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2017年10月11日水曜日

代表者は弁護士として出てはいけない。自己の見解をも偏見なき裁判官として判決をする義務がある。

 道なき道に立つ者にとって最大の危機と誘惑とは、自己の說明の仕方に問題はないということを余りにも大きく確信することである。その說明の仕方そのものは正しいが、その者にとってそれが適合しない場合に用いられているかもしれない。ともかく、応急の說明を工夫して、これによって見かけは巧みに自身を救い出すことに成功することはできる。しかし代表者は弁護士として出てはいけない。自己の見解をも偏見なき裁判官として判決をする義務がある。事実という岸壁にぶつかるときは、無理を通すべきではない。後ろへ戻って他所に出口を求むべきである。自己の認識まは他人の正当な異論に強いられて、自分の好きになった解釈を求めようと決心した者は、火の試練に堪えたのである。後になってから、自分の途上の障害と見えたものは、実は自分を新しい小径へ連れて行き、この小径は自分を先に導きもし、自分に広い見透しを与えてくれたものであるということが、ますます明らかになるであろう。
カールレ・クローン (結語)「民俗学方法論」

2017年4月27日木曜日

免れぬ戦争の追憶は後方に向い反復で前方に向かう

  反復は、ギリシア人が「追憶」といったものをあらわす決定的な言葉だからである。ギリシア人は、あらゆる認識は追憶であると教えたが、同じように新しい哲学は、全人生は反復である、と教えるだろう。反復と追憶とは同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけである。つまり追憶されるものはすでにあったものであり、それが後方に向かって反復されるのに、ほんとうの反復は前方に向かって追憶される。だから反復は、それができるなら、ひとを幸福にするか、追憶はひつを不幸にする。むろん人間は生ま出たからには、せめてしばらくなりとゆっくり生きてみるとしたもので、生まれ落ちるとすぐに、例えばなにかを忘れたものをしたというような口実を設けて、人生からそっと引き返したりしないものと前提してのことであるが。
 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、しょせん免れぬ運命、つまり自滅のほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに心細い扶持で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹させてくれる。ひとたび人生を周航してみれば、人生が反復であることを理解するたけの勇気をもてるかどうか、また反復を楽しむ気持ちになれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前に、まず人生の岸辺を周航しなかったものは、決して生きることにはならないだろう。人生を周航してみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。反復を選んだものだけがほんとうに生きるのである。
セーレン・キルケゴール「反復」

2017年3月18日土曜日

戦争の歴史叙述は敵対国民が敵の上に増悪の焔を投げつける愛国的歴史

 想定を変えることなしに如何にして文献的歴史の冷めたい無関心と内的な不確実さとは救済され得るのであるか、という問題に移る。そしてこの問題はそれ自身が偽りであるが故に、ただ偽れる解決が与えられるだけである。そしてこの解決とは、思想の関心の欠陥をば感情のそれをもって代え、ここに達することのできない叙述の論理的連関の欠陥をば感情のそれをもって代え、ここに達することのできない叙述の論理的連関の欠陥をば審美的連関をもって補おうとすることである。この道によって得られる新たな誤れる歴史形式がすなわち詩的歴史である。
 この種の歴史叙述の多くの実例は、敬愛された人物についての感激にみちた伝記、増悪された人物についての風刺に埋まった伝記、などにおいて見られる。その他、著者自身の属しまたは同情を寄せる国民の成功を賛美し、その失敗を嘆惜し、その敵対国民、かれ自身の敵の上に増悪の焔を投げつける愛国的歴史、自由主義または人道主義の理想をもって飾られた世界史、あるいはまた、一社会主義が(マルクスの言葉でしたがうならば) 「悲しき姿の騎士」の、いいかえれば資本家の雄業を描きつつ編述した世界史、さらにおよそ人間の不幸と罪悪のとの間にユダヤ人を見、人間の幸福と光栄とのあるところには必ずユダヤ人の追放を見いだす反セミ種族論者の世界史、これらはいずれもこの例である。
 もとより詩的歴史はこの愛と憎と(愛である憎の、また憎である愛の)というこの根本的なまた一般的な二音調に盡きるわけではない。それは最も複雑した形式と最も繊細な感情の差等のすべてを貫き移る。かくして、愛にみち、また憂鬱にふけり、憧れにみち、悲しみ嘆き、諦めの眼を閉じ、信頼にみち、喜ばしげな、その他およそ想像することのできるすべての種族の詩的歴史をわれわれをもつ。
ベネデト・クロォチェ「歴史の理論と歴史」


2017年3月6日月曜日

戦争の結果として社会の道徳的・知識的水準をいちじるしく低めずにはおれなかった。

 ニコライ一世治世の初頭は1825年12月24日の破局によって有名である(デカブリストの乱の鎮圧: 青年将校による皇帝の専制への反乱の鎮圧)。そしてこのことは、わが「社会」の将来の発展行程にたいしてと同様に、プーシキン(ロシアの国民的文学者)の個人的運命にも大きな影響をもたらした。「デカブリスト」の敗北とともに、当時の「社会」におけるもっとも教養のある前衛的代表者が舞台を去っていった。それはその結果として社会の道徳的・知識的水準をいちじるしく低めずにはおかなかった。「私はひじょうに若かったにもかかわらず」とゲルチェンは書いている。「しかも私はニコライ治世とともに上層階級がいかにいちじるしく頽廃し、腐敗し、盲従的になったかをおぼえている。アレクサンドル時代における貴族的独立、近衛隊的剛毅は、1826年とともに跡形もなく消え去ってしました。」敏感で賢明な人にとってはこのような社会に生活することが苦しかった。「周囲は藪、沈黙」そのおなじゲルチェン(ロシアの哲学者)が他の論文のなかに書いている。「すべては答えなく、人気なく、希望なく、その上極端ににぶく、おろかしく、小さかった。同志をもとめる視線は、従僕の威嚇でなければ驚愕によって迎えられ、人びとは彼から身をそむけるか、彼をはずかしめた。」詩『賤民』および『詩人に』を書いた時代のプーシキンの手紙のなかには、わが国の二つの首都の倦怠と卑俗さにたいする不平がたえず聞かれる。しかし、彼はたんに彼を取りまく社会の卑俗さになやんでいただけではない。「支配層」に対する彼の関係もまた、彼の血を毒することひじょうに大きかった。

 わが国には、1926年ニコライ一世が、ありがたくもプーシキンの政治上の「若気の過失」を「ゆるしたまい」、その寛大な保護者にさえなったという、実に感動すべき伝説がひろまっている。しかし事実はぜんぜんそうではなかった。ニコライ一世とこの種の仕事における彼の右腕であった憲兵隊長ア・ハ・ベンケンドルフは、なにもプーシキンを「ゆるし」たのではなく、またその「保護」というのは、彼にとって耐え難い屈辱の連続にほかならなかった。「プーシキンは私と会いました後、イギリス・クラブで、陛下について喜びをもって語り、彼と一緒に食事をしていたものに、陛下のご健康のため乾杯すべく強制しました。ともかく彼はほんとうの阿呆者ですが、彼の筆と言葉とをみちびくことに成功しますれば、それは利益でございます。」この最後の言葉はわれわれの前に、プーシキンになされた「保護」の秘密をひらいてみせる。ゲオルギー・プレハーノフ「芸術と社会」

2017年2月6日月曜日

強力な軍事的支配の社会組織は他の総ての有能支配を塞ぐ

 ナポレオンは、社会の秩序の救う「名刀」の役割をになってあらわれ、それによって彼以外のすべての将軍たちをこの役割からとおざけたが、その将軍たちのあるものは、ナポレオンとおなじか、あるいはほとんどおなじようにその役割を果たしていたかもしれないのだ。ひとたび、強力な軍事的支配者をもとめる社会の欲求がみたされると、社会組織は、その他のすべての有能な軍人が支配者にのぼるみちをふさいでしまった。社会組織の力は、同類の他の有能な人間がでてくるのには都合のわるい力となった。このおかげで、われわれがさきにのべたような錯覚が生れるのには都合ののわるい力となった。このおかげで、われわれがさきにのべたような錯覚が生れるのである。
 ナポレオンの個人的な力は、きわめて大げさなかたちでわれわれのまえにあらわれる。というのは、彼の個人的な力をまえにおしだし、それを支えていたあらゆる社会勢力を、われわれは彼の個人的な力のせいにしてしまうからである。ナポレオンの個人的な力は、われわれになにかきわめて特別なもののようにおもわれる。というのは、それに似たさまざまの力は可能性から現実性に変らなかったからである。そこで、もしもナポレオンがいなっかたらどうだっただろうか、ときかれると、われわれの想像はこんがらがって、彼の力や影響のもととなっていた社会運動はすべて、彼がいなかったらまったくおこらなかっただろう、とおもわれるのである。
 それにくらべれば、人類の知的発展の歴史のなかで、ある個人の成功が他のものの成功を妨げることはまずめったにない。だが、このばあいでも、われわれはまえにいった錯覚からまぬがれない。社会のある一定の状態が、その社会の精神的な面の代表者に一定の問題を提起すると、その問題がうまく解決されるまで、すぐれた知能の持主の注意はそれにひきつけられる。だが、いったんそれがうまく解決されると、彼らの注意はべつの対象にむけられる。

