2016年7月31日日曜日

正義とは何か

正義(Justice) 

正義とは理性的部分が貪欲な部分、強欲な、貪婪な、そして暴利をむさぼる部分を封じる力である。それは君のものであり、ぼくのものでもある諸問題を、仲裁者のように、あるいは仲裁者によって解決すめように導く。
 貪欲な部分はきわめて狡猾で、最初、判断を誤らせねものだから、反対の術策は慎重な対応策を取ることによってはじめて正義が保たれる。主要な術策は契約である。それは貪婪さがまだ明確な対象をもっていない時、作成された契約である。ある人が二人の相続人の間に次のような分割契約を考え出した。「君が分割をして、ぼくが選ぶか、あるいはぼくが分割して君が選ぶか」。このことは他の術策もあり得ることを示唆している。あらゆる契約を外にして、正義の原則は平等ということである。すなわちあらゆる交換、分割、あるいは支払いにおいて、ぼくは自分の知っているすべての知識を用いて相手の立場に立たねばならないこと、そしてその取り決めが、はたして相手の気に入るはずのものであるかどうか決めなければならない。
  正義の基礎であるこの他者に対する大いなる配慮は、同胞はつねに目的として考えられるべきであって、決して手段として考えててはならない(カント)ということに帰着する。たとえば、給与。それでもって人間らしく暮らしていけるかどうか吟味しなければならない。信心深い女中。はたして彼女に、礼拝に出席する時間、福音書を読む時間、などがあるかどうか考えなければならない。家政婦のこどもたちのこと、などを考えなければならない。これらの例からわかるように、人は仲介者(仲買人、執事、デパート)なしですませばすますほど、正義を為すいっそうの手段をもつのである。

アラン(エミール・オーギュスト・シャルティエ)「アラン 定義集」

2016年7月30日土曜日

竹やり事件「勝利か滅亡か」

「国家家存亡の岐路に立つ事態が、開戦以来二年ニケ月、緒戦の赫々たるわが進行に対する敵の盛り返しにより、勝利か滅亡かの現実とならんとしつつあるのだ。大東亜戦争は太平洋戦争であり、海洋戦である。われら最大の敵は太平洋より来寇しつつあるのだ。海洋戦の攻防は海上においけ決せられることはいうでもない。しかも太平洋の攻防の決戦は日本の本土沿岸において決せられるものではなくして、数千化海里を隔てた基地の争奪をめぐって戦われるのである。本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては最早万事休止である。ラウバルにせよ、ニューギニアにせよ、トラックにせよ、わが本土防衛の重大なる特火たる異議がここにある。
 敵の戦法に対してわれわれの戦法を対抗せしめねばならない。敵が飛行機で攻めに来るのに、竹やりをもっては戦い得ないのだ。問題は戦力の結果である。
 帝国の存亡を決するのは、わが海洋航空兵力の飛躍増強に対するわが戦力の結果如何にかかって存するのではないか。」

 (1944(昭和19)年2月13日毎日新聞朝刊一面の配達後に発禁処分)

   毎日新聞だけが、すべての報道機関から連戦連勝のニュースしか聞かされていない市民に対して、太平洋戦線が米国の進撃で日本が苦況にあることを知らせた。東条英機首相は激怒し廃刊を迫るも、毎日新聞側は守り通した。


2016年7月29日金曜日

神道は元来が政治思想

 「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、宗教的信仰性のものではない。霊性そのものは顕現ではない。これを霊性まで転向させようとする時は、「外来」と言われている思想および情緒に摂食し、これを摂取して自分を育てあげなければならぬ。この矛盾はは「神道」に内在的なものであるから、何かの機会に他の精神的なものと衝突する危険性がある。「神道」では僅かにその萌芽を見る。これを浄土思想など組織的に進展し発展するのに比べると、まだまだと言わねばならない。真の霊性なものはこれからである。 
 鎌倉時代に、日本的霊性のもっている最も深遠なところが発揮せられた。それまでは、日本民族の霊性はちょっと頭をもちあげたにすぎない。鎌倉時代になって、根本から動いてみずから主体性をもつようになった。何か外来の事変に出くわすと、内に蔵せられてきがつかなかったものが、こつ然と首をを動かして事物の表面に出るのである。何か刺激をもたなぬと心の動きが鈍るのは、個人の生活はもとより、集団生活でも実に動揺である。
 鎌倉時代に、それまで長いあいだ外国との交通が途絶えしていたのが、また初められた。平安時代が政治上に崩壊的気勢を示し、文化的に爛熟期をすぎて頽廃期に入ったとき、何かの衝撃が与えられないと、民族精神はいび不振、ついに取り返しのつかぬほど腐敗するのであった。
  そこへ大地の声が、農民を背景とする武家階級から上がって来た。そこへ南宋を圧迫した勢いで、日本の西辺を侵しきたらんとする蒙古民族の猛進が頻繁に伝わってくる。入宋の僧侶たちは新しき大陸の空気を呼吸して帰ってくる。今まで沈黙を守るしかなかった庶民階級の思想と感情が、武家文化ー大地文化ーを通じて聞かれるようになる。何が日本民族の霊性そのものの響きが、この間に鳴りわたらなければならぬのである。果然、武家階級は禅堂に入り、庶民階級は浄土思想を草案した。武家文化は更に公卿文化を統摂することによりて、善精神をして日本人の生活および芸術の中に深く浸透した。一方浄土系思想は日本霊性の直接的顕現として大地に親しむものの中にに結実した。

鈴木 大拙 「日本的霊性」

2016年7月28日木曜日

戦争状態は敵意と破壊

 戦争状態は、敵意と破壊との状態である。それゆえ、言葉と行為によって、感情的性急にではなく冷静沈着に、他の生命を狙うと宣言すると、これによって彼はこのような企画をした相手に対して、彼は戦争状態におかれるのである。何故なら彼は自分の生命を、他人つまりこのような相手方や、あるいはその防御に立ち、その議論の肩を持つ者の力にょって奪われる危険にさらしたからである。私は自分に破壊の脅威を与えるものを破壊する権利が合理的であり、また正当である以上、それをもたざる得ない。基本的自然法によると、ひとは出来る限り生存を維持されなければならないが、もしすべての者の存続は不可能とするならば、罪なきものの安全が何よりも望ましいからである。そしてひとが自分に対して戦いをなしあるいは自分の存在に対して敵意を示した者を破壊してもいいのは、彼が狼や獅子を殺してもいいのと同じ理由によるのである。何故ならこのような人は、理性の普通法の高速の下にあるのではなく、ただ暴力の法則を知るのみであり、したがって猛獣、すなわちもし彼がその手におちれば必ず殺されるにきまっているところの危険有害な動物として取り扱われても仕方がないからである。
 それ故、他の者を自己の絶対権利下におこう試みる者は、これによって自分自身を、そのものと戦争状態におくのである。けだしそれはその者の生命を狙うことの宣言と解されねばならないからである。すなわち、私の同意なしに私を権力下に置こうと欲する者は、もし私を手に入れるならば、その欲するままに私を殺すであろう、結論する理由が私にあるからである。というのは暴力によって私に私の自由権に反することを強制する、すなわち私を奴隷にしようとのではなければ、何人も私を彼の絶対権利の下におこうと欲するはずはないからである。このような力から自由であることが、私の生存を維持するための唯一の保障である。そしてそれを保障している自由を私から奪い去ろうとする者を、私の生存維持の敵とみなすことは、理性の命ずるところである。このようにして私を奴隷にしようと試みる者は、これによって自分を私と戦争状態に置くのである。自然状態において、このような状態にあるものがすべての自由を奪いさろうとするものは必然的に、その他の一切のものを奪い去ろうと試みているのだと想像しないわけにはいかない。その自由はその他の一切のものの基礎であるからである。それはちょうど社会状態において、その社会もしくは国家の人々に属する自由を奪い去ろうとする者は、またその他の一切のものを奪いさろうと企てているものと考られねばならず、したがって彼らは戦争状態にあるものと見なければならないのと同じである。

ジョン・ロック「市民政府論」



2016年7月27日水曜日

平和会議は一大警鐘

 人類の平和は、時代人心の渇仰であるのみならず、実に時勢の傾向として特に世の学者経世家が注目に値すべきものである。しかるに今や、オランダのハーグにおいて第二平和懐疑の開催を見る。吾人の如き平和主義者のためには、実に好箇の武器を提供したるものと言わねばならない。
 あえて平和主義というといえども、もとこれ列国における戦争党の会合ではないか。戦争を商売とする軍人、戦争を摘発する政治家、戦争に裏書する学者とが、燃ゆるが如き敵愾心を抱いて、一堂に会合するのである。戦争に対する痛切なる恐怖のほか、真の平和に対する渇仰に至っては寸毫だも有するものではない。従ってその会合の大仕掛にして壮麗なるにも似ず、人類の平和幸福に対しては、一つ積極的効果を止めずして、会議を終結するの滑稽を見るに至るや、決して怪しむに足らぬ。しかり、当代の権力階級が名をを人道に仮りてする舞踏は、独り平和主義とは言わず、すべて人事百般の施設において同様である。
 いやしくも現代の権力階級が、時勢に動かされ人心の要求に促されて、名を平和主義に仮りたる以上、その実際の如何に係わらず、彼等は必ずやこの会合に於いて、到底除外すべからざる一要素あることを忘却してはならぬ。たとへ心中一種の不快を感ずるとしても、この一要素のためにぜひともその一席を分与せなければならぬ。然らば一要素とは何んであるか。これすなわち真に平和を渇望し、真に平和実現のために努力健闘しつつある労働団体の代表者で、平和会議が、この代表者を有せざる限り、それは幾回の熟議を重ねるとも、遂に滑稽に始まりて滑稽に終わる一場の喜劇に終わるであろう。
 真に一場の滑稽劇にすぎぬ! されど吾人はその内に、神聖なる時勢の暗示を黙会することができる。満潮の如き人心の大渇望を見ることができる。然り、この点よりして平和会議は現代の文明に対して、一大警鐘を打ち鳴らすものといわねばならない。
   おもうに平和はいがいの辺より来るであろう。今日囲碁、世界平和の創造者、人類統一の主体は、決して権力階級でなく、むしろ今日まで戦争の弾丸として使役され来たれり平民階級その人であるに相違ない。ながき犠牲と苦痛の間に、真に平和と協働と博愛とを渇仰する平民階級の手と手が、在来の国際的偏見を超越して、互に温かき握手をなす時、誰か、平和の降臨を否むことが出来ようか。
 吾人は単にこの見地よりしても、まさに開かれんとする、スッツドガルドの万国社会党大会に7、無限の興味と希望を有するものである。観よ、東天は既に紅を呈して、平和の神は、巨人の歩みを挙げたではないか。

