2017年9月30日土曜日

不死であって永遠に生きると死を軽んじむしろ喜んで自ら死に赴く有様であった。

 これらの気の毒な人々は、自分達がそのまま不死であって、永遠に生きるものであるということを語りあっていて、従って彼等は死を軽んじ彼等のうち多くの者はむしろ喜んで自ら死に赴くものさえあるような有様であったから。そこへ彼等の最も尊敬する立法者が、彼等に向かってこういう見解を述べた。すなわち彼等が改宗するや否や、換言すればギリシアの神々を否認し、かの十字架にかけられたソフィストの礼拝を承認して、その訓えに従って生活するようになれば、それでもう彼等はすべて兄弟になったのであると。— 教え、それを彼等は誠実と信頼をもって、何の吟味も確証も経ることなしに、採り入れたのである。そこでもしその場合の事情を狡猾に利用することを心得ている熟練した詐欺師が彼等の間に入ったなら、彼はまたたくまに富者となって、これらの単純な馬鹿どもを心中秘かに嘲ることが出来たことだろう。

フリードリヒ・エンゲルス「原始基督教史」

2017年9月29日金曜日

彼らが善であると思って求めていたものが、実際には悪であっただけのことではないか。

メノン: 悪しきものが有益であると信じてそれを欲する人もあるし、害をなすと知ってそうする人もいるでしょう。
ソクラテス: いったいその場合、悪しきものが為になると信じている人々は、その悪しきものが悪しきものであるということを知っていると思えるかね ?
メノン: その点になると、そうは思えません。
ソクラテス: すると明らかに、その人たちは、悪しきものを欲しているのではないということになりはしないか。悪しきものであることを知らないのだから。むしろ、彼らが善であると思って求めていたものが、実際には悪であっただけのことではないか。したがって、それと知らずに善きものだと思っている人たちは、明らかに善きものを欲しているのだということになる。そうではないかね。

プラトン「メノン」

2017年9月28日木曜日

人が自然において見るところのおのれは死である。死を見ることによって人は生を自覚する。

 外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つものに水の恵みを与えるということはない。人は自然の脅威と戦いつつ、砂漠の宝玉なる草地や泉を求めて歩かねばならない。そこで草地や泉は人間の団体の間の争いとなる。すなわち人は生きるためには他の人間の脅威とも戦わねばならなぬ。ここにおいて砂漠的人間は砂漠的なる特殊の構造を持つことになる。人と世界との統一的なるかかわりがここではあくまでも対抗的・戦闘的関係として存する。人が自然において見るところのおのれは死である。死を見ることによって人は生を自覚する。すべての「生産」は人の側にあり、従って外なる自然の生産を「恵み」として持ち望むことはできぬ。草地と泉と井戸とを自然より戦い取ることによって人は家畜を繁殖させる。「埋め、殖やせ」が死に対する生の戦いである。

和辻哲郎「風土ー人間的考察ー」

2017年9月27日水曜日

悪業を離れることのできぬ悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがある。

 善事をなすものは善人、悪業を離れることのできぬものは悪人である。しかしまた悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがあり、善人には善事を頼むということもあろう。そこに善人には自力の限界を知らざる限り、本願他力に帰するということがないという迂遠さがある。けれども悪人は大悲の願心をきいて直下に身心に応えるものがあるであろう。まことに深重の本願である。
 それ故に自力作善の人は、弥陀の本願の正機ではなく、他力をたのみてたてまつる悪人は、最も往生の正因を身につけしものである。