ゲオルギー・ヴァレンチヴィチ・プレハーノフ

「歴史における個人の役割」

2017年2月4日土曜日

多数決原理は平等ではなく自由の理念から導き出される

 自由の理念から、多数決原理が導き出されるべきものであってー一般に考へられるのを常とするようにー平等の理念からではない。しかしこの平等である、ということは、単なる想像であって、人間の意思や、人間の人格を、有効に測量し、計算するということが出来ることを意味しない。多数の票が少数の票より、大なる全重量を持っている、という理由を以て、多数決原理を是認することは、不可能であろう。
 ある者が他の者に少しも値しないという、純粋に否定的な推定からは、多数の意思が妥当せねばならぬということを、未だ積極的に推論することが出来るものではない。若し多数決原理を、平等の理念だけから導き出そうと試みるならば、それは独裁主義の立場から非難するように、事実あの純機械的な、しかのみならず無意味な性質を持つことになる。
 多数者が少数者より強い、ということは、辛うじて構成せられた経験上の表現にすぎないであろう。そして「力は正義に勝る」という格言は、それ自らを法文に高める限りにおいてのみ、克服せられるであろう。ただーたとひ凡てではなくともー出来るだけ多数の人間が自由である、即ち出来るだけ少数の人間が、彼等の意思と共に、社会秩序の普遍的意思と矛盾に陥らねばならなぬ、という考えだけが、多数決原理への、合理的途上に導くものである。
 その際、平等が、当然にデモクラシーの基本仮定として、前提せられるということは、この者が少しもかの者に値しないから、直ちにこの者又はかの者が、自由でなければならなぬ、というのではなく、出来るだけ多数の者が、自由でなければならぬ、という点に表明される。そこで、国家意思の変更を来すために、より少ない個人意思と合致することが、必要となればなるほど、個人意思と国家意思との一致符号は、ますます容易になる。絶対的多数は、ここに事実上、最高の限界を呈示する。国家意思が、その成立の瞬間において、より多くの個人意思と一致するよりは矛盾する、という可能性は、より少なくなるであろうし、少数が国家意思をーその変更を妨げることによってー多数と反対して決定することが出来る、という可能性は、ますます多くなるであろう。
ハンス・ケルゼン「デモクラシーの本質と価値」


2017年1月7日土曜日

価値判断を排除する集団的感情と宗教的行動

 第一に、犯罪学者は、いわゆる「群衆犯罪」の本質について、劇場の観客心理の社会学的研究から多くのものを学ぶことができるであろう。なぜなら。劇場では、集団的衝動的行動の対象がつね明確に決まっていた、この行動が、芸術といういわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとっていわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとって非常に重要なことであるがー個人が居合わせた多数者によって如何に規定されるか、個人の価値判断や客観的な価値判断が「集団的感動」によって如何に排除されるか、それが他に見られぬほど純粋実験的に、また有無を言わせぬように観察され得るからである。
 第二に、宗教学者は、往々、教団の生活、その内部における犠牲的態度を教団の全員に共通な理想への献身ということで説明し、現世の生活の規律を生身の人間の生活を超えた完全な状態への期待ということで説明しようとする。ーつまり、それを宗教的信仰内容の力によるものと見ようとする。しかし、共同の行動や相互間の行動で、これと同じ特徴を示しているということを宗教学者が知ったらーこうした類似は、二つのことを教えるだろう。
 その一つは、宗教的行動というのは、宗教的内容とだけ結びついているものではなく、一般的な人間的な形式であって、この形式は超越的な対象において実現されるのみではなく、他の多くの感情に刺激された場合にも全く同様に実現されるものであるということ。もう一つ、宗教学者は、更に重要なこと、即ち、他から独立した宗教生活の中にも、特に宗教的でなく、むしろ社会的な諸要素が含まれているということ、つまり、ある種の相互的な態度や行為が含まれているということである。こういう態度や行為が宗教的感情と融合して発達して来たことは確かである。