田添 生「平民新聞論説集」

2016年7月26日火曜日

長崎原爆で焼身の純女学徒

 信徒1万人の浦上教会は全滅した。軍需工場を狙ったのが、少し北方に偏って天主堂の正面に流れ落ちたのだそうだ。世界大戦争という人類罪悪の償いとして犠牲の祭壇に屠られ、燃やさる羔として選ばれたのではないか。長崎市の純心高等女学校の2年生の増本京子の母は、五島に帰してくれと江角校長に言う。「動員令を受けて軍属になった学徒隊員が、爆弾が怖くなって逃げて帰って、日本はどうなります」。「どうしても連れて帰りたければ退学届を出しなさい」。戦艦武蔵は三菱造船所で建造された。1945(昭和20)年4月26日に大波止港に空襲の爆弾が撃ち込まれた。5月14日定期船の長福丸は爆破され、定期航路は出なくなる。1945(昭和20)年6月20日沖縄戦で軍人10万人、市民15万人が命を奪われた。竹槍が武器となる。6月29日佐世保大空襲、8月1日長崎大空襲となる。愚かしいことに、松ヤニ(松根油)は質が悪く飛行機を飛ばすことはできなかった。アメリカ軍はサイパン島、テニアン島をB29の基地とする。原爆投下方針は、2年以上も前の事であった。隊長ポールチベット大佐の「エノラ・ゲイ号」は、広島に8月6日に原爆を投下した。次に小倉、京都、新潟を選ぶが、京都を除き、長崎となる。落下傘3個が投下され、煙の輪がドーナツのように穴があいて、いったん地上に沈んで跳ね上がって行く。きのこ雲は真夏の太陽を隠して暗くなる。1945(昭和20)年8月9日午前11時2分のことであった。
 太平洋戦争になると、日本全国140以上の都市が爆撃・破壊され、世界史上空前の惨劇となる。火たたき棒とバケツリレーで立ち向かう以外の方法を考えなかった。憲兵隊がカトリック教会の建物撤去を要求した。原爆で江角校長は鉄筋コンクリートの下で、全身しびれて動く事ができぬ。大泉修練長を屋根をこわして穴から引き出し助け出す。敵のまいたビラの文句「日本よい国、花の国、7月8月、灰の国」。それが本当になった。丸裸に近い人が多い。知り合いの人でも見分けがつかない。着ている物がはがれたり、裂けたのは、爆発のあと空気が真空のようになったからである。重い物体まで空中に舞い上がった。8月9日午前0時、ソビエト連邦が満州に侵入してきた。本土決戦は、竹槍、石をはじき飛ばす石弓ではできない。矢上アサエは黒焦の子供に走り寄って調べた。死体は炭のようで、口を両手でこじあけて、わが子の歯型を捜した。134人の生徒を確認するまで焼け跡を掘り返しても死体は見分けがつかなかった。真黒になるほど、蝿がたかり、気味が悪い蛆が這い回る。疲れ果てて学校に帰り着いて、飛び上がるほど驚かされる。広い校庭の中はことごとく死体で、厳しい死臭がその上を渦巻いている。江角校長はすぐ辞職届を書いた。「生きている限りはあの子供たちの供養をします。どこにでも墓参りに行きます。230人の亡き学徒隊は、生きながら焼け死に血を吐きながら逝きました。なすべき事はただ祈ることです」。

高木 俊明「焼身ー長崎原爆の純女学徒の殉難」


2016年7月25日月曜日

十字軍と回教の惨殺と流血

 十字軍は全般的事情につながり、西欧キリスト教世界の指導者が、もはや皇帝ではなくて法王である事を示した。十字軍は、西欧帝国の東方に対する偉大な共同企業なのである。もし一人の世俗的君主のもとに着手されたら、組織的な軍事行動を求めている。十字軍は宗教的な見地から出発した。聖墓を奪還する単純な目的から出発した。
 回教帝国はローマ帝国の廃墟の上に出来た。十字軍の運動の先頭には法王自身が立っていた。法王は不信者に対する征伐を勧説し、「神の思し召しだ」という叫びのもとにすべての者が十字架をとった。宗教的、世論的、教権利的動機の相合が働いていた。
  第一回十字軍はサラセンの国土に向かって殺到した。言語に絶した艱苦ののち、エルサレムを征服し、一つの王国を建設した。宗教的衝動は、一見矛盾するような諸様相の混合物となって現れた。征服された聖都のサラセン住民はおびただしい群をなして惨殺され、聖跡は流血にまみれた。これらの騎士の団体は、次第に背後のヨーロッパに拡がり、おびただしい財産を寄付させられた。十字軍に加入することを一種の名誉とした。
  回教国によって蹂躙される運命にあった。回教国の教主が没落しても宗教的諸侯にすぎないものになると、回教国は事実上の実験を掌握した。十字軍はまさに破滅に陥り、その事態が事実となって起こった。回教国は、滅亡せしめながら勢力を拡大した。
  重なる十字軍ではなんらの成果を収めなかった。善アジアが一体となって十字軍に対抗した。そもそも十字軍は、非計画的な経過をとったがために、その直接目的を達成しなかった。しかし、きわめて重大な意義を有する数々の間接の結果をもたらした。それは西欧全体に耐えることのない強固な統一の意識を与えた。これからひきつづく東方に対する衝動を生み、教会の首長に驚くべき優越性を与えた。
 法王立ちにとっては、エルサレムに対する企てが成功しなかったことは、好都合であった。すなわち法王等は、ヨーロッパをいつまでも法王等の目的のために駆り立てる口実を得た。

レオポルト・フォン・ランケ「世界史概観」

2016年7月24日日曜日

英雄は常識のない動物

  ある人間が虎や熊と戦って見せても、私はその人間を別段に英雄とは見ない。曲馬団が来て、虎や獅子の口を閉口しても、英雄とみないで見世物と思う。喧嘩を見ても、英雄として受け入れない。まして、戦争をして見せた所では、喧嘩よりも一掃悪いものである。英雄と呼ぶのは大人たちの勝手であるが、私にはその英雄はうれしいものでも好ましいものではない。
  英雄は、戦争はおろか、喧嘩もしなかったので、たまに喧嘩しているのは、英雄でもなくただの人間たちであった。そのようにする者を極端に嫌う。植木屋の酒癖の悪い職人が、仲間のおとなしい職人と喧嘩して組み伏せたのを見て、大いに怒って、泣きわめいた。もちろん、組み伏せた職人を英雄だとも何とも思わない。戦争だって同じ事である。
 人間を切り従えたり、人の国を征伐するのが英雄ではない。野の虎でも恐れないのでどんな英雄でも恐れないとは限らない。ことわざの英雄は、赤子の泣くのを黙らせ、無邪気でなくし、多くの人を不安に駆らせ、英雄というものは、野の虎ほども常識のない動物である。
  世間でいう英雄とはゆわゆる植木屋の酒癖の悪い職人のような人間である。私の英雄は決して人を組み伏せてみせたりすることをしない人間である。赤子の泣くのを黙らせるどころか、赤子を黙らせるために大汗を流して、結局失敗して婆やに怒鳴られる位が落ちである英雄であった。
 私が塾にいた頃、十余人の塾生たち一同が歩ていた。年長の塾生が、向こうから来た同じ年頃の二人連れの少年の肩に触れたようだ。その少年はいきなり猛烈な勢いで友達につっ懸ってきた。とっさのことで友達はよろめいたがちっとも相手にせずにそのまま手を引いて行ってしまった。
  まず相手の少年の大胆さに驚かされた。十余人が列をなして歩いているのに、わずか二人きで、突撃を加える勢いは驚かすに十分であった。けれども、今に印象に残っているのは、こずかれた先輩が平然として相手のするがままに任せていた態度であった。多数を頼べは子どもとはいえ十余人いて、中にはかなり喧嘩好きもいるし、二人の少年をやっつける訳もない。平然として、手も足も使わないで、相手が引き下がると同時に、傍らの友達と見合わせて笑ったのである。この笑い顔は、私たち子供同士が常に取り交わしている顔で、別段英雄的の笑い顔ではなかった。
 この友達の笑い顔を思い出すごとに、暴力を軽蔑する気持ちになる。 
 英雄豪傑の類が限りなく尊崇されていることは何時の世にも変わりはないと思うが、私の浸っていた空気は、甚だ英雄豪傑の匂いがしない。国家教育なねものは確立していて、沢山の英雄豪傑のことが、崇拝心をそそるような方法で記載されていた。それにも関わらず、私の頭の中では、国家的ないし世界的英雄豪傑の待遇はみじめであった。多くの英雄豪傑をいろいろのことを聴かされる。しかし聞かされたという記憶すらはっきりとしない。

 長谷川如是閑評論集

2016年7月23日土曜日

国家に役立つ教育

 近代の日本は、あらゆる大国に顕著に見受けられる一つの傾向を最も明瞭に示している。つまり、国家を偉大にすることを教育の至上目的とする傾向である。日本の教育の目的は、感情の訓練を通じて国家を熱愛し、身につけた知識を通じて国家に役立つ市民を作り出すことにある。この二重の目的を追求する際に示された見事な腕前である。
 ペリー提督の小艦隊が到来して以来、日本人は、自己保存が非常に困難な状況に置かれていた。自己保存そのものがけしからと考えるのでないかぎり、彼らがそれに成功した以上、その教育方法も正しかったことになる。しかし、彼らの教育方法は、絶望的な状況にあったからこそ正しかったのであって、どんな国民であれ、差し迫った危機にさらされていない場合はけしからぬものであったろう。 
 神道は、大学の教授さえも疑問をはさむことを許されないもので、そこには「創世記」と同じくらい疑わしい歴史が含まれている。日本の神学上の圧政に比べれば、デイトンの裁判も顔色を失って、瑣末なものになってしまう。これに劣らぬ道徳上の圧政もある。たとえば、国家主義、親孝行、天皇崇拝などは疑いをさしはさんではならないものであり、したがって、さまざまな進歩がおよそ不可能になる。この種のかんじがらめの制度は、唯一の進歩の方法として革命を誘発しかねないという大きな危機をはらんでいる。この危険は、いますぐというわけではないが、現実のものであり、主として教育制度に起因しているのである。
 近代の日本には、古代の中国の欠点とは正反対の欠点が見出される。中国の知識階級があまりにも懐疑主義的で怠惰であったのに対して、日本の教育が生み出した人間は、あまりにも独断的で精力的になるおそれがある。懐疑に黙従することも、独断に黙従することも、教育の生み出すべきものではない。教育が生み出すべきものは、たとい困難ではあっても、知識はある程度獲得できるものであり、知識はある程度獲得できる。知識の誤りは注意と勤勉さにより正すことができる教育である。
 このように、近代の日本には、中国の知識階級があまりにも懐疑的で怠惰であったのに対して、日本の教育が生み出した人間は、あまりにも独断的で精力的になるおそれがある。懐疑に黙従することも、独断に黙従することも、教育の生み出すべきものではない。
独断論者も懐疑論者はともに誤っている。その誤りが世にはびこれば、社会的な災害が引き起こされる。