唯円「歎異抄


2017年9月24日日曜日

現象が「本来」如何なる性状は、『受納性』の経験ではなくて、思惟、理性であろう。

 一連の精神状態は、啓示の出現そのものという歴史的事実を疑うか、或いは啓示の内容の信じるに足るべきや否やを疑うことによって、『啓示』の真理性を疑い始める。啓示は、何等、知の源泉ではなくして、知の源泉は経験と思惟のみだというのである。
 しかしながら、『その背後』に存在するものについて我々に知識を与え、且つまた我にとりしかじか現象するものが「本来」如何なる性状のものであるかを知らしめるものは、純粋な受容すなわち『受納性』の意味での経験ではなくて、思惟、理性であろうと考えるに至る。
 そこで人は純粋理性を地盤として、世界の由来、神、不死の霊魂について思惟し語るのである。人はいう、それはそうあらねばならぬ、それを人は観照という特別な『直感力』能力によって『観る』のである。
 ただ遺憾なのはその際観る人がそれぞれちがったものを観ていることである。なおまた遺憾なことには、このいわゆる観照なるものには、願望や希望が全く顕著に混ずることである。しかも、観照に説得力が欠けているのはいうまでもない。
ハンス・ドゥリーシュ「形而上学」

2017年9月23日土曜日

かれは死というものは、その後に永劫不滅が従うのであるから、嘆くにはあたらぬと考えている。

 かれは死というものは、その後に永劫不滅が従うのであるから、嘆くにはあたらぬと考えている。実際、そこにはなにか死ぬという知覚が、たとえそれが、特に老人においてはつかのまのことであろうと、存在し得るであろう、がしかし死後には、そこにのぞましい知覚があるか、それとも全くないかである。だがこういうことは、われわれが死に無頓着にならんがため、若きときから須く熟考しておかなくてはならない。そういう熟慮反省がなくてはだれも落ち着いた心境にあることはできなぬ。なぜなら死ぬということは定まっている。しかもそれが今日という今日でないと定まっていない。であるから、死がいまにもおしよせてくるようにおじ恐れていたのでは、誰が心のなかでじっとしておられようぞ。この問題については、さほどながたらしい議論には及ばないとおもう。

 マルクス・トゥッリウス・キケロ (第20章)「老境について」

2017年9月21日木曜日

世界征服者が戦捷の行軍の日、領土の境界から貢をまぬがれている民をして貢せしめる。

 古い時代の世界征服者が、戦捷の行軍の急速のある一日、その領土の境界を一層詳しくたしかめ、貢をまぬがれている民をして貢せしめたり、或いは砂漠にあって摩下の騎兵隊の打ちかち難しい困難を知り、自分の威力の一つの制限をしらそうと欲するでもあろうように、吾々の時代の世界征服者である自然科学が、その祝宴の機会に祭し、日頃の仕事を休んで、領土の真の限界を一度はっきり画取ろうと試みることも妥当を欠いた企画ではないであろう。かくいうのは、現在自然認識の限界について二つの誤謬が広くゆきわたっていることを信じるからであり、且又私の試みようと如き考察が、一見平凡なことであるにかかわらず、以上の誤謬とは何等関わりのない人達に対しても、幾分の新しい寄与をするということもまた有り得ないことではないと思うため、なおさらこの試みを正当なものと考えるからである。

デュボア・レーモン「自然認識の限界について・宇宙の七つの謎」


2017年9月18日月曜日

教会が同じ考えをいだかせるように、教会のきめた意向にそむくものは異端者と見なされた。

 民間信仰は中世をつうじてヨーロッパのどこでもおなじであったと思ったら、それは大まちがいだということである。善の力、つまりイエス・キリストの国についてはヨーロッパじゅうのものが同じ考えをいだいていた。またローマ・カトリック教会が同じ考えをいだかせるようにほねおってきた。この点については教会のきめた意向にそむくものは異端者と見なされた。けれども悪の力、つまりサタンの国については所によっていろいろとちがう意見がひろがっていた。ゲルマン語系の北方の民族はこのサタンの国についてはローマン語系の南方の民族とはまったくちがった考えをいだいていた。これは次のような事情でおこったことだ。つまりキリスト教の牧師らはそこにいあわせた古来の民族信仰の神々をまったくの妄想として否定しまわないで、じっさいに存在するものとしてみとめたのである。けれどもみとめながらもこう主張した。「これらの神々はすべて男性か女性のあくまである。イエス・キリストが勝利をえたので、これらの神々は人間を支配する力をうしなってしまって、今では肉のよろこびやわるだくみによって人間を罪にさそいこもうとしているのだ。」ギリシャの神々のすむと云われるオリンポスの山は天空にある地獄になってしまった。
ハインリッヒ・ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」