ゲオルク・ジンメル「社会学の根本問題ー個人と社会ー」

2016年12月8日木曜日

永遠の戦争は市場の優先権を争う

 古への封建君主は、農夫が其収穫の四分の一を領主に納むるに非ざれば、一塊の土を掘返すのも厳禁した。吾人は之を見て恥辱と呼ぶではないか。然り吾人は実に此時代を以て未開の時代と呼で居る。而も見よ、其形式は変じても、実際の関係は以前今日に存続した。労働者は自由契約の名の下に、猶ほ封建的義務を承諾せねばならぬ。彼はいずれかの方角に向かっても決して優等の境遇を発見することは出来ぬ。万物尽く私有財産となった、彼は承諾せねばならぬ、否ずんば餓死せねばならない。
 事情如此くなるの結果、現時の生産は総て不良の方向に赴くこととなる。企業はあたかも社会全体の必要てふことを考えぬ。其の目的は唯だ投機師の利益を増すてふことのみである。而して来る者は即ち市場の不断の変動、工業の時々の恐慌、其度毎に幾万人の労働者は路頭に迷う。
 労働者は其賃金では、彼等自身が生産した富を買うことができぬ。工業は即ち外国の市場を求めて他国民の富裕階級中に販路を得ねばならぬ。東洋において、アフリカに於いて、エジプト、東京若しくはコンゴー、到る処に欧州人は斯くして農奴制の発生を助長することとなる。而して彼は其を断行する。而も彼はまた到る処に同様の競争者のあることを発見する。いずれの国民も皆な同一の経路に展開する。而して戦争、永遠の戦争は、市場の優先権を争うが為に破裂する。嗚呼、東洋諸国を有せんが為の戦争、海上帝国を建設するの戦争、輸入品に課税し及び隣邦に条件を指令するの戦争、反逆せる『黒人』に対する戦争! 世界に大砲の響き絶ゆる間はなかった。幾多の種族は尽く屠戮せられて跡を絶った。欧州諸国は軍備の為に予算の三分の一を費やしている。而して吾人は知る、是等の租税が如何に重大なる負担を労働者の頭上に落下し来るかを。

ピョートル・クロポトキン「麺麭の略奪」

2016年11月29日火曜日

悪の表出は必要をみたす手段の不足

  実際問題の例にかえろう。どういう方法で人間が全となり、世の中で悪人がごく僅かになり、アクをなす場合が非常に少なくなり、其の結果、アクの性質があらわれるもっとも多い原因は必要を満たす手段の不足である。人間は自分に必要なものなしでいたくないために、他から何ものかを奪わねばならない時、犯罪やその他の悪行が法外にふえる。人びとは一片のパンのために互いに辱しめ、あざむく。心理学はさらに人間の欲求はその強さによって多種多様の段階に分かれることをつけ加える。あらゆる人間のオルガニズムにもっとも切迫した必要は呼吸しなければならないことになる。ところがこれを満たすに必要な対策は、殆どすべての場合人間にとって十分にあるので、空気にたいする必要からは殆ど何処でも悪行はおこらない。しかし、この対策が万人に十分でないという例外の場合には、おなじように争いと侮辱とがおこる。
 たとえば大勢の人間がただひとつしかない窓のない部屋に閉じ込められると、この窓のそばの場所をとろうとして、殆どつねに争いと掴み合いがおこる、殺人さえおこりかねない。呼吸の次の切迫した必要は食べるととのむことである。この要求を十分に満たすための対策は、しばしば、多くの人間にとって不足している。この不足が大多数の悪行の根源であり、悪行の恒常的原因となっている殆どすべての事情や制度の根源である。この悪の原因の一つをのぞくことができれば、人間の社会から少なくとも悪の十分の九は消えてしまうだろう。犯罪の数は十分の一に減るだろう。粗野な習慣や考え方は一時代の経過のうちに人間的な習慣や考えかたでとってかわられるだろう。蛮風と無知とにもとづく拘束的な制度の支柱は取り去られるだろう。そして殆どすべてのの拘束が速やかになくなってしまうだろう。理論のそのような指示を実行するのには技術が不完全だから不可能だと以前では言われたものだ。このことが昔では正しかったかどうか知らないが、現在の工業と化学の状態と、これらの学問が農業に与える手段とのもとで、土地は温帯の各国では、これらの国の現在の住民の十倍も二十倍もの人口がたっぷりと食べられるのに必要な食料より比較にならないほど多く生産できることは論争の余地がない。

ニコライ・チェルヌイシェフスキー「哲学の人間的原理」

2016年11月3日木曜日

戦争は工業的な資本主義的な企業

  知識があり、技術敵に教育された労働者要員を増加する要求は、先進的な資本主義国家、とくに最近めざましい発達をとげたところーたとえば北米合衆国とドイツでは、きわめてはっきりと認識されてきた。最近、各国政府は、熟練労働者の要員を十分に多数つくろうと狂奔している。
 これについて政府は、軍国主義の要求にも言及している。べ・エヌ・ミリューコフは『武装した世界と軍縮』という著書の中で近代戦の特徴をのべている。
「戦争は、現在では、ある種の工業的な、資本主義的な企業である。」
「戦争の技術は、新しい発明が現れるごとに絶えず変化している高価な装備を要求する。」
「戦争そのものは、変化の一般的な過程に従ってきた。現代では、軍隊の指導者、武器の発明者と製造者は、普通の知的な職業とはほとんどちがわない生活をしている。勝利は、騎士的な功績によってではなく、計算の正確さと科学性、永年にわたる困難な事前の努力によって決定される。かくして戦争は、以前のロマンチックな魅力を失い、もっとも散文的な職業になった。」
 世界戦争は、もっとも雄弁にこの真理を確認した。戦争は、問題の技術的な面、改良された武器、工業の組織、無数のよく教育された技術陣が、どれほど大きな意義をもっているかを示した。
 そしてこの工業全般、とくに軍事工業が、全面的に教育された知識のある労働者を要求することは、資本主義諸国をして、技術教育の組織、それに関連して学校事業の再組織、即ち、詰め込み学校を労働学校にかえることにまじめな注意を向けさせた。