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル「ラッセル教育論」

2016年7月22日金曜日

自己愛に追従と悪

 自分を大いに愛していると公言する人を世間では大目に見ている。しかし、それからいろいろ困ったことも生じ、自分自身を偏見なく正しく判断できなくなるのは重大だ。自己愛に対して盲目になる。そのために追従者に広い活躍の場が与えられる。自己愛が自分にとりいるための格好な足がかりになる。自分が何を思い欲しているか、自分だけでなく他人までが証人となることを許す。へつわられるのが好きだと非難されている人は、相当に自己愛の強い。自分を好意的な目で見るために、自分にはあらゆる特性を欲したり、現にあると思う。特性があるように欲するのは別に不都合ではない。しかし、現にあると思う方は危険であり、大いに警戒を必要とする。追従者は善を敵にする危険がある。追従者は自分自身をあざむき、何が善で何が悪であるかに気が付かなく、善は放置され、悪はまったく矯正できない。自らは本当大きな過ちは見て見ぬふりをするきずかないふりをするが、小さなうわべのことで何か欠陥を見つけるとえらい勢いて襲いかかる。
 悪は、もし追従者がとくに身分の低い者卑しい者だけにまつわるのであれば、恐れるに足らず容易に警戒できる。しかし、名誉心の強い性格の人、有為の人、穏当な人ほど追従者を受け入れ、ひとたびとりつかれると育てやすい。追従へのへつらいも同じで、その日暮らしの人、無名の人、無能の人にとりつかず、名門の家や重大問題、さらに王国や皇帝にとりついて、つまずかせ倒したりする。追従が友愛を傷つけたり疑念を生じないように探し出すことは小事ではなく、目配りで足りない。
 しらみは臨終の人の体を去っていきます。栄養分の人間の血が死によって途絶えるためである。追従者たちも、乾いたもの、冷えて固くなったものには近づきません。名声や権力のあるところに自分を肥やす。事情が変わるとたちまち姿を消す。
 しかし、そこに至るまで待てない。その経験などは無益というより有害で、危険である。まさに友を必要としている時に、真の友はいない。不確かな友、偽りの人に代えて、良き友、信頼できる友を持てない。友は貨幣と同じで、本物かにせ物を判定するのは手遅れで、必要になる前に、本物かにせ物かを定めるべきである。被害ではじめて気がつくのではなく、被害に合わないように追従者を知り見破るべきである。猛毒な毒薬を知るために一服して、毒薬と知った時には命を落として身を滅ぼす。友人は気持ちのいいものでもなく、立派なな有益だけのものではない。友愛が尊いものなるのは、辛辣や厳しいからでなく、立派さ尊さが心よく慕われやすさである。

プルタルコス「似て非なる友について」

2016年7月21日木曜日

誤った日清戦争

 誤ったのは、十年の西南戦争と、今度の朝鮮征伐さ。しかし10年の時は、まだ善かった。あれで、かなったと言いものもまだ無かったが、今度は、皆がそう言って来るようだ。どちらも勝ったものだから、実にいけない。もとよりドンと言って明らかな事もなし、づるづるだが、どうせ、これでいいと思う高慢が皆いけないのだ。 政府も人民も悪いんだ。人民がそう政府ばかり頼んで責めると言うが、間違いなのだ。わしはもと西洋人が言った七年一変の説を信じているんだ。1877(明治10)年の西南戦争さ。伊藤さんの朝鮮征伐でも、それはただ伊藤の時の結果に過ぎないのだ。
 こないだも、張などがやって来て、「今度は陸軍省の方で、大層と丁重にしてくれた。」と言って喜ぶ。私はひどく癇癪に障ったから、『なに、馬鹿だな』と言って、怒ってやった。戦争をして勝つと、チヤンチヤンだとか何かとか言って、居たたじゃないか。先生方だってその仲間だろう。世界に輝かすとか、何とか言っただろう。それで、今では支那支那という。そんな事で何があてになるものか。
  朝鮮を独立させると言って、天子から立派なお言葉が出たじゃないか。それで、今じゃ、どうしたんだ。日清戦争の勅文が出て、途中でこれを聞いて、びっくりした。決死の徒が6人来た。もし戦わなければ大臣を刺殺すと迫った。その連中は、今では大変閉口しているよ。伍長以下の連中が段々と上のものを脅迫したのさ。
 維新の大業だって、先ず50年さ。どうして、そのように早くできるものか。憲法などというのは、上の奴の圧制を抑えるのために下から言い出したものさ。それを役人等が自分の都合に真似をした杖事さ。 君らだって親仁の野蛮な血が半分残っている。それからまた半分残る。野蛮と文明の間の子だよ。日本人の嫉妬が強いのは、どうしても国が小さいからさ。それに、どの藩でも、家柄が決まっていて、功を立て立て大に出世するという事は無かった習慣だからね。何でも、誰かが仕たのか分からないようにして、人が言えばどぼけてしまうのさ。
  主義だの、道だの言って、ただそればかりだと、極めることしは極嫌いです。道と言っても大道あり、小道もあり、上に上がありばかり、その一つを取って、他を排除するのはということは不断から決してなしません。人が来て、いろいろとやかましく言うばかりと『そう言うこともあろうかな』と言って置いて、争わない。そして後々でよくよく考えて、色々に比較して見ると、上に上がると思って、まことに愉快です。研究というものは、死んで初めて止むものでそれまでは苦学です。一日でも止めると言うことはありません。

勝海舟「海舟座談」



2016年7月20日水曜日

未来に叫び「アンネの日記」

「わたしのパパ、わたしの目から見ても世界一すばらしいパパは、36のときにママと結婚しました。ママはその時25才でした。お姉さんのマルゴーは、1926年に(オットー・フラ
そのあとわたしが、1929年6月12日に生まれました。」(アンネ・フランク)
「ある朝ふとみると、アンネは雨が降りそぼつバルコニーに出て、水たまりの中で嬉々として声を上げていました。私が叱っても一歩たり動かず、ただお話を聞かせてもらうのをまっていました。」(カティ・シュテイゲンバウワー)
「私の周りの世界が崩れてしまった。この現実に直面しなければならない。私にとってとてもつらいことだったが、ドイツは我々の住むべき世界でないと判断し、永遠に去ることにした。」(オットー・フランク)
「わたしたち一家ユダヤ人なので、1933年にドイツを出て、このオランダに移住し、パパはジャムを製造しているオランダ・オペクタの社長になりました。」(アンネ・フランク)
「私たちが一緒にいるところを見られたら二人とも逮捕されるだろう。」(オットー・フランク)
「ドイツに残ったわたしたち一族のほかの人たちは、ヒトラーのユダヤ人弾圧のあおりを直接に受けて不安な生活を送っていました。あちこちでユダヤ人の虐殺が始まると、ふたり(オットー・フランク)のおじさんはアメリカに逃げ、お祖母ちゃんもわたしたちのところに来ました。その時73歳でした。」(アンネ・フランク)
「1945年9月からは、いよいよ急な坂をころげ、おちるように、事態は悪いほうへ向かいました。まず戦争、それから降伏、続いてはドイツ軍の進駐。わたしたちユダヤ人にとって、いよいよほんとうに苦難の時代が始まったのは、この頃からでする。(アンネ・フランク)
「この隠れ屋は、身を隠すには、理想的なところです。床がわずかに傾いていますし、湿気ねひどいですけど、こんな快適な隠れ場所は、アムステルダムじゅう探したって、いえ、オランダしじゅう探したって、ほかにはないでしょう。」(アンネ・フランク)
「いずれにせよ、戦争が終わったなら、とりあえず「隠れ家」という題の本を書きたいと思っています。うまくかけるかどうかわかりませんが、この日記がそのために大きな助けになるでしょう。」(アンネ・フランク)
「私にとってこの劇は人生の一部であり、自分だけでなく妻や子どもたちまでもが舞台で演じられると思っただけで心が傷みます。ですから、とても観にいくことはできません。」(オットー・フランク)
「アンネの書いたものによって、あなたが今後の人生を通じて、できる範囲でいいですから、平和と和合のために努力してくださればと祈ります。」(オットー・フランク)

アンネ・フランク・ハウス





2016年7月19日火曜日

宗教紛争とスラム

  1960年代後半に始まった各国・各宗教の内部的な変動は、1970年代の半ばの石油危機に伴う「近代」的システムの世界的な機能不全と共に、一気に表面化し過激化するのである。こうした経過の典型的なパターンは、第2次世界大戦後に新たに独立を果たしたイスラエル圏産油国の「近代化」過程において見られる。このパターンは、西欧から「近代化」を借りてきた外部からそれを推進しなければならなかった大半の国においては、程度の差はあれ一般的に見られる現象でもある。
 欧米を模範にして工業化と市場化を強引に推し進めてきた国は、周辺農村から労働力を吸収して都市化を加速させる。60年代の終わり頃から整備の遅れた都市周辺部および都市内部の隠れた隙間に、移住した労働者の「スラム」が形成され始める。この有形無形の「スラム」の住民は、基本的に保守的な宗教的道徳観を多分に保有し、特にイスラム圏では未だ封建的な経済システムに馴染んでいる階層であった。
 最初、工業化と市場化が順調に進展していると思われた間は、彼らの有する反近代的要素も、そして様々な宗教的対立・反目も弱いものか或いは陰に隠れていた。しかし下地の全くない俄作りの工業化の市場競争の弱さが露呈して、財政破綻をきたし政権基盤が崩壊してゆくにつれ、政権維持に躍起となり強権によって保身を図る。政権側の独裁と腐敗に対して、貧窮と服従を強いられる「スラム」住民の、特にだぶついて職につけないでいる青年層の、不満が昂じていき、やがて政権と住民との間の政治的亀裂が口を開き始める。政権の正当性とカリスマ性に対して、その「近代化」の理想やスローガンに対して、疑問が投げ掛けるようになる。民族独立は理想主義から悲観主義の分水嶺を越える。
 「近代」の作用によって生み出された普遍的に蔓延する精神的混乱が、その「近代」のイデオロギーによっては救われないことを、宗教関係者は直感していた。その間、政権に利用されるか政治のへの関与を拘束されていた宗教勢力、特にイスラム教指導者は、西欧的「近代化」という「世俗的」社会変革そのものに異議を唱える。そうした混乱を逆に「社会の基礎を聖書に見出す世界の再構築へと変貌させ」、スラム住民の宗教的道徳観の凝集と運動へ方向づける。