2017年9月16日土曜日

人間性の本姓に生理的なもの、獣的なものを明らかに示そうとする。


 第一に文学は重圧の感情に表現を与えようとする。社会生活の秩序は既に古く、老い朽ち、風にも堪えぬ脆弱なものになってしまったという。パリでは新しい文学が社会主義と隣り合って、凄んでいる。この作家たちは描写する、描写しながら分析をする。彼等はこれに酔う、そして已が手でその疾病と死を摘別する。しかして事実の表現において真実に忠実であり徹底的かつ的確でなければ解決は得られない。随って第二に新しい文学、美術は自然主義であろうとする。それは現実的なものをあるがままに露わにし、分析しようとする。この文学の最も著しい傾向は、何よりも先ず人間性の本姓の裡に生理的なもの、むしろ獣的なもののあるのを明らかに示そうとするところにある。それは抗い難い本能であって、ただ治世のみがその道を照らし得るのである。

ヴィルヘルム・デルタイ「近代美術史 ー 近代美学の三期と現代美学の課題 ー」

2017年9月15日金曜日

動物が、他の完成を遮断し、自らのうちに存する原理によって感覚し、運動し得るもののみを意味する。

 もし動物が、他の完成を遮断し、自らのうちに存する原理によって感覚し、運動し得るもののみを意味すると仮定すれば、かかる場合には、他のそれ以上の如何なる完成が、加わり来ようとも、所詮その添加物は、動物に対して部分という関係に立ち、決して、動物の概念のうちに内含的に保持されるものという関係には立たぬであろう。すれば動物は類ではないことになる。しかるに、実際、動物は、それの形相から (ただ単なる感覚的精神であろうと、或いは同時に感覚的であり理性的である精神であろうとに論なく) 感覚と運動とが、そこから出で来り得るが如き何物かを意味する限りは、類である。ゆえに、類は、種のうちに存するところのものすべてを ー なぜなら、類は、単に質料のみを意味しないから  ー 非限定的に意味しているのである。
聖トマス・アクィナス「形而上学叙説 ー 有と本質とに就いて」

2017年9月14日木曜日

少なくとも位階とか称号とが、普通人の眼には、貧困者はつまらぬものに見えるのである。

 外面的の幸運の事情の内にも、少なくとも人間の謬見によって、これ等の感情を起させるものがある。門閥や称号やを、人々は普通尊重する傾きがある。功績に基づかないで得た富も亦、利己的でないものからすら尊敬されることがある。これは察するに、富の観念と、これによって仕遂げることのできる大事業の計画とを結びつけるからであろう。斯かる行為を決して為ないであらうし、また富を価値づける唯一の根拠たる高貴の感情に何等理解を持たない金持の賤夫共に、此尊敬の与へられることも、折々はある。貧困の禍を大きくするものは、其貧困者に社会的の功績があった場合でも、全く帳消しにして了ふことはできないで、つまらない者とすることである。少なくとも位階とか称号とがあって此粗末な感情を欠き、其人を幾らか尊敬せしめる様な事がなければ、普通人の眼には、貧困者はつまらぬものに見えるのである。

イマヌエル・カント (一般人類に於ける崇高と美との性状について) 「美と崇高との感情性に関する観察」




2017年9月13日水曜日

皆ことごとく欲の戦争にして、自己の不満を他人の上に洩せしものなり。

  人おのおの不満あり、彼は思えらく、われに富あらしめば我足らんと、しかして富彼に来りて彼なお平安を得ず、我に善良なる妻ありせば我足らんと、彼に幸福なる家族あるありて彼なお足らず、人は内部の欠乏を認めずしてこれを外部に認め、内を満たさんとせずして外に得んとす、我の敵は我なる事を知らずして、内に在する苦痛は外に漏らさんとす、汝らの中の戦闘と争競は何より来りしや、汝らの百体の中に戦う所の欲より来りしにあらずや、しかり世の始めより今に至るまですべての戦、すべての争の原因を究め見よ、皆ことごとく欲の戦争にして、自己の不満を他人の上に洩せしものなり。
内村 鑑三 (悲嘆)「求安録」