ナジェージダ・コンスタンチーノヴナ・クループスカヤ「国民教育と民主主義」

2016年10月20日木曜日

罪は誤れる歴史的把握も作用

 不安は感性が罪性を意味しうる点ににおいて成立している。罪が一体何を意味しているかということについての漠然たる知識も一緒に作用しているのである。それにはさらに、歴史的なるものについて誤れる歴史的把握も一緒に作用しているのであり、その際、急所即ち個体的根源が捨て去られて、個体は無造作に人類ならびに人類の歴史と混同されている。我々は感性が罪性であると言うのではなしに、罪が感性を罪性たらしめると言うのである。さて我々がその後の個体のことを考えるならば、たしかにかかる個体は、そこにおいて感性が罪性を意味しうることが顕わになるところの歴史的環境をもっている。個体それ自身にとっては感性が罪性を意味してはいないにしても、かかる知識が不安を増し加えることになるのである。いまや精神はただに感性に対してのみならず、さらに罪性に対して対立的な関係に立たされることになる。無垢な個体がかかる知識を未だ理解していないことは言うまでもない、なぜならそれはそれが質的に理解せられる場合に始めて理解せられるのだからである。ところでかかる知識はまたもやひとつの新しい可能性なのであり、従って自由ーこれはおのが可能性において自らを感性的なものにたいして関係づけられるのだからーにたいして不安が増し加えられるのである。

セーレン・キルケゴール「不安の概念」




2016年10月2日日曜日

自由の危機が抑圧と戦争に導く

 自由の第1条件は経済的発展である。自由が危機に瀕するのは1社会の経済が縮小始める時である。経済的発展に失敗した暁にも政府が依然権威を維持しようとすれば、1つは国内抑圧、他は戦争である。

 生活に不足なく、かつ、考える余裕をもつということ、これが自由な人間の根本条件である。財産の所有者たちは、一応ある点までは、社会改良の手段によって資本主義の敵対者を籠絡しようとする。しかし、いったん財産かデモクラシーかの決定点に達すると、已の財産を択んでデモクラシーを破壊するという重大な危険が常に発生する。

 誰でも、欠乏からの自由は望ましいということにかけては原理的に一致している。アメリカ合衆国については望み薄である。というのもその莫大な生産力に拘らず、富の配分の合理的解決に遠い。報酬は個人の労働と節約とに比例する代わりに、むしろほとんど反比例をなす。最も少なく受け取る人こそ最も多く労働し節約する。

 自由とは本質的に拘束の欠如の欠陥である。権力は、自由な活動を埃ってはじめて発揮できる種々の能力の行使を阻害する。自由がその目的へと進み行くためには、平等の存在が大切である。平等とは社会がある人々の幸福の要求に対し、他の人々に対するよりも余計な障害を設けないことである。

 個人に残されたただ一つの道は、市民としての行動の導き手である良心に従うことである。それ以外のやり方は自由を裏切ることに外ならない。抑圧すべきものの選択を委託する人々は、単に、社会福祉に熱心であるでは全く不適当である。知的盲目者が、自分の建てた勝手極まる基準に市民を従わせようとするのである。純潔は、全くひどい無知に過ぎず、よれによって自由は滅殺され、人間の人格は、全く容赦し難いまで拘束される。

