人々が感知する潜在力の中で、あるものはとりわけ重要である。「梵」は、あたかも虎の威力が全身にみなぎり、皮膚・爪にまで及ぶのに似て、ヴェーダ・祭式・バラモンの中に浸透する。梵はすでに最古のテクストの中で、種々の意味をもって登場し、語形を基とした語源論によって様々に解釈される。今日の辞書の中の說明はあまりにも偏り、一方すぎるか、キリスト教風、ヨーロッパ風に潤色されている。「敬虔な心情の吐露としての祈り」でも、その類でも決してない。この語について今日辿ることのできる最も古い意味は、いうまでもなく、ヴェーダの文句・讃頌・祭祀などに内在する力である。また祭祀中に発現する神秘的勢力であり、さらにヴェーダを知って、祭式執行の資格ありとされたバラモンの所有する神秘的勢力あるいは精力、バラモンとバラモン階級全体も表す。
しかし、この解釈は、なおこの語の意味の多くを闇の中に残している。供養祭で、供祭僧が唱える祭詞・讃頌は梵である。梵は勢力を担った語であり、大詩聖が已が民族を護りうるような恵みの潜在力である。バラモンたちは神々を梵でみなぎらせ、爽快にし、悦ばせ、その力を増強する。また「呪術的」効果を目的とする祭祀で、施行者は梵を駆使し、梵によって悪人どもを撃滅する。バラモンは、自分たちの本性として、幾世紀にもわたり、自己の優勢を負うこの不思議な実在力=梵によって行動したのである。神々もまた、祭式の場としてふさわしい宇宙で梵を駆使する。インドラは梵によって再び勇気を取り戻し、別の神は梵によって魔神を切り裂く。また、ある神は梵を駆使して天地を和合させる。鏃を鋭くし勝利に導くのも、霊感と情熱を与えて生の力を増大させるのも、敵を殺戮するのも梵である。梵により、雲に隠れた太陽も見つけ出せる。梵は神々の所与であり、また神々の所造ともいわれる。
ジャン・ゴンダ「インド思想史」