田路 慧「人間と現代」





2016年7月18日月曜日

原子爆弾と毒ガスの大量虐殺

   1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、B29二機が広島上空を通過、突然、ピカッと大閃光を発し、大混乱である。岡山放送局を呼び出し、その第一報は、「特殊爆弾により、広島市は全焼死者17万人の損害」と伝えた。大本営は「相当の被害」のみの発表であった。7日、トルーマン大統領の声明で原子爆弾であると報告された。もし天候が悪かったら、小倉に投下されていたかもしれない。前夜は、宇部市が長時間にわたって空襲を受けた。第二部隊には老兵が続々入隊し、9日にはソ連が満州になだれこむ。一方日本では9日の11時20分に、二つ目の原爆が長崎に落とされた。広島は一望千里の焼野原になる。地形に突出や起伏が多い長崎では、死亡7万3884人で、被害が広島より少なかった。その時の奇妙な臭いは硫黄に似ている。
 広島の警報が解除されていたその時は、ほとんどの人が外に出ていた瞬間であった。瓦礫の山になる。水が科学反応によって毒性化した。日本では被害者の科学的な調査は全然行われない。日本政府は、ソ連に和平の仲介を頼み込んだが、米英に筒抜けになっていた。原爆により、広島全市は火の海と化し、却火は炎炎と夜空を焦がし続け、3日以上燃えた。余害は1週間にも及んだ。文字通り「死の街」であり「原子砂漠」となってしまった。

 アウシュビッツで、ドイツ国家権力の最高機関によって、計画され運営された大量殺人が起こった。4年間で400万人以上の人間を毒ガス焼却炉の中で殺した。その強制収容所は、戦争の始まる前に作られていた。ドイツ軍はポーランドに侵入したが、その抵抗は3週間で終わった。英仏はまるっきり動かずポーランドを見殺しにした。ワルシャワは、ヒトラーが地上から抹殺すると宣言し。破壊し尽くした街である。100万人の人口が1万4000人まで減っていた。
 当時ヒトラーは、ワルシャワにはユダヤ人の住居は存在せずと言い放っている。ユダヤ人はことごとく強制収容所に送られた。ナチの教義は全ユダヤ人の絶滅にあった。3月の間に130万人以上の人間を粛清した。アウシュビッツは奴隷の収容所であり、ビルケナウは膨大な人間絶滅工場であった。
 貨車から追い出され親衛隊の手でより分けられ、「選抜」に漏れた者は死の行列を作ってガス・カンマーに追いやられた。地下の脱衣場で、消毒のために入浴すると言われ、裸で200人ほど部屋に入る。部屋にぎっしり押し込まれ、錠が降ろされ、毒ガス「チクロンB」のエンジンが動き出す。30分経つと汚した死体を洗い、24人の歯科医が金歯や宝石を取る。ソ連軍の急迫で、その当時のまま残る。アウシュビッツは博物館となり、殺人された人々の骨は河の中に今も沈んでいる。ヒトラーは最後まで、ユダヤ人は人間の皮を来た獣であって人間ではないと言っていた。

黒田 秀俊「広島・アウシュビッツ」 



2016年7月17日日曜日

日本沈没からの脱出

 兵員輸送船である富士丸は、徳之島の東方でアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没する。将兵4600名中で約37100名が死者となった。県庁職員の家族206名を鹿児島に疎開さす。2回目、巡洋艦「長良」から「小包トドイタ」と電文によって連絡される。その後、天草洋上で沈没する。本土への海は、すでにアメリカ潜水艦の棲みつく海になっていた。
 1944(昭和19)年8月21日午後7時に出港する。船員120名と学童700名を含む1680名の疎開者である。船体に高々とそびえる梯子があるも、乗るのに揺れて危険だった。甲板に這い上がった者の顔から血の色が失われた。比嘉儀一は梯子が1つしかない船倉に閉じ込められるより、甲板上の方が危険が少ないと判断していた。母は教師で「中に入りなさい」と、誤って海に落ちることを恐れて甲板上に出ることを禁じた。一等運転手から緊急時の避難方法の訓辞を受ける。
 船が不意に之の字運動を続ける。異様な音響が起こり、得たいの知れぬざわめきが、体を包む。弟の手を取って甲板上に駆けた。船がかなり傾いている。内部からすさまじい叫び声が吹き上がっている。梯子を登ろうとする人々が争って、登りかけた者の体を他の者が引きずり降ろし、つかみ合う。2発目の魚雷が命中、水柱が高く上がる。数名の女子学童がしがみついて来た。異様な恐怖を感じる。3発目が命中する。折り重なって倒れた。「飛び込め」という叫び声が上がる。4発目の炸裂音がして、船は中央から裂けた。気がついて海面を見ると、救命衣を付けた死体ばかりで、死者の海と化している。50m前方に激しく動く人の群を見た。竹を組み合わせて作った筏であった。目を怒らせた人々の体で固く包まれている。木箱を押して、潮流に身をまかせて、ヒロシと弟の名を呼んだ。「はい」という声がした。片腕で竹を抱いて顔を突っ伏している。奇跡だ。竹の仮救命筏を組み合わせて這い上がる。筏上は10人近い人になる。船員が、筏を分けて欲しい。助けを仰ごうかと思うと言う。「弟を連れて行って下さい」と船員に言う。ふかにより老人が下半身を食べられ、海中に引きこまれてゆく。黒い体に、板切れを振り続けた。飛魚をむさぼり食った中年の女性の呼吸が止まる。海中に滑り落とす。最後には4人しか残っていなかった。掃海艇に救い上げられる。
 めざす陸地は鹿児島だ。乗客者1680名中、生存者は107名、学童700名のうち59名しか生き残っていない。母と妹の名前はなかった。祖母の家に行く。沖縄が玉砕した2か月後に終戦となる。アメリカ軍から沖縄へ疎開者を送還する指令が出た。島は赤茶けて知らぬ島になっていた。艦から降りると、DDTの粉末を吹き付けられた。背後に人の気配がした。叔父の子である。テントの集落に住んでいた。沖縄本島南端の摩文仁は死者の骨でおおわれていた。死者の骨のみが棲む場所である。

吉村 昭「脱出」

2016年7月16日土曜日

自己防衛と平和友好関係

 今も昔も、国々が戦争をはじめ、たがいに攻撃するようになる、その原因はいろいろあるが、よく研究してみると、帝王または将軍、宰相といった連中の、功名を好み武威を喜ぶという感情、これがいつもわざわいのきっかけとなる。
 だから、すべての国々がみな、民主制をとるのでなければ、戦争をやめることは、とうてい望むことはできない。この点を考慮せず、当時の各国の現実情勢には少しも注意を払わないで、ただ昔ながらの制度を踏襲するだけで、あまり改革を加えようともせず、もっぱら条約や同盟といった枝葉末節だけをたのみとして平和を実現しようと考えている。あにはからんや、帝王、将軍、宰相といった連中は、ただおたがいの力の強弱だけを比べて、むこうが強くてこちらが弱ければ、仕方なく一時的に講和し、条約を結んでひと息つこうと試みるが、いったん国が富み兵は強くなったあかつきには、たとい千枚の条約があったところで、彼らの不逞の欲望を妨げることはできない。
 さまざまな国際法を道徳のなかに入れて、法律のなかに入れようともしなかった。およそ法律というものは、それを司り施行する役人というものが必ずおり、しかもそれを犯すものがあれば、必ず懲罰する。そうでなければ、真の法律はとうていできない。道徳は守ろうと守るまいと、ただ人々の良心の問題にすぎない。国際法も、施行にたずさわる役所もなく、懲罰をつかさどる役人もいない。
 帝王や宰相が功名を立てるために、わずかなことを口実にして武器を振り始める。民主国では、理法、平等、博愛という感情の3点を社会の基礎にしている。他国に勝とうと思うのは、ただ学問の精密さ、経済の豊かさこの2点だけである。君主国は有形の腕力によって隣国に勝とうし、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとしつ、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとする。
 地球上の多くの君主国は、君主制を守って、禍を招こうとしている。地球上の強固は、わたがいに恐れあって、兵隊をやしない、軍艦ををならべて、かえって危険におちいっている。もろもろの弱国は、自発的に断固として兵隊を撤退して、軍艦を解散して、平安を選ぶ。自国の生命を守るために、ひたすら自己防衛して、警官の来るのを待つのがなりよりである。良策とは、世界のどの国とも平和友好関係を深め、万やむを得ない場合になっても、あくまで防衛戦略をとり、遠く軍隊を出征させる労苦や費用を避けて、人民の重荷を軽くするように尽力することである。

中江 兆民「三酔人経倫問答」


 

2016年7月15日金曜日

勇気は一種の野蛮性・野獣性

  蜜蜂の群れは蜜房をつくるために相群がるのではなく、本能的に群衆性があるために集まって蜜房をつくる。人間もはるかに強く、本能的に相集まって、ともに巧緻な行動と思弁をあらわす。従ってひろく人間を守る精神、人類協同の精神に成立する徳が、認識による追求に伴なわなければ、認識も孤行して無効に帰するほかはない。精神の勇気も人間の間の協同と結合を失っては、一種の野蛮性・野獣性にすぎない。結局、認識への努力は人類の社会的むすびつきと協同の下風に立つことになる。
 人間は他人の助けがなければ、自然に要求されるものを手に入れ実現することができないので、生活の必然性に迫られて他人と協同し結合する。反対にもし我々の生存と生活に必要なものが伝説の魔法の杖のように供給されるなら、優れた天賦の人はみなあらゆる仕事を放棄して認識と知識に没頭するであろうというのは誤っている。やはり孤独をのがれて研究の仲間を求め、互いに教え互いに習い、聞いたり聞かれたりを望むに違いない。従って人間の社会的な結合を守って力があるすべての義務は、当然単に認識と知識に由来する義務よりも上位に置かれる。
 当然に問題も起こされるであろう。本性に最も深く根ざす共同性は、節度や謹慎に対してさえいつも優越するとは思われない。世の中には、賢人なら、たとえ祖国を救うためにも行うのを潔しとしないほど、一面では醜悪、他面において罪悪的なことがらがあるからである。あまりにもいまわしく見苦しいものがあって、口にもできないほど醜悪だといえる。賢人は国家のために取り上げられることはなく、国家もそれを望まない。これらの醜いことが賢人によって行われることが国家の利益である事態はありえないからである。
 結局、いろいろな義務からの選択において、かの人間の社会的結合に根ざす種類の義務が優越するのは間違いがない。道徳的な義務の選択に際して、いずれを他に対して優越させるべきかは容易に判定できるからである。しかし社会的共同体自体に関してもその義務の段階があり、段階のあることを知れば、義務のいずれを他に先立てるべきかも知ることができる。例えば、第一の義務は不死の神々に、第二は祖国に、第三は祖先など段階的に義務が尽くされるに至る。
 常に人間は、それが道徳的に高貴か、醜悪かにまどうだけでなく、高貴さのうちいずれはが高貴かについても迷うことがわかる。