ハノルド・J・ラスク「近代国家における自由」


2016年9月24日土曜日

帝国主義政策の併合行為

 トゥバの地域の重要性は、それが相互に抗争し合う人種、宗教、政治権力の前哨戦をなしていることにある。そこにはシベリアから追い出されて、地下資源と魚と毛皮獣に富んだこの地にやってきたロシア人の入植者がいる。偉大な過去の相続人でありながら、堕落したラマ教の腐敗敵な影響によって、とっくに骨抜きにされてしまったモンゴル人の諸族がいる。ジュンガル平原には、イスラム教の最前哨をなす人たちがいる。そこには注目すべき活力と活動を展開しているシナがある。カラザースがその研究と施策の背景にあって、繰り返し問うた問題は、かつて世界史の中で、これほど大きな役割を演じ、また再び未来を持つに違いない。秘密に満ちたこの一体において、未来はいったい誰のものかということだ。ただひとつの回答だけだ。
 未来はロシアのものだった。今日、中央アジア北部のこの地域を支配しているのはソビエトだ。新しい庇護者となったロシアは、この国でまったく自分の国のようにのびのびと振る舞った。新しいモンゴル政府、聖なるホトクトとその大臣たちは、ロシアの総督が命じた通りを実行しなければならなかった。
 トゥバがロシア領にされたやり方は、トゥバの併合が帝国主義政策の行為であり、イタリアがトリポリを、イギリスがスーダンを併合したのと異ならないのは疑いのないところだ。トゥバにおいてソビエトがやったことを見れば、このすばらしい具体例から、新ロシアの外交政策の本質がどんなものであるか、判断を得ることができるだろう。

メンヒェン・ヘルフェン「トゥバ紀行」

2016年9月23日金曜日

慣習から複雑から単純の体制は認め悪い

 生命は真実には何によって構成されるか、またこの自然的現象が一つの固体内に生じその存続期間を打長し得るために必要な条件は如何なるものであるか。あらゆる体制の中で最も単純なものが生命の存在に必要なる諸条件の必須のものだけを示し、それ以上に迷わすような何も示していないので、外見上かくも困難な問題に解決を与える適確な手段が見出されるのかは単純なる体制以外にはない。
 生命の存在に必須な諸条件は、複合程度の最も少ない体制に、最も単純なな限度に限られてではあるが揃って見出されるので、問題は、如何にしてこの体制が何等かのの変化原因により、より複雑な体制を生ずることができ、動物段階の全域について観察される段々とより複雑な体制を発生させ得たかを知るにあった。観察の結果到達した次の二つの考察を用いて、この問題の解決の途を見出した。
 第一に、一器官の反復使用はその発達を助成しそれを大きくすることさえあり、これに反して、一器官の使用の廃止は、それが習性的となれば、その発達を妨げそれを萎縮させ次第に小さくし、そしてこの使用の廃止が、生殖にとって相次いで生じるすべての個体によって長期間継続されると、その器官の消失を来すということを、多数の既知事実が証明している。これによって、環境条件の変化が動物のある種類の個体にその習性を変更するよう強制すると、使用度の減じた器官は少しづつ萎縮し、使用度の増した器官はますます発達し、それらの個体が習性的に行う使用の度に力と大きさを獲得される。
 第二に、流動体を含む非常に柔軟な部分におけるその流動体の運動力について、生物体内の流動体の運動が加速されるに従ってその流動体が運動の場としている細胞組織に、変化を与え、そこに通路を開き種々の脈管を形成し、ついにその流動体が見出される体制の状態に従って各種の器官を造るに到る。
 諸動物に関する我々の全般的配類は、今日までの状態では、自然が生命を有する成生物を次々に発生させるにあって遡った序次そのものとは逆な配位を表しているのであって、しばらく慣習に従って、最も複雑なものから最も単純なものに進めば、体制の構成における進歩の知識を補足することが困難となり、この進歩の諸原因、此の方彼方でその進歩を中断させている諸原因の何れわも認め悪い状態に置かれるのである。

ジャン・バティスト・ラマルク「動物哲学」



2016年9月16日金曜日

抽象的精神から可視的的に歩む文化

 印刷された書物は中世期に大伽藍の果たした役割を引きつぎ、民衆の精神の担い手になった。しかしながら、千冊の書物は、大伽藍に集中された一つの精神を千の意見に引き裂いた。言葉は石を粉砕した。
 見える精神はかくして読まれる精神に変わり、視覚の文化に変わった。この変化が生の相貌を一般的に大きく変えてしまったことは周知の通りである。概念と言葉の下に生き埋めになつている人間を再び直接人の眼に見えるように引き出す。
 使用されない器官は退化し畸型化するというのが自然の法則である。言葉の文化にあっては、表現手段としての我々の肉体は使用されず、そのために表現能力を失い、ぶきっちょで、幼稚で、鈍重で、粗暴なものになってしまった。文化は抽象的精神から可視的肉体への道を歩むかにみえる。意識的な知が無意識的な知覚力になる。
 人間における外的なものとは何か。地位・習慣・財産・着物、これらすべてが変容させ、おおい隠している。しかし人間はとりまくものに対して反作用する。人間は変容されつつ、こんどは自己のまわりのものを変容する。自己が大きな広い世界の中におかれていることを知る人は、その中に垣や壁をめぐらせた小さな世界を作り、それを自分のイメージに従って飾る。
 印象主義は、つねに全体の代わりに部分だけを示し、補足は観客の想像に委ねる。表現主義は、環境の全体像を示す。豊かな表情をも相貌にまで様式化して、まず第一に観客の感じとるような情緒を醸し出すことを、観客の想像に委ねたりはしない。
 カメラマンは意識的な画家でなければならない。第一に、視覚的芸術として映画はまた特に目を愉しませるものでもなければならない。第二に、一定の情緒を表現するからである。カメラマンは意識的に一定の情緒を表現するからである。だからカメラマンは意識的に一定の情緒を表現すべく勤めなければならない。