2017年9月12日火曜日

『基督論』の宗教が武器と変じ、かくして戦慄と恐怖とを散布せしめた。

 わずかな意見の相違に基いて兄弟の交わりが絶たれ、多くの人は辱められ、放逐され、獄に繋がれ、または殺戮された。それは悲惨な歴史である。『基督論』が因になって、人々は彼等の宗教的教訓を恐るべき武器と変じ、かくして戦慄と恐怖とを散布せしめた。この態度は今もなお持続し、しかもなお持続し、あたかも福音には他には問題はないかのように基督論は取り扱われ、それに伴う狂熱は今日もなお止まない。かく歴史上その様な重荷を負わせ、党派を引き続かせた問題が、今なお未解決であることを誰が不思議としよう。しかも、捉はれない眼をもって福音書を観察する者にとっては、イエスの自己証明の問題は決して解けないものではない。ただしその中に理解に難く秘密なものがあれば、イエスの意味する所によりかつ問題の性質に従い、そのままにしておくべきであり、ただ象徴の形で言い表し得るのみである。『この世の現象の中には、象徴の助けなしには人間悟性の複雑せる表象の中に持ち来らせられないものがある。』
アドル・フォン・ハルナック (福音と神の御子ー基督教の問題)「基督教の本質」

2017年9月11日月曜日

憐れみは、卑下の欲求であり、下ろうとするあこがれである。

 道徳的感情も同じ種類の研究にゆだねられると思う。例えば、憐れみを考察しよう。哀れみは先ず第一に、他人の位置に思想上で我が身を老いて、その苦しみを苦しむことにある。けれども、ある人達の主張したように憐れみがそれだけのものにすぎないならば、苦しみは我々に自ずと恐れを抱かせるから、憐れみはみじめな人々を救うよりはもこれを避ける念を我々に抱かせるはずである。この恐れの感情は憐れみの起りにはあるかもしれないが、間もなく新たな一要素が、他の人々を助けてその苦しみを和げてやりたい欲求が、そこに加わってくる。
 他人の不幸が我々に抱かせる同情のうちにも、多分恐れは事実何らかの位置を占めるものとして入るであろう。しかし、それはいつも低級な形の憐れみでしかない。本当の憐れみは、苦しみを恐れるよりはむしろ苦しみを望むことにある。それはほとんど実現されるのを願うか願わないかのかすかな望みであるが、それにもかかわらず、自然が何か大きな不正を犯しでもするので自然との凶暴のあらゆる疑いを覗かねばなんらないかのように、自己にめぐってつくる望みである。つまり憐れみは、卑下の欲求であり、下ろうとするあこがれである。
アンリ・ベルグソン (第一章 心理状態の強度について)「時間と自由」

2017年9月6日水曜日

悲劇は魂を高調に導き、高揚せしめんと期待するものである。

 問題の解決は、悲劇が文学の最高部門として認められているために、特に困難であるように思われる。悲劇は魂を高調に導き、また我々を高揚せしめんとするものである。ゆえに人は悲劇において、至高・至貴・至福なる姿を、またー言い得えればー最も神に適き姿を見ることを期待するかも知れぬ。しかるに悲劇が事実我々に示すところのものは、これと甚しく異なっている、ー即ちそれは専ら苦悩であり没落ーしかももますます極めて優れた人々の没落であり、また劇場、犯罪或いは狂気等である。
 しかも悲劇は、更にこの他に一見不可解な矛盾を含んでいる。喜劇においては個々の要素がいかに不合理であるにせよ、なおその全体は少なく共に一種の満足な表情を与えるけれども、悲劇にはかくの如きもの存せず、会々存するとしても極めて稀有な場合に限られている。実際、事件はおおむね極りなき葛藤の解決を告げ、顧客は悲しみに覆われた心を懐いて劇場を辞するのを常とする。
フランツ・ブレンターノ (悪)「天才・悪」