マルクス・トゥッリウス・キケロ「義務について」(最後の著作)


2016年7月14日木曜日

私の終戦前の証言

血と飢のフィリピン戦線
日赤出身の従軍看護婦は軍人と同様「赤紙」を受けて各戦線に出征していった。1944(昭和19)年ルソン島を敗走して、約6万2千人のうち4万9千人が戦死する。1945(昭和20)年頃になると、爆撃により病院もたたんで、山の方へ撤退していった。病気はチフス、アメーバ赤痢、マラリア、結核である。1945(昭和20)年5月には内地からの補給は途絶えた。薬もなく、治る見込みのない人には使わず、死体を裸にして使えるものは全部取る。深く掘った穴の中に5人一緒に埋めてしまう。誰かが死んだら、その軍服を下さいと予約する人もある。しまいには死体は道端にごろごろ転がっていた。最後の時には、昇汞錠を飲むことになっていた。投降し収容所に入る時、持ち物は汚いと火の中に燃やされる。シラミが湧いていた。

義烈空挺隊の最期
 長谷川道明は、新婚4か月で沖縄に出撃する。ボロボロの飛行機で胴体着陸し、手榴弾で合計26機の米軍機が破壊された。7万ガロンのガソリンが炎上し、特攻死した。
ひめゆり部隊と鉄血皇隊
  1945(昭和20)年4月1日、沖縄にアメリカ軍が上陸する。戦死者は米軍1万2千人、日本軍は10万人、一般市民の犠牲は軍隊を上回る15万人に達する。本土決戦の防波堤の役割を果たす教育は、前々から叩き込まれた。マイクで住民に危害を加えないから出てこいと投降の勧告をする。結局アメリカ軍の捕虜になった。

特攻戦発動
 「震洋」は、ベニア板製のボートに自動車のエンジンを搭載し、爆薬を積んで目標に体当たりするというものである。自殺艇と名づけていた。日本本土決戦こそ、ベニア板製の大きな戦場となるはずであった。
爆弾から貨幣まで
 太平洋戦争に入ると、日本は金属材料の途を閉ざされ、生産は低下した。1942(昭和17)年、銅像、梵鐘など根こそぎ供出を命じ、ついにお金まで回収され、さらに目をつけたのが瀬戸物で硬貨を作れということになった。かつては第一次世界大戦にドイツが発行していた。
 佐賀の有田焼は、秀吉が朝鮮より陶工の李参平をつれ帰り、開かせた。一銭陶貨を、月に一億個の指令が下りた。軌道にのった頃に終戦となる。京都で十銭陶貨、瀬戸で五銭陶貨の出産は日の目を見なかった。胸磁器で毒ガス弾、手榴弾、地雷を作り、それを研究するのに二年かかった。特許庁の呼び出しに、金がないから行かれぬ。特許庁の呼び出しに、金がないから行かれぬ。特許庁から佐賀県知事に手紙で「知らんですむか」と知事から五十円もらう。手紙が行き、旗を持ち東京に行く。参謀本部、軍令部でもお金をもらい、合計7万5千円となる。よその者には金は出させんと、有田で資本を作る。地雷を約50万個、手榴弾を1000万個作る。追撃砲の無撃砲針雷管は、実験したら一番成績が良かったので月300万個作れと命令される。
実らなかった海外終戦工作
 太平洋戦争の指導者には、冷静客観的な判断力と勇気がなかった。緒戦の勝利に酔った軍は、鼻息ばかり荒くなり、沖縄失陥という土壇場になっても本土決戦を呼号し、軍のメンツを優先した。

原爆・ヒロシマ証言
 1945(昭和20)年8月6日、8時15分、エノラ・ゲイ号が広島市大手町の島病院の上空570mで、原子爆弾を落とす。20万人死亡する。建物5500戸全焼、6800戸が全壊した。

ポツダム宣言秘話
 ポツダム宣言を、最初にキャッチしたのは外務省のラジオ室であった。天皇については触れず、戦犯について強調する。戦後処理の座長格のドゥーマンは、奈良県山中中学校を卒業後に、アメリカの大学を出た人であった。天皇制廃止となれば軍を降伏させる方法はなく、日本は内乱となり、予定通り九州上陸して来たと思われる。

ソ連ついに参戦す
 1945(昭和20)年8月9日、ソ連参戦が日本の止めの一撃となる。長崎にも二発目の原爆が落とされ、来るべきものが来たと感じた。佐藤尚武ソ連大使は1945(昭和20)年5月に日本に帰っていた。



 

2016年7月13日水曜日

あべこべ文化の相違に反抗

   欧州人は顔に刀傷があることは醜いこととされている。日本人の間では、戦場で敵から顔などに受けると名誉とされ、背後に切られると卑怯、恥辱とされる。
 欧州人は苦しみをやわげるために髪を刈りまたは頭を剃る。日本人は悲しみや喪、恩寵を失ったために頭を剃る。
 欧州人の剣の利鈍を材木や動物で試される。日本人は死体の身体で剣を試みる。
 欧州人は20歳の男子でも、ほとんど剣を帯びることはない。日本人の武士は元服すれば刀と脇差を帯びて歩く。
 欧州人は生児の健康のために乱刺して血液を採る。日本人は血液は採らないが火の塊で焼く。
 欧州人は罪の償いと救霊を得るために修道会に入る。日本人は逸楽と休養の中に暮らし、労苦から逃れるために教団に入る。
 欧州人は清貧の誓いを立て世俗の富貴から遠ざかる。日本人では檀家を食い物にしてあらゆる手段を講じて自ら富み栄えることを計る。
 欧州人は良き修道士は地位や名声の上がることを非常に嫌い畏れる。日本人は昇進には莫大な金銭がかかり、誰もが死ぬほどそれを求める。
 欧州人の修道士は常に平和を念願し、戦争は甚大な苦痛である。日本人では戦争を仕事とし、戦闘に赴くために領主に雇われる。
 欧州人の修道士は心の純粋と清浄を得るために最も務める。日本人では住院や庭、寺院はきわめて清浄にするが、霊魂について忌まわしい。
 欧州人は来世の栄光と却罰、霊魂の不滅を信じている。禅ではこれらをすべて否定し、生まれることと死ぬ以外は何もないとしている。
 欧州人は唯一デウス、唯一の信仰、唯一の洗礼、唯一のカトリック教会を唱導する。日本人は、十三のし宗派があり、すべてが礼拝と尊崇は一致していない。
 欧州人は説教壇で説教をおこなう。日本人は大学教授のように椅子に着いて説教を行う。
 欧州人は主人が死ぬと泣きながら墓まで送って埋葬する。日本人ではその腹を裂き、多数の者が指先を切り取り屍を焼く火の中に投げ込む。
 欧州人は完全に武装具を着けなければ戦いに赴かない。日本人は首に首当を着けただけで十分である。
 欧州人は自殺を最も思い罪としている。日本人は戦争の際に力尽きた時は、腹を切ることが、勇敢なこととされる。
 欧州人は死刑執行人になることは最大の屈辱である。日本人はどの人も死刑を執行し、自らの誇りとしている。
 欧州人は食欲がないと無理にでも食べさせる。日本人はそれを残酷と考え、食欲のない病人は死ぬにまかせている。
 欧州人は財産を失い家を焼くことに大きな悲しみを表す。日本人はすべてのことに関して表面上はきわめて軽く過ごす。
 欧州人は、人に正当な理由こがあり身を守るためなら、他人を殺しても人の生命は助かる、日本人では、他人を殺すと死ななければならないが、姿を表さないなら他人が代わりに殺される。
 欧州人は召使や従者の懲戒は鞭打ちで行う。日本人では首を切ることが、懲戒ともなる。
 欧州人は怒りの感情を大いに表し、短慮を抑制しない。日本人は特異の方法で抑え、中庸、思慮をする。

ルイス・フロイス 「ヨーロッパ文化と日本文化」


 
 

2016年7月12日火曜日

死は好奇心の事柄ではない

  死の問題は単なる好奇心の事柄ではない。自己の存在そのものの不安に動かされることなき好奇心は人間の主なる病気のひとつに過ぎない。「この無益なる好奇心にあるよりは、誤謬のうちにあることがむしろ彼には無害である」いかにも好奇心は我々においてひとつの不安を喚び起こすものであるが、この不安は好奇心が我々をあたかも自己の生の地盤から奪い去って終わることなき放浪に追遣るところに生まれる。あるいは生の根本的規定そのものでさえある不安とは明確に区別さるべきである。好奇心はひとつの虚栄に外ならぬ。ひとは最もしばしばただ何事かについて他に語らんがためにのみその事をちろうと欲する。
 しかし。死は人間の根本的規定によって必然的にされた問題である。それはパスカルが伝統的な神学から単に承けて来たものではなかった。なぜなら彼は彼の議論をすべて「彼すべてからの心臓において吟味する」ことをしたからである。それは彼に退却と譲歩の余裕もなく襲い来る問題であった。
 死について問うことは論理的には何らの必然性をもたぬであろう。私は死の必然性を演繹し得る如何なる論理も知らない。むしろ死はその前にはあらゆる論理的演繹も歩みを止めねばならなぬ単純なる事実、それに面してはあらゆる論理的明証も揺り動かされる残酷な現実である。論理の美しき水晶宮に安らう者にとっては、死を尋ねることは狂気でなく気紛れに過ぎないであろう。ひたすらに斉合的なる体型を欲する人々にとっては、死を論ずることはたかだか「均斉のために盲窓を作る」こと以外の意味をもたないであろう。
 しかしながら人間の存在が最も問わるべき存在であるのを知る者には死は退引ならぬ問題である。哲学が生の覚醒と振盪であることを理解する人々には死は最も考慮されるべき事件である。我々の存在に関するすべての問と反省はあたかも自然の重力に引きずられておのずからこの一点に集まって来る。この必然性を解釈するためには、何よりも人間的存在の基本的規定を考察せねばならない。そしてこのように死の問題が重要な位置を占めるところに存在論がいわゆる心理学から区別されるひとつの特質は見出されるであろう。

