝突するのではなく、相手の物的抵抗の期待を誤らせて、暴者の剣を完全に鈍らせるのである。
 自己に困難を与える人々を広い心で許すべきか、あるいはこれらを打倒すべきか。結局は闘争に執着する人々は永遠の生命のある真理に向かって少しも進めない。これに反して自己に困難を与える人々を広い心で許せば、目的に近づき、指導することにも至る。試みた闘争で求める真理は外部には存在しない。反って真理は自己の内部にある。外部に求めた敵に闘争する間は、内部の敵を忘れるから、暴力に訴えるのでいよいよ真理と遠ざかるのである。
 我々は盗賊に苦しめられるから、盗賊に制裁を加える。盗賊が遠ざかったとすれば、我々が他の人を襲っているからである。一方盗賊は盗みを職業であると考えるから盗難はますます増加する。結局は盗賊に制裁を加えるよりも、広い心で許すのが良いこと気づく。盗賊もまた我々と異ならない人々であり、市民でり、友人でもあり、制裁をしてはならない。盗賊を広い心で許しても、悪には忍従してはならず、卑怯に悪い状態に陥ってはならない。
 欲望が生命のための肉体を創造するのは正当である。欲望がなくなれば、もはや肉体の必要はなく、生死の迷路から解放される。なんの必要があって籠にも比すべき肉体内に欲望を幽閉し、籠を愛するために悪事を働き、また殺人をもあえてするのだろうか。純粋なる真理の見地よりすれば、肉体もまた一つの独占物である。
 負債を精算して重荷を下ろし、義務を果たして自己に奉仕する。自分の力を人類一般に提供するように要請される。単に善人に対してのみならず、我々全部に対する要望である。このような原則を遵守すれば、執着から離れる境地に入り、利己追求の欲望から離れることができる。これが人間と禽獣とか異なる点である。

マハトマ・ガンジー




 

2016年5月23日月曜日

悲惨なボート系難民と陸地系難民

スーチェン・チャン

 政府機関、ボラーグや民間市民達が、やっとベトナム戦争による難民問題が解決されたと思うやいなや、より大規模で多く頻発する悲惨な大量出国が発生した。1978(昭和43)年から到来し始めたさらに混声の難民の第二波は、ベトナムからのボート系難民とカンプチアやラオスからの陸地系難民に分類できる。
 全体的に、彼らは第一波と比較して、より貧困で、より低学歴で、より田舎風で、よりさまざまに異なった民族の市民達であった。ベトナムからの少数派民族の中国人、カンプジアジン、低地帯のラオ族、山岳地帯のモン族とその他の少数民族から構成されていた。カトリック教徒は少なく、仏教徒やアニミズム信奉者が多かった。
 1975(昭和41)年以降の難民の流出の状況は、ベトナム、カンプチア、ラオスにおける新たな事態を反映した。それは30年間の戦争行為の後遺症だけでなく、共産主義政府が権力を持つようになり、何十万からおそらく何百万人に達する健常者であった市民の殺害だけでなく、都市が破壊され、森林がはげ山化して、水源が汚染して、無数の不発の地雷が放置されたからである。直面する経済上と環境上の復興の驚くべき業務があるにも関わらず、新しいベトナムの支配者達は自国からのブルジョア階級の排除を優先した、
 それで真っ先に、その中でも何世紀にもわたり居住していた何千人もの中国人の小規模な商人家族を排斥した。政府は彼らの商売、中国人学校、中国系新聞社を閉鎖して、彼らの財産を没収して、公務員の地位から追放したり、特定の職業への関与を禁止したり、登録を強制し、食料の配給量を減少した。

ベトナムからのボート系難民 過酷な状況下で生活を継続するのは不可能であり不本意なので、中国系ベトナム人はすべての手段を用いて脱国を試みた。中華人民共和国は彼らの約25万人以上を受け入れた。その他の約50万人は、大海に出るのには不適当で貧弱な設備で難民達を過剰に搭載した小さなボートで脱出した。悲惨なボート系難民の約70%は中国系ベトナム人で、世界中の注目を集めた。彼らは水も燃料も尽き、帯の海賊の犠牲になり、たとえ海岸が見えても、隣国のマレーシア、インドネシア、フィリピン、香港の当局がしばしば上陸を阻止した。ある予測で生命の喪失率は50%以上であった。
 
カンプチアからの陸地系難民 大量殺戮のポル・ポト時代には、ほとんどのカンプチア人の行動は厳しく管理されていたので、他と比べると少人数しか脱国できなかった。1977(昭和52)年にタイに入国したわずか約2万人のカンプチア人の難民が再定住を待機したが、その後にまもなくしてからその数は増大した。1979(昭和54)年にベトナム軍により樹立された新政府は、移動の自由をより緩和したので、非常に大勢の難民がタイの国境へたどり着いた。

ラオスからの陸地系難民 ラオスでは共産主義が政権を完全掌握して1年以上にもわたり、モン族を孤立させた。バン・パオ将軍が逃避した時、かれの支持者達はタイに向けて難儀な集団移動を開始して、最終的に約2万5000人が無事にタイに到着した。連峰に撤退したその他の6万500人は、ラオス人の共産主義者はモン族の要塞を取り囲み攻撃するために、投下爆弾、ナパーム弾、毒物を投下した。1979(昭和54)年の末に3000人の難民が、メコン川をわたりタイに入国した。
 低地ラオ族も、数千人がラオス政府より再教育収容所に送還された。国外に退去した低地ラオ族は、タイにおいて他の難民と分離して劣悪収容所に収容され、再定住する資格を剥奪した。本国に戻らないなら、逮捕されて、永久にその収容所を告知した。タイ政府は、彼らを国際的な哀れみの対象とならない経済的難民であると避難した。ラオス全人口の10%に相当する約30万人が流民となった。