ベラ・バージュ「視覚的人間ー映画のラマーベラベラ」

2016年8月9日火曜日

家と主観的な故郷の攻防

 なじみの道と近い関係にあるのが家と故郷である。
 故郷はまさに環世界の問題である。なぜなら、それはあくまでも主観的な産物であって、その存在についてはその環境を非常に厳密に知っていてもほとんどなんの根拠も示せないからである。問題は、どんな動物が故郷をもち、どんな動物がもたないかである。
 おそらく、非常に多くの動物が自分の猟場を同種の仲間から防衛し、それによってそこを故郷にしているのがわかるだろう。任意の地域を選んでそこに故郷領域を描きいれてみると、それはそれぞれの種について、攻撃と防衛によって境界線がきまる一種の政治地図のようなものになる。しかも多くの場合、空いた土地は一つもなく、いたるところで故郷と故郷がぶつかりあっていることが明らかになるであろう。
 猛禽の巣と猟場の間には、中立地帯があり、彼らはそこでは普通いっさい獲物を襲わないという、大変注目すべき観察がある。この環世界の区分は、猛禽が自分のひなを襲うのを防ぐために自然によって与えられたものだと鳥類学者は考えており、おそらくこの推察は正しいであろう。よく言われるように、ひなは巣立ちして親の巣のそばで枝から枝へ跳んで過ごす時期に、自分の親に過って襲われるという危険に遭いやすい。このため、ひなは保護地域である中立地帯で数日間安全に暮らすのである。この保護区域にはいろいろな小鳥がやってきて巣を作り、ひなを育てる。ここなら大型の猛禽に守られて、安全にひなを育てられるからである。

ヤーコプ・フォン・ユクスキュル「生物から見た世界」

2016年8月4日木曜日

取囲む生殺の権利の暗雲

 父親と君主との間、生活難の重荷を負わされている貧者と更に一層苦しい悩みの下にため息をつく富者との間、無知な女と不評判な博識家との間、惰眠を貪る者とあの鳶のような力が全世界に影響する天才との間に溝渠がある。
 しかし高い地位にある一方の人に純粋な人間らしさが欠けているならば、そこでは暗雲が彼を取り囲むであろう。ところが賤しい伏屋にあっても陶冶された人間らしさは、純粋な気高いそして足るを知る人間の偉大さを自分から放射する。
 だからたとえ高い位にあって、一人の君主が彼の囚人のために賢明な正しい法律を渇望しても、おそらく彼は黄金の一杯はいった財布をその経費として浪費することになるであろう。ところがもし彼が軍事会議において、自己の家の内部においては、また狩猟局と税務局とにおいて、人間らしさを発揮し、自己の家の内部においては純粋な親心を発揮するならば、彼は彼の囚人の裁判官や守衛を賢く真面目にそして父親らしく陶冶するようになるであろう。
 こうしたことがないならば、聡明な法律の文句も無情な人の口にする隣人愛の言葉と選ぶところはない。君主よ、汝はおそらく汝の求める心理の浄福からそのように遠く離れているであろう。
 ところが汝の脚下の塵埃の中にいる世の父親たちは、不良な息子たちを賢明に取り扱っている。君主よ、彼らの眠らぬよるの涙のうちに、また彼らの書の重荷の苦しみのうちに、汝の囚人のために智慧を学べ。そしてこのような道において智慧を求める人々に、汝の有っている生殺の権利を与えよ。君主よ、この世の浄福は陶冶された人間らしさであり、そしてこの人間らしさによってのみ啓蒙と智慧とそして一切の法律の内的浄福との力が働くのである。

ペスタロッチー「隠者の夕暮れーシュタンツだより」

2016年7月20日水曜日

未来に叫び「アンネの日記」

「わたしのパパ、わたしの目から見ても世界一すばらしいパパは、36のときにママと結婚しました。ママはその時25才でした。お姉さんのマルゴーは、1926年に(オットー・フラ
そのあとわたしが、1929年6月12日に生まれました。」(アンネ・フランク)
「ある朝ふとみると、アンネは雨が降りそぼつバルコニーに出て、水たまりの中で嬉々として声を上げていました。私が叱っても一歩たり動かず、ただお話を聞かせてもらうのをまっていました。」(カティ・シュテイゲンバウワー)
「私の周りの世界が崩れてしまった。この現実に直面しなければならない。私にとってとてもつらいことだったが、ドイツは我々の住むべき世界でないと判断し、永遠に去ることにした。」(オットー・フランク)
「わたしたち一家ユダヤ人なので、1933年にドイツを出て、このオランダに移住し、パパはジャムを製造しているオランダ・オペクタの社長になりました。」(アンネ・フランク)
「私たちが一緒にいるところを見られたら二人とも逮捕されるだろう。」(オットー・フランク)
「ドイツに残ったわたしたち一族のほかの人たちは、ヒトラーのユダヤ人弾圧のあおりを直接に受けて不安な生活を送っていました。あちこちでユダヤ人の虐殺が始まると、ふたり(オットー・フランク)のおじさんはアメリカに逃げ、お祖母ちゃんもわたしたちのところに来ました。その時73歳でした。」(アンネ・フランク)
「1945年9月からは、いよいよ急な坂をころげ、おちるように、事態は悪いほうへ向かいました。まず戦争、それから降伏、続いてはドイツ軍の進駐。わたしたちユダヤ人にとって、いよいよほんとうに苦難の時代が始まったのは、この頃からでする。(アンネ・フランク)
「この隠れ屋は、身を隠すには、理想的なところです。床がわずかに傾いていますし、湿気ねひどいですけど、こんな快適な隠れ場所は、アムステルダムじゅう探したって、いえ、オランダしじゅう探したって、ほかにはないでしょう。」(アンネ・フランク)
「いずれにせよ、戦争が終わったなら、とりあえず「隠れ家」という題の本を書きたいと思っています。うまくかけるかどうかわかりませんが、この日記がそのために大きな助けになるでしょう。」(アンネ・フランク)
「私にとってこの劇は人生の一部であり、自分だけでなく妻や子どもたちまでもが舞台で演じられると思っただけで心が傷みます。ですから、とても観にいくことはできません。」(オットー・フランク)
「アンネの書いたものによって、あなたが今後の人生を通じて、できる範囲でいいですから、平和と和合のために努力してくださればと祈ります。」(オットー・フランク)

アンネ・フランク・ハウス





2016年7月10日日曜日

精神の完全な無力化

  人間自身と同じように、社会生活もそれの世界なしにはすまされない。それの世界の上を汝の現存がおおうている。利潤への意志、権力への意志は、人間自身への意志と結びつき、これに支えられているかぎり、自然で正しい結果を生む。人間の衝動は、汝から分離しない限り、悪い衝動ではない。汝と結び、汝によって決定される衝動は、社会生活の原形質である。
 これに対して、汝からの分離は社会生活の解体となる。利潤への意志の領域たる経済、および権力への意志の領域たる国家とは、精神に参与する限り、生命に参与する。しかるに、もし経済や国家が、精神を放棄するならば、彼らの生命も終わりとなるであろう。その生命がつきてしまうまでには、むろん相当の時間がかかる。そのしばらくの時間を思い誤って、なお幻影を追い求めようともがくが、すでにその作用は渦を巻いている。
 事実、ここに至っては少しぐらいの直接的な力を導入しても無益である。経済機構や国家組織の膨大な力を多少ゆるめてみたところで、汝と呼びかける至上の精神が失われている事実を埋め合わせるわけにはゆかない。どのような改革を試みても、一時的な周辺的な逃れでは、生きた中心との関係を回復させることはできない。
 人間の社会生活は、その機構のすみずみに至るまでゆたかな汝との関係の力が浸透することによって、生命をもち、精神の中にこの関係の力を集中結合することによって、社会の具体的な形体を生み出すのである。この精神に忠実に従う政治家や経済人は、自己と関わり合う民衆を無造作に汝の担い手として取り扱うならば、彼らの事業を無駄にしてしまうことをよく知っている。
 しかし、それにもかかわらず、むろん無造作に行うのではなく、精神が彼らにぎりぎりの限界においてではあるにせよ、かかわり合う民衆を、汝の担い手として取り扱うのである。かくして汝から分離した社会機構を破壊するかもしれない狂気を、汝の現存の支配のもとにおさめることに成功する。こういった政治家や経済人は熱狂家ではない。
 国家が経済を支配しようと、あるいは、経済が国家に権威を与えようと、両者とりたたて変化がないならば、それは重大な事柄ではない。しかし国家の制度が以前よりさらに自由になり、経済が一掃公正となるならば、重大な問題であろう。社会生活の解体とともに、社会生活から無関係な一領域となれば、むろん精神が社会生活に生きることはあり得なくなるだろう。これは、その世界に転落してしまった諸領域が、まったく暴政にまかされてしまい、しかも精神が完全に無力化されてしまうことを意味する。

マルティン・ブーバー 「我と汝・対話」