三木 清 「パスカルにおける人間の研究」

2016年7月11日月曜日

思想が生涯の眼目

 早くも私はいかなる了見にも一面の真理があって、それがますます人を迷わせて了見を発作的に固執されるのだと悟った。この洞察は私の生涯が進んで行くに従ってますます著しくなって来た。その後は2人の人が私の目の前で真理について争う場合には、私はその真理を正に双方から知った。だから、私は決して好んで一方に味方するようなことはしなかった。しかも、それが私にとって幸福だった。
 私の内的生命の形成に同様な決定的影響を及ぼした一つの苦い経験があった。キリスト教を身に付け、キリストを生活に実現し、イエスに私没することが既成の協会宗教によってますます繰り返し要求された。これらの要求は、父の教育上の熱心さや生活上の熱心さのために幾度となく示された。
 その要求が児童の心情にしっくりする場合には、児童は全く制止することも知らずに要求を全体として受け入れた。認識もすればまた完全にそれを果たそうとする。この要求が度々繰り返されたので、私はこれをとても大切なことと思った。
 しかし、それを果たすことは大きな困難であり、実に全く不可能であると思われた。私はこのように信じた矛盾ははなはだしく、私を圧迫した。そこにやっと喜ばしい考えが浮かんだ。人間の本性そのものは本来人間をしてイエスの生活を再び純粋に生活しかつ実現することを不可能にするものではない。かえって人間はもしそれへの正しい道を歩むなら、純粋なイエスの生活を獲得できると考えた。
 これを思うたびに私の少年時代の境遇と事情とは帰属するような気がする。この思想はほぼこの時代の終わり頃のものだったろう。従ってこの時代の内的発展の叙述の終結としてもいい。この思想が後に私の生涯の眼目になったのである。

フリードリヒ・フレーベル「フレーベル自伝」



2016年7月10日日曜日

精神の完全な無力化

  人間自身と同じように、社会生活もそれの世界なしにはすまされない。それの世界の上を汝の現存がおおうている。利潤への意志、権力への意志は、人間自身への意志と結びつき、これに支えられているかぎり、自然で正しい結果を生む。人間の衝動は、汝から分離しない限り、悪い衝動ではない。汝と結び、汝によって決定される衝動は、社会生活の原形質である。
 これに対して、汝からの分離は社会生活の解体となる。利潤への意志の領域たる経済、および権力への意志の領域たる国家とは、精神に参与する限り、生命に参与する。しかるに、もし経済や国家が、精神を放棄するならば、彼らの生命も終わりとなるであろう。その生命がつきてしまうまでには、むろん相当の時間がかかる。そのしばらくの時間を思い誤って、なお幻影を追い求めようともがくが、すでにその作用は渦を巻いている。
 事実、ここに至っては少しぐらいの直接的な力を導入しても無益である。経済機構や国家組織の膨大な力を多少ゆるめてみたところで、汝と呼びかける至上の精神が失われている事実を埋め合わせるわけにはゆかない。どのような改革を試みても、一時的な周辺的な逃れでは、生きた中心との関係を回復させることはできない。
 人間の社会生活は、その機構のすみずみに至るまでゆたかな汝との関係の力が浸透することによって、生命をもち、精神の中にこの関係の力を集中結合することによって、社会の具体的な形体を生み出すのである。この精神に忠実に従う政治家や経済人は、自己と関わり合う民衆を無造作に汝の担い手として取り扱うならば、彼らの事業を無駄にしてしまうことをよく知っている。
 しかし、それにもかかわらず、むろん無造作に行うのではなく、精神が彼らにぎりぎりの限界においてではあるにせよ、かかわり合う民衆を、汝の担い手として取り扱うのである。かくして汝から分離した社会機構を破壊するかもしれない狂気を、汝の現存の支配のもとにおさめることに成功する。こういった政治家や経済人は熱狂家ではない。
 国家が経済を支配しようと、あるいは、経済が国家に権威を与えようと、両者とりたたて変化がないならば、それは重大な事柄ではない。しかし国家の制度が以前よりさらに自由になり、経済が一掃公正となるならば、重大な問題であろう。社会生活の解体とともに、社会生活から無関係な一領域となれば、むろん精神が社会生活に生きることはあり得なくなるだろう。これは、その世界に転落してしまった諸領域が、まったく暴政にまかされてしまい、しかも精神が完全に無力化されてしまうことを意味する。

マルティン・ブーバー 「我と汝・対話」

2016年7月9日土曜日

憲兵隊に惨殺された征服の事実

   各種族は共通起源も失って、各々違った言語や風習や宗教を持つようになり、全く異なった種族を形づくってしまった。互いに接触するごとに、衝突となり戦争となって、残酷な敵同士となった。攻撃と防御の発明の有力な刺激となった。戦争の勝敗は今も昔も、個人の勇敢という事よりも、むしろ武器の器械的優劣によるものである。野心深い首長らは、互いに攻略を競い始めた。
 種族闘争は、他の種族の征服からである。勝利を占めて征服者となり、他の種族は被征服者に陥る。密接な接触をするが、到底同化する事ができず、両極に分かれる。征服者は常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法で奴隷化する。被征服者は、仕方なしに服従しながらも、暴力以外の一切を認めない。互いに敵視し反感する社会の両極を形作る。
 不平等は、地位の不平等以上に、全く異なる種族は異なる言語や神を崇拝している。異なる風俗と習慣と制度を持っている。被征服種族は、それらを失うよりは、むしろ退治し尽くされる事を望んでいる。征服種族は、絶対的軽蔑をほしいままにしている。征服者が本当に被征服者を征服するための社会の諸制度が生まれた。
 征服者は、絶えず兵力を用いる困難と費用および部分的失敗が一大負担となった。一時は勝利の誇りに駆られて、権威に対する反逆者を、見つかり次第に厳罰に処した。犯される行為を圧伏するための一般的規則を設けた。甚だ経済的なので、広い範囲の行為にも、一般的規則を設けた。この法律に服する事が被征服者の義務であり、違反にならない行為が権利とした。
 同時に、征服者による教育が行われた。地位の不平等を維持するため、被征服者は劣等種族である観念を心中に増え付けねばならない。疑惑を挟めば、社会の安寧と秩序に大きな混乱を生じる。国民教育の起源にして基礎たる組織的に詐欺手段が行われた。種族の譲歩をさせ、空虚な誇りと諦めに陥り、両種族の間に皮相的詐欺を進めていく。
 この征服の事実は、過去と現在から未来の人類社会の根本的事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事も正当に理解できない。征服とそれに対する反抗を触れないで、日常生活まで圧迫してくる事実を忘却させ諦めさす組織的詐欺の有力なる手段である。

大杉 栄 「大杉栄評論集」


 
 

2016年7月8日金曜日

滅亡前に戦争をやめる

  サイパン陥落により、東条英機はその責任者として辞職に追い込まれた。天皇の意見も考慮せよとの事であった。東条の政策を批判した逓信院工務局長の松前重義は、熊本6師団から2等兵の招集令状が出て、最も危険な前線に送られる。憎まれる原因は「戦時日本製産計画」により米国に比較して生産力が劣っていると報告したからだ。一徹の頑固者は、熊本(肥後もっこす)、薩摩(けすいぼ)、土佐(いごっそ)、伊予(ほっこまい)と呼ぶ。
 松前が44歳の時、徴兵年齢が満45才に引き上げられる。東条は自分に反対する者を軍の権力を持って召集し、死地に追いやる。通信関係の技術者は重要人物として召集免除になっていたが、松前は2等兵になり、竹塚軍曹に上靴で頬を殴られる。松前は、古い電話器で雑音が多いのを、分解しすみやかに直す。古参兵の態度はかなり変わってくる。2年9か月政権を担当した東条政府は、独裁態勢によって崩壊した。
 1944(昭和19)年8月5日夜陰に出発する。松前薬局の前で小休息する。通知があったとみえて茶菓の接待を受け、兄が薬の入った袋をくれる。兄顕義は後に日本有数の柔道家になる。重義は、熊本の学習院の優等生になり「長大」と仇名が付いた。中学卒業の時、柔道は3段の実力がある。東北帝国大学の電気工学科を受験し、280人中で合格者の2人に入る。卒業して逓信省に入る。妻の信子は、鹿児島市の医師森三木の次女である。博多に着いて、停車7分あると電話しているうちに列車は発車している。山口課長に門司まで、木炭車で送ってもらい、危うく重営倉を免れる。工兵隊に入営する時に、勲三等旭日章を首に下げてゆくと、下士官が驚く。勲三等を吊れるのは連隊長、旅団長クラスしかいない。
 若松より淡路島の輸送船で南方に赴く。「積荷は全て爆薬です。東支那海でお陀仏」と言われる。松前の田中隊のみ乗船を命じられる。東条一派の松前を海の底に葬ろうと仕組まれた死刑である。他の吉田丸と福嶺丸が沈没した。看護婦や兵士が一瞬にして消えた。高雄に入港し、浦戸丸に乗り換える。淡路丸は大爆発する。電気の修理により、松前先生となる。そばにいると彼らは気強いのであろう。マニラに上陸し、寺前南方総軍司令官に「総司令部付、ただし平服着用を許可する」という辞令を作ってもらえる。サイゴンに移動後に「陸軍兵器学校に転属を命ず。直ちに空路東京に期間すべし」飛行機の車輪の事故の故障で遅れ一命を助かる。運の強い男である。東条一派の分子も鳴りをひそめる。
 近衛は女性的で優柔不断で「近衛文子嬢」である。広田は決断力がないので「雌」である。平沼棋一郎は「朝鮮のミイラ」である。東条は裏切り和平論者を一掃すれば戦力も増強できると考える。土壇場になった憲兵出身者はこれが思考方法であった。中野正剛の国政変乱罪には逮捕の物証がない。立法権の弾圧になる相手は、国会議員である。中野は憲兵隊で造言蜚語の件を自白したと言い、家に帰り「自らを笑う」と遺書を残し、何も言わず死んだ。松前の次男紀男が疫痢になり危篤、電話連絡し鈴木医師にみてもらうと、急性肺炎で助かる。無装荷ケーブル通信の成功のおかげである。
 1933(昭和8)年に松前は逓信省からドイツ留学、ヨーロッパ視察の命令を受けた。松前と筑原は、無装荷方式で新京ー京城ー東京をケーブルで結ぶ。満州に行くと匪賊の目標となる。完成し、明瞭な通話ができる。東北帝国大学は工学博士の学位を贈ってくる。浅野賞1000円で、キリスト教のため300坪の望星学塾を作る。無装荷ケーブルの発明で。毎日新聞から「大毎通信賞」を受賞する。
 敗戦後に逓信院総裁に就任する。松前は、東海大学を設立後に、公職追放解除となり、5年後に晴れて学長・理事長になる。東京野球場を造る。1952(昭和27)年より、6回代議士に当選する。FM東海放送の電波利用の通信教育を完成される。附属高校も北海道から九州まで各地にできる。柔道の山下泰裕選手を日本選手権保持者に育て上げる。兄も脳腫瘍で76才で逝去し、講道館は得に重義に9段を贈った。
 東条内閣の発表する軍需製産計画は、現実から遊離した空念仏にすぎない。滅亡する前に戦争をやめるべきであった。

  豊田穰「二等兵は死なず」

2016年7月7日木曜日

ニーチェの戦争実施4要項

  戦いとなると、本性上は戦闘的である。攻撃することは私の本能の一つである。敵となりうること、敵であること、強い天性を前提とする。すべての強い天性の所有者に起こることである。天性は抵抗するものを必要とする、抵抗するものを求める。攻撃的な感情が強さに必然的に伴うものであることは、復讐や遺恨の感情が弱さに伴うのと同様である。復讐心が強いのは弱さに由来して、他人の苦しみに感じやすいのが弱さに基いている。

 攻撃する者の力の強さを測定するには、どのような敵を必要としているかが一種の尺度となる。ひとの成長度を知るには、どれほど強力な敵対者を、どれほどの手ごわい問題を、求めているかを見ればよい。戦闘的な者は、問題に対しても決闘を挑むのである。めざすことは、抵抗するものに勝ちさえすればいいのでなく、自らの力と敏活さと武技の全量あげて戦わなければならない相手すなわち自分と対等の相手に打ち勝つことである。
 敵と対等であることは誠実な決闘の第一前提である。相手を軽視している場合、戦いということはありえない。相手に命令をくだし、いくぶんでも見下している場合には、戦うに及ばない。
 私においては戦争を実施する要項は、4箇条に要約できる。
第一に、勝ち誇こっている事柄だけを攻撃するあるいは勝ち誇るようになるまで待つ。
第二に、同盟者がみつからない事柄、孤立し、危険にさらされる事柄だけを攻撃する。
第三に、決して個人を攻撃しない、強力な拡大鏡のように害悪を利用するだけである。
第四に、個人的不和の影は帯びず、いやな背後の因縁が全くない対象だけを攻撃する。
 攻撃することは、私においては好意の表示であり、あるいは感謝の表示と思い込む。私においては、名のある事柄や人物の名に関わらせることによって、それらに敬意を表し、顕彰すると思い込む。私においては、それらに味方してか、それらに敵対してか、どちらも同じことだ。私においては、キリスト教に戦いを挑むが、その資格を許すのは、キリスト教の側から何の危害も障害も受けていないからである。最もまじめなキリスト教徒は、私にいつも好意をよせていた。私自身においても、キリスト教の苛烈な敵であるが、何千年来の宿命であるものを、個人に対して根にもつなどということは、思いにもよらぬことである。

 フリードリヒ・ニーチェ「このひとを見よ」

2016年7月5日火曜日

汚名「九大生体解剖事件」の真相

 1940(昭和20)年5月17日、熊本県小國村の上空でB29編隊の後尾を日本の戦闘機が攻撃し、パラシュートで米兵が脱走した。1人は自殺し、1人は松の木にかかり死亡した。そのうちの1人は大群衆の中にさらされた。アメリカ留学した坂本獣医は捕虜をかばう。暴行を加える団長の猟犬が先導して射撃する。生存者5名の捕虜が西部軍司令部へ護送された。捕虜は裏の拘禁所に留置される。ワトキンズ機長だけ東京へ贈り、残りの4名は合法的処置が必要と思われた。上海では東京無差別爆撃を行った者は、戦時特別重罪人として、3名が死刑、無期懲役が5名となった。3月27日、福岡太刀飛行場がB29に襲われ、小学生32名が死亡する。
 2人の高級将校には、実験のため片肺摘出手術をすると話し合う。ポキポキと肋骨が5・6本切り取られるた。片方の肺臓が摘出された。「人間は片肺でも生きられる」と説明している。手術台の上に2人目の捕虜にエーテルの全身麻酔を充分にかけている。紫紅色の薄汚れた海綿体のような肺が取り出される。透明な輸血が血液の代用剤として実験敵に使用されて、軍医による抜血で生命を奪われた屍体が乗っている。血液が取られ、南京虫に殺虫剤と血液を一緒にして食べさせた。3人目の捕虜には、エーテル麻酔がかけられる。ウィリアム・アール・フレドリック少尉は、胃の手術のために胸骨の先端からヘソまで一直線に開腹され、ボギボギと音をさせて肋骨の何本かが切除される。心臓を停止して5分間心臓マッサージをし、蘇生できるか実験する。4人目の捕虜は肝臓の手術をする。腹膜が開かれ、胆のうが開かれ、胆のうのそばの大きいのが肝臓で、血の塊であり、メスを入れるが縫合はできない。その一分を切除しようとしていたが、血圧が下がる。その日も血液を撮り瓶に入れる。棺桶に入れられて2、3日間実習室に放置されていた。
 海軍大将の肩書を持つ百武源吾が九大総長に就任して以来、軍の配下に置かれる。5月25日、1人の捕虜が連行され実習台の上にのぼる。頭部の3分2が剃毛されて、頭蓋骨が糸鋸で口字型に開かれて、顔面神経痛の手術が行われた。切開の箇所が違って、出血多量で致命傷となって息を引き取る。6月2日、股に切開の傷、他2人は胸と下腹部にも傷があった。戦争の飛散と愚劣により8名の捕虜が死んだ。大森軍医は30代半ばの豪放崩落な人物であった。外科医の手術は等しく認める。なぜ吸血鬼に化したか謎である。6月19日、大森軍医は西部司令部の門前で右大腿部に焼夷弾が命中する。一夜にして福岡市の7割が焼けた朝、九大に運ばれ、右足切断となった。7月9日、20日間余り苦痛にさいなまれて、桃太郎さんを口ずさみ息絶えた。6月20日、B29搭乗員8人が処刑される。8月15日、油山で17人処刑される。
 1945(昭和20)年8月15日、日本は無条件降伏し、戦死者204万人、民間人110万人、空襲による死亡20万人、被災都市96、消失家屋143万戸であった。ワトキンズ機長は8月17日に釈放されていることが大本営より判明した。敗戦と同時に隠ぺい工作の指揮の乗り出した。関係書類は一括消去する。民間人の骨をもらい、福岡空襲で爆死と16名を市内の陸軍墓地に埋葬する。8名が広島の原爆で死亡、31名が飛行機墜落、全員が死亡と工作する。1946(昭和21)年7月12日連合軍から九大教授8名に逮捕命令が出る。石村教授はベルトで首を吊って死んだ。鬼才と呼ばる存在であった。
 54歳の小間使いの証言では、2つの遺体の首が切断され、腹は六寸決断されていた。肝臓の人食の探索がされる。「九大生体解剖事件」をいやがうえにも猟奇的な残虐行為として、人々を驚かせた事件であった。肝臓を食べた点を大見出しにあつかう。西部軍の偕行社病院の宴会で肝臓料理が出た事実がある。醤油で煮てあった豚の肝臓の方が人間よりも薄い色をしていたらしく、味では区別つかなかった。1948(昭和23)年8月27日判決された。絞首刑は西部軍の元司令官 横山勇、参謀大佐 加藤直吉、九大関係では高須太郎、広岡健三、森岡良雄が終身刑、森田健治、千田加孝、平光教授が重労働25年の刑を受ける。平光教授が巣鴨の拘置所を出たのは1955年11月27日でも約9年6か月の獄中生活であった。B29搭乗員を生体実験で殺害したのは中央からの指示で「適宜の処置」を部下が誤解したことから生じた。

東野 利夫



2016年7月4日月曜日

西田哲学-権力的倫理の悪

   純粋な他律的倫理、すなわち権力的倫理について述べる。我々が道徳的善は、一面において自己の快楽あるいは満足というごとき人生の要求と趣とは異なり、厳粛な命令の意味をする。道徳は吾に対して絶大なる威厳あるいは勢力を有する者の命令より起こる。我々が道徳の法則に従うのは、自己の権害や得失のためではなく、単に此の絶大なる権力者の命令に従うのである。
     善と悪とはこの如き権力者の命令によって定まる。すべて我々の道徳的判断の基は、教師の教訓、法律、習慣等によって養成される。かかる倫理が起こるのも無理はない。良心の命令に代えて外界の権威による。
  外界の権力者と考えられる者は、もちろん我々に対して、絶大の威厳と勢力をもたなければならない。権力的倫理が歴史上に現れたのは、君主を基にとした君権的権力の倫理と、神を基にした神権的権力の倫理がある。神権的倫理は、キリスト教あるいはイスラム教が無上の勢力をもっていた中世時代に行われた。神は我々に対して無限の勢力を有するので、神意はまったく自由である。神が善または理なるがゆえに命ずるのではなく、神が命ずるものが善なるのである。極端に至ると、もし神が我々に殺害を命じたなら、殺害をも善と至る。
 君主的倫理を主張したのは近代に出たホッブスである。人性は全く悪であって弱肉強食が自然の状態である。これによる人生の不幸を脱するのには、各々がすべての権力を一人の君主に託して絶対にその命令に服従する。なんでも君主の命令に従うのが善であり、背くのが悪である。その他中国では荀子がすべて先王の道に従うのが善であるのも、一種の権力的倫理である。
 権力的倫理はなぜ我々は善をなすべきか説明ができず、本来は説明できないのが権力的倫理である。唯一に権威であるからこれに従うのである。人は恐怖が権威に従うための最適な動機である。我々は、何でも絶大なる勢力を有する者に接する時は、その絶大なる勢力に驚嘆する。これは恐怖や苦痛でもなく、外界の雄大なる事物にかもにされて、平服し没入する。その絶大なる勢力者が意志を持つと、その命令に尊敬の念を持って服従するようになる。尊敬の念が、権威に従う動機に至る。
 我々が尊敬するのは、全く理由もない尊敬ではなく、不可能な理想を実現する可能性のために尊敬する。厳密なる権力的倫理は道徳は盲目的な服従となる。無意義の恐怖が権力的倫理が最も適当な道徳的動機と考えてとまう。人間が進歩発展するには、一日も早くその道徳の束縛を脱せなければならない。

西田 幾太郎 「善の研究」

2016年7月3日日曜日

闘争の概念

 行為が、単数あるいは複数の相手の抵抗を排して自分の意志を貫徹しようという意図へ向けられているような社会的関係は、「闘争」と呼ばれる。現実の物理的暴力行為を内容とせぬ闘争手段は「平和的」闘争手段と呼ばれる。平和的闘争が、他の人々も同様に得ようとする利益に対して自己の支配権を確立しようとする平和的形式の努力であれば。これは「競争」と呼ばれる。競争の目的および手段が或る秩序に従っている場合は、「ルールのある競争」と呼ばれる。諸個人や類型の間で生存或いは残存のチャンスをめぐって行われる、闘争的意図という意味を欠いた潜在的な生存競争は「淘汰」と呼ばれる。個人の一生におけるチャンスが問題であれば、「社会的淘汰」と呼ばれ、遺伝的素質の残存のチャンスが問題であれば「生物的淘汰」と呼ばれる。
 相手の生命を狙って、何一つ闘争のルールを守らぬ残虐な闘争があるかと思えば、騎士たちの闘争、交換における利益をめぐって市場の秩序に競争的闘争がある。それらの間には無数の段階がある。暴力的闘争の特有の手段の性質を考え、その使用から生ずる社会学的結果の特殊性から考えれば、暴力的闘争を概念的に区別することは当然のことである。
 すべて類型的かつ大量的に行われている闘争や競争では、いろいろの決定的な偶然とか運命があるにしろ、結局、平均的に見て、闘争の勝利に不可欠な個人的性質を多くもつ人間が選び出される結果に落ち着くものである。その性質は、闘争や競争の条件によって決定される決定される。社会的淘汰は、経験的な意味で闘争の排除排除を阻止し、生物学的淘汰は、原理的な意味で闘争の排除を阻止する。
 社会的淘汰は、諸関係の間の淘汰や闘争というのは、時間の経過に伴って、ある行為が他の行為によって駆逐される。戦争や革命によって国家を、残酷な弾圧によって反乱を、警察によって蓄妾を、法的保護の停止や処罰によって暴力的取引を妨害する。社会的行為の過程と各種条件とから、意外な副次的結果が生まれ、存続や成立のチャンスが減ることもある。これらの原因は多様なので、一つの言葉で表現すると、どうしても、経験的研究の中へ勝手な評価を持ち込む危険が生まれる。理論的に弁明するという危険が生まれる。

マックス・ウェーバー 「社会学の概念」

2016年7月2日土曜日

宇宙は無限で火刑

  令名いと高き騎士殿。もしも私めが、小作を生業として羊を飼い菜園を耕し衣服の繕いに精出す身でありましたならば、私に目もとめるなど誰一人ございますまい。まず咎めだてされることもなく、すべの方々のお気に召すこともたやすくできるでしょう。
 しかるに私は自然の野の設計者として、魂の飼育をこととし、能才の栽培を目指し、知性の衣を織る熟練工なのです。それ故に、人々は威嚇の眼差しを私に送り、ある者は凝視して飛びかかろうとし、あるものは来り捕らえて咬みつきくらい殺そうとするのです。それは一人、いや少人数の者にかぎらず、大勢の、むしろほとんどすべての人々がそうだと言ってもよろしい。
 それは何故かと申しますと、私が世間を忌み俗流を嫌って、大衆に満足しえずに、ただ一者のみを愛するがためです。それによって私は、隷属の身ながらも自由でうあり、苦しみのうちに悦びを見出し、貧しながら富み、死にながら生きてあることができるのです。それ故にまた私は、自由でありながら奴隷となり、快楽のうちに苦しみを抱き、富ながら貧しく、生きながら死してある者たちになんの羨望をも感じないのです。
 彼らは肉体のうちにこれを囚縛する鎖を、精神のうちにこれを沈倫させる地獄を、魂のうちにこれをむしばむ病を、心のうちにこれを死に至らしめる昏睡を、秘めている。しかも、鎖を解き放つ勇気も、浮き上がるだけの忍耐力も、照射一層する光輝も、蘇生すべき知識も持ちあわせていないのです。
 だからこそ私は、困憊して、険しい歩みから踵を返すようなこともせず、怠け者のように、目の前の仕事も放棄するようなこともせず、絶望のあまり、立ち向かう敵に背を向けたり、眩惑して、神々しい目標から目をそむけたりしないのです。こういう自分がソフィストだと噂を立てられることは、私も感づいております。
 誠実であるよりも鋭さをひけらす学者だとか、古い真理を確認するよりも新しい誤謬の闇をまきちらして名声の光を追いまわす鳥追い人だとか、正しい訓練所を打ち壊していかさま装置を作り出す変質者だとか。
 私の努力がこの世に役立つ立派な実を結んで、光を仰ぎ見ることのできなかった人々の精神を揺り起こし、感情の花咲かせますように。自分のために勝利を手に入れたいためではありません。真実の知恵への愛、真の瞑想への憧れのためであり、そのために私はかくも心を砕き傷め苦悶しているのです。
 生き生きとした理性にもとづき、統制ある感覚から生じるもので、真の死者として自然の主体存在から離脱してやってくる偽りならぬ形象によって通告するものであります。これを求め注視するものに現われ開示され、これを理解するものに解明されるものんのです。ここに無限、宇宙および無数の諸世界に関する私の瞑想を捧げるゆえんです。

ジョルダーノ・ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」



 

リヴァイアサン (Leviathan)

 全人類の一般的性向として、つぎからつぎへ力をもとめ、死によってのみ消滅する。永久不断の意欲をあげる。これらの原因は、かならずしもつねに、人がすでにえたよりも強度の歓喜をのぞむということではなく、またかれが適当な力に満足できないということでもなくて、かれが現在もっているところの、よく生きるための力と手段を、確保しうるには、それをさらにそれ以上獲得しなければならないからである。そしてここから、つぎのことが生ずる。すなわち、最大の力の所有者たる王は、国内では法により、国外では戦争によって、それを確保すべく努力し、それがなしとげられると、あたらしい意欲がそれにつづくのである。ある王は、あたらしい征服による名誉を、他の王は、安楽と肉感的なたのしみを、また他の王は、ある芸術やその他の精神の能力がすぐれているとしょうさんされへつらわれることを、欲するのである。
 平和の原因にたいする無知よって、人々は、すべての事件を、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてを、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてであるからである。そして、ここからつぎのことが生じる。すなわち、あらゆるところで、公共体への支払いをなげく人々は、かれらの怒を、収税者、すなわち微税請負人や徴収に人、およびその他の公収入役人にたいして注ぎ、そして、公共体統治の欠点をさがすような人々につきしたがう。さらに、こうして、正当とされる可能性のないことをしたばあいには、罰せられることのおそれや、寛恕をうけることのはずかしさのたるに、至上権威をも攻撃するのである。
 社会状態のそとには、つねに各人対各人にの戦争が存在する。人々が威圧しておく共通の力なしに、生活していねーる時代には、かれらは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、かかる戦争は、戦闘や闘争行為のみに存するのではなく、戦闘によってあらわそうとする意志が十分にしられている期間に、存する。そして、したがって、時間の概念は、戦争の本質に関しては、不良な天候の本質は、ひと降りふた降りの雨にあるのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく、戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、その反対にむかうなんの保証もないときの全期間における、それへのあきらかな志向に存するのである。その他のすべての期間は、平和である。
 人々を平和にむかわせる諸情念は、死の恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意欲であり、かれらの勤労によってそれらを獲得する希望である。そして、理性は、平和にかんする、つごうのよい諸条件を示唆し、人々はそれについて協定するようにみちびかれる。これらの諸条件は自然の諸法とよばれるものである。
 正義および不正という名辞が、その地位をもちうるためには、そのまえにそこになんらかの強制力があって、人々が新約破棄から期待する利益よりも大きな罰により、かれらに平等にに信約履行を強制しなければならず、かつまた、人々が相互の契約によって、かれらが放棄する普遍的権利のかわりに獲得する、所有権を、維持しなければならない。そのようなような力は共和政体(Common Wealth)の樹立以前には存在しないのである。そして、このことは正義についてのスコラ学派の通常定義からも推察されうる。かれらのいうところでは、正義は各人に各自のものをあたえようとする不断の意志である。したがって、各自のものがないばあい、すなわち所有権がない場合には、不正義は存在しない。また強制力が樹立されていないところでは、すなわち共和政体がないところでは、所有権は存在しない。すべての人々は、すべての物にたいして権利を有するのだからである。そこで、共和政体がないところでは、なにごとも不正ではない。このようにして、正義の本質は、有効な信約をまもるところに存するが、信約の有効性は、人々をしてそれをまもらせるのに十分な、社会的権力の設立によってはじまり、それと同時にに所有権もまた、はじまるのである。
 わたしは、人間の性質を、かれらの統治者のおおきな力といっしょに、のべてきた。神は、リヴァイアサン (Leviathan: ヨブ記第41章)の大きな力をのべて、かれを高慢の王とよんでいる。地上においてかれと比較されるべきものもない、かれはおそれをもたすようにつくられている。かれはすべてのたかいものをみくだし、あらゆる高慢の子たちの王である。

トマス・ホッブス


 

2016年7月1日金曜日

敵になるという事

 敵になるといふは、我が身を敵になり替へて思ふべきという所也。世中をみるに、ぬすみなどして家の内へと取り籠るやうなるものをも。敵をつよく思いなすもの也。敵になりておもへば、世中の人を皆相手とし、にげこみて、せんかたなき心なり。取籠るものは雉子也、打果しに入る人は鷹也。能々工夫あるべし。大ききなる兵法にしても、敵をいへば、つよく思ひて、大事にかくもの也。よき人数を持ち、兵法の道理を能く知り、敵に勝つという所をよくうけては、気遣すべき道にあらず。一分の兵法も、敵になりておもうべし。兵法よく心得て、道理とよく、其道達者なるものにあいては、必ずまくると思う也。能々吟味すべし。
 崩れという事は、物毎ある物也。其家のくづる々、身のくづる々、敵のくづる々事も、時のあたりて、拍子ちがいになりてくづるる所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々拍子を得て、其間をぬかさぬやうに追ひたつる事肝要也。くずる々所のいきをぬかしては、たてかへす所あるべし。又一分の兵法にも、戦ふ内に、敵の拍子ちがいてくづれめのつくもの也。其のほどを油断すれば、又たちかえり、新敷なりて、はかゆかざる所なり、其くづれめにつき、敵のかほたてなをさざるやうに、慥に追ひかかる所肝要也。追縣くるは直につよき敵也。滝たてかへさざるやうに打ちはなす也。打ちはなふ事、能々分別有るべし。はなれざればしだる心有り。工夫すべきもの也。
 打つという事、あたるといふ事、二つ也。打つという心は、いずれの打にても、思ひ受けて慥かに打つ也。あたるはゆきあたるほどの心にて、何と強くあたり、忽ち敵の死ぬるほどにしても、是はあたる也。打つといふは、心得て打つ所也。吟味すべし。敵の手にても足にても、あたるとうことは、先づあたる也。あたるはさわるほどの心、能くならひ得ては、格別の事也。工夫すべし。

宮本 武蔵 「五輪書」