2017年9月5日火曜日

大和魂を以て鍛錬した鋭利な日本刀で手当たり次第に斬って切り捲ろうと向不見ずの野蛮な考えがあった。

 朝廷からは始終かわらずに攘夷鎖港の勅諚があるにもかかわらず、幕府においてはいつまでも因循して居て、今に朝旨を遵奉せぬというのは、すなわち絨狄是れうち荊舒是れ懲らすという格言に背いて、征夷将軍の職分を蔑如するものである。かくの如き姿では、目前洋夷のために我が神州を軽侮される次第で、万々一にもこの後もし城下の盟いをするように通商条約でも許したならば、それこそ我が国体を汚辱するものといわねばならぬ始末である。仮令和親をするにもせよ、まず一度は戦って相対の力を比較した後でなければ和親というものではない。ナニ彼に堅艦巨砲があっても、我にはいわゆる大和魂を以て鍛錬した日本刀の鋭利があるから、手当たり次第に斬って切り捲ろう、という向不見ずの野蛮な考えであって、今から見ると、まことに笑うべき話にすぎないけれども、その時は攘夷一途に思い込んだ頭脳だから、しょせんこの幕府では攘夷などは出来ぬ、そのうえも徳川の政府は滅亡するに相違ない、何故だというのに、世官世職の積幣が既に満政府を腐敗させて、つまる処、智愚賢不肖各々その地位を顛倒してしまった。
渋沢 栄一「雨夜譚」

2017年9月3日日曜日

さすがは世界一憲法国だけあって小丘の名まで皇室と人民とを一様に俯瞰する。

 ピカデリー通りの片側に、芝原の傾斜地がある。それをコンスチチューション・ヒル即ち「憲法が丘」と名付けたのは、いささかに木に竹を接いだ感がある。この傾斜地の直ぐ下は大英帝国肯定の常住の御殿、バッキンガム宮になっているので、ロンドン(倫敦)人にすら解決の附かぬ問題が僕には忽ち釈然と解ってしまった。即ち英国人の人民は憲法が丘から皇室を監視しようとするので、バッキンガム宮殿に臨むこの小丘に厳しい名をつけたのである。パーリアメント(巴力門)の乗員へ行って見ると、玉座の頭の上にジョン王を威嚇して大憲章(マグナカルタ)に調印せしめた18人のバロンが、毘沙門天のような風采で、王座を睨み下して、イザといえば飛び降りて、手にする槍を突きつけそうな見幕を示している。僕はこれを見て、この王座に座る皇帝の心理状態は、少しく皇帝的心理状態を懸離れたものたらざるを得ないと思った。しかも更にロンドン(倫敦)全体を瞰下す市の北方にある一小丘にパーリアメント(巴力門)の名を下して、皇室と人民とを一様に俯瞰するものは、パーリアメント(巴力門)丘である事を示した。さすがは世界一憲法国だけあって小丘の名までコンスチチューショナルに出来ているのは関心と申す外はない。
長谷川 如是閑「ロンドン(倫敦)! ロンドン(倫敦)?」

2017年9月1日金曜日

ヴァッジ族を征服しよう、根絶しよう、滅ぼそう、無理にでも破滅に陥れよう。

 マガダ国王アジャータサットゥ、すなわちヴィデーハ国王の女の子、は、ヴァッジ族を征服しようと欲していた。かれはこのように告げた。
「このヴァッジ族は、このように大いに反映し、このように大いに勢力があるけれども、わたしは、かれらを征服しよう。ヴァッジ族を根絶しよう。ヴァッジ族を滅ぼそう。ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう」と。
 そこでマガダ国王アジャータサットゥ、すなわちヴィデーハ国王の女の子、は、マガダの大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げていった。「さあ、バラモンよ、尊師のいますところへ行け。そこへ行って、尊師の両足に頭をつけて礼をせよ。そしてわがことばとして、尊師が健勝であられ、障りなく、軽快で気力があり、ご機嫌がようかどうかを問え。そうして、このように言えー尊い方よ、マガダ国王アジャータサットゥはヴァッジ族を征服しようとしています。かれはこのように申しました。ーと。そして尊師が断定せられたとおりに、よくそれをおぼえて、わたしに告げよ。けだし完全な人(如来)は虚言を語られないからである」と。
第一章 一、鷲の峰にて「ブッダ最後の旅 ー 大パリ二ッバーナ経 ー」