ラベル 東洋宗教思想 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東洋宗教思想 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年11月26日日曜日

破戒にて虚く人夫の供養を受るより、無道心にて徒に如来の福分より、在家人に随ふて命ながらへて能く修道せん。

 答えて云く、但夫れ衲子の行履、佛祖の家風を学ぶべし。三國ことなりといへども真実学道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を学すべきなり。佛の言く、衣鉢の外は寸分の貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典に云く、朝に道を聞いて夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも佛教に随ふべし。万劫千生、幾回か生じ幾度死せん。皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度佛制に随て餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。いかに況や未だ一大蔵教の中にも三國伝来の佛祖、一人も飢へ死にし寒へ死にたる人ありときかず。世間衣糧の資具の生得の命分ありて求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず。只任運にして心に挟むこと莫れ。末法なりと謂ふて今生に道心発さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり。外典に云く、西施毛嬌にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎縁耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む。只随の賢を用るのみなり。俗なを此の叢林、人天の供養絶へず。如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき。末法の弟子、豈に是を慕はざらんや。
 問て云く、破戒にして虚く人夫の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんことを如何ん。

懐 奘「正法眼臓随聞記」


2017年11月8日水曜日

一族が滅び、夫が死んで、世のあらゆる人々に嘲笑されながら、不死の道を体得しました。

 「婦女の身であることは、苦しみである。」と、丈夫をも御する御者 ( ブッダ ) はお説きになりました。( 他の婦人と ) 夫をともにすることもまた、苦しみである。また、ひとたび、子を産んだ人々も (そのとおりで ) あります。
  か弱い身で、みずから首をはねた者もあり、毒を仰いだ者もいます。死児が胎内にあれば、両者 ( 母子 ) ともに滅びます。
 わたしは、分娩の時が近づいたので、歩いて行く途中で、わたしの夫が路上に死んでいるのを見つけました。わたしは、子どもを産んだので、わが家に達することができませんでした。
 貧苦なる女 ( わたし ) にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上に死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました。
 一族が滅びた憐れな女よ。そなたは限り無い苦しみを受けた。さらに、幾千 ( の苦しみの )生涯にわたって、そなたは涙を流した。
 さらにまた、わたしは、それを墓場のなかで見ました。ー 子どもの肉が食われているのを。わたしは、一族が滅び、夫が死んで、世のあらゆる人々に嘲笑されながら、不死 ( の道 ) を体得しました。
  わたしは、八つの実践法よりなる尊い道、不死に至る( 道 ) を実修しました。わたしは、安らぎを現にさとって、真理の鏡を見ました。
 すでに、わたしは、( 煩悩 ) の矢を折り、重い荷をおろし、なすべきことをなしおえましたと、キサー・ゴータミー長老尼は、心がすっかり解脱して、この詩句を唱えた。
「尼僧の告白 ー テーリーガーター ー」

2017年9月27日水曜日

悪業を離れることのできぬ悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがある。

 善事をなすものは善人、悪業を離れることのできぬものは悪人である。しかしまた悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがあり、善人には善事を頼むということもあろう。そこに善人には自力の限界を知らざる限り、本願他力に帰するということがないという迂遠さがある。けれども悪人は大悲の願心をきいて直下に身心に応えるものがあるであろう。まことに深重の本願である。
 それ故に自力作善の人は、弥陀の本願の正機ではなく、他力をたのみてたてまつる悪人は、最も往生の正因を身につけしものである。

唯円「歎異抄」


2017年9月1日金曜日

ヴァッジ族を征服しよう、根絶しよう、滅ぼそう、無理にでも破滅に陥れよう。

 マガダ国王アジャータサットゥ、すなわちヴィデーハ国王の女の子、は、ヴァッジ族を征服しようと欲していた。かれはこのように告げた。
「このヴァッジ族は、このように大いに反映し、このように大いに勢力があるけれども、わたしは、かれらを征服しよう。ヴァッジ族を根絶しよう。ヴァッジ族を滅ぼそう。ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう」と。
 そこでマガダ国王アジャータサットゥ、すなわちヴィデーハ国王の女の子、は、マガダの大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げていった。「さあ、バラモンよ、尊師のいますところへ行け。そこへ行って、尊師の両足に頭をつけて礼をせよ。そしてわがことばとして、尊師が健勝であられ、障りなく、軽快で気力があり、ご機嫌がようかどうかを問え。そうして、このように言えー尊い方よ、マガダ国王アジャータサットゥはヴァッジ族を征服しようとしています。かれはこのように申しました。ーと。そして尊師が断定せられたとおりに、よくそれをおぼえて、わたしに告げよ。けだし完全な人(如来)は虚言を語られないからである」と。
第一章 一、鷲の峰にて「ブッダ最後の旅 ー 大パリ二ッバーナ経 ー」

2017年8月24日木曜日

汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。

 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第呂久の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、
 誤って得られた名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。
 ナムチよ、これらは汝の軍勢である。黒き魔の攻撃陣である。勇者でなければ、かれに打ち勝つことができない。勇者は打ち勝って楽しみを得る。
 このわたしがムンジャ草を取り去るだろうか? 敵に降参してしまうだろうか? この場合、命はどうでもよい。わたしは、敗れて生きながえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。
 或る修行者たち・バラモンどもは、この汝の軍隊のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そして徳行ある人々の行く道をも知っていない。
スッタニパータ「ブッダのことば」

2017年8月5日土曜日

あちこちの方角に投げ捨てられまち散らし鳩色のような白い骨を見てはこの世に何の快があろうか?

 諸のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか? ー 世間はこのように燃え立っているのに。汝らは暗黒に陥っていて、照明を求めようとしない。あちこちの方角に投げ捨てられまち散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、この世に何の快があろうか? 夜の最初のあいだ母胎に入って住みつく人は、安らかにとどまること無く、迷いのうちに遷っていくー去って、もはや還って来ない。朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない。
 「私は若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んで行くのだ。ー男でも女でも、次から次へとー。或る者どもは母胎の仲で滅んでしまう。或る者どもは産婦の家で死んでしまう。また或る者どもは這いまわっているうちに、或る者どもは駆け廻っているうちに死んでしまう。老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去って行く。ー熟した果実が枝から落ちていくように。熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生れた人はいつでも死ぬおそれがある。
第1章 無常 (関与のことば)「ブッダの真理のことば、関与のことば」


2017年7月26日水曜日

不法なことをして生活することもあり、また法をまもって死ぬこともある。

   正しい方法による損失もあり、不正な方法による利得もある。不正な方法による利得よりも、正しい方法による損失の方がすぐれている。
 叡智の少ない人々が名声を得ることがあり、聡明な人々が不名誉を受けることもある。聡明な人々の受ける不名誉のほうが、叡智の少ない人々の得る名声よりもすぐれている。
 愚人から賞賛されることもあり、また識者から避難されることもある。愚者から称賛されるよりは、識者から非難されるほうがすぐれている。
 欲望の快楽から起こる快感もあり、また独り遠ざかり離れることから生ずる苦しみもある。欲望の快楽から起こる快感よりも、独り遠ざかり離れることから生じる苦しみのほうがすぐれている。
 不法なことをして生活することもあり、また法をまもって死ぬこともある。不法なことをして生活するよりは、法をまもって死ぬことのほうがすぐれている。
 快楽も怒りも捨て去って、種々なる生存のうちにあっても心静まり、執着することなく世の中を歩む人々、ーかれらには快も不快も存在しない。
 かれらは、さとりを得るための七つのことがら、五つのすぐれたはたらき、五つの力を修めて、最上の静けさに到達し、汚れなくして、円かな安らぎに入るであろう。
テーラガーター「仏弟子の告白」

2017年7月10日月曜日

勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。

〔尊師いわく、ー〕
 「生命は死に導かれる。寿命は短い・老いに導かれていった者には、救いがない。死についてのこの恐ろしいに注視して、世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ。」
  「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一切のものが従属した。」
  「勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。」
  「或る物が人に役立つあいだは、その人は他人から掠奪する。次いで、他の人々がかれらから掠め取るときに、他人から掠め取った人が、掠奪されるのである。悪の報いが実らない間は、愚人は、それを当然のことだと考える。しかし悪の報いが実ったときに、愚者は苦悩を受ける。殺す物は殺され、怨む者は怨みを買う。また罵りわめく者は他の人から罵られ、怒りたける者は他の人から怒りを受ける。業の輪の輪廻によって、掠め取られた者が掠め取る。」
ゴーダマ・ブッダ「神々との対話ーサンユッタ・ニカーヤⅠー」


2016年10月10日月曜日

仏教徒は生に縁って老と死あり

 仏教徒は世界の基盤として恒久的実体や根本原質ーすなわち、あらゆる事物や現象の実体的基盤を認めない。認めるのは、ただ非実体的な諸法だけである。現象は次々に起こってくる。一つが存し、これに続いて他が生じる。仏教の唯一の目的である解脱のため、輪廻の真相を見極める。
 輪廻の縁起説は、「何ある時、老と死ありや、何に縁ってそれは生ずるや。ーただ生のある時のみ、老と死あり。生に縁って老と死あり。・・・何ある時、生・・・あるや。ただ生存あるときのみ・・・」「生存、有」は文字通りには「生成」の意味である。受胎に際して肉体の形を採るようになることと考え、外の人々は、再生を惹き起す業、いわば「業による」生成の意味に解している。
 縁起説は、通俗的解釈の立場からすれば、縁起説は、意識ある存在の生存状態を、前世での「無知」と、この無知に基づく潜在意識の構成力が、新しい今日の生存の原因または誘引であり、今日の生存における最初の成因は、意識の目覚めである。
 「生存」は、次の世での出生をと老・死とを生じることになる。最初り誘因たる「無知」は何に基づくのであろうか。「無知に際限なし」と仏陀は教えた。それはあたかも樹木と種子、鶏と卵の関係であると説かれる。この悠久のドラマの究極原因が何であるかを、潜在力の入り交う循環論的思惟から期待することはできない。まして精神と物質の区別や、主体と主体を成り立たせている条件の区別など期待することはできないのである。

ジャン・ゴンダ「インド思想史」

2016年7月29日金曜日

神道は元来が政治思想

 「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、宗教的信仰性のものではない。霊性そのものは顕現ではない。これを霊性まで転向させようとする時は、「外来」と言われている思想および情緒に摂食し、これを摂取して自分を育てあげなければならぬ。この矛盾はは「神道」に内在的なものであるから、何かの機会に他の精神的なものと衝突する危険性がある。「神道」では僅かにその萌芽を見る。これを浄土思想など組織的に進展し発展するのに比べると、まだまだと言わねばならない。真の霊性なものはこれからである。 
 鎌倉時代に、日本的霊性のもっている最も深遠なところが発揮せられた。それまでは、日本民族の霊性はちょっと頭をもちあげたにすぎない。鎌倉時代になって、根本から動いてみずから主体性をもつようになった。何か外来の事変に出くわすと、内に蔵せられてきがつかなかったものが、こつ然と首をを動かして事物の表面に出るのである。何か刺激をもたなぬと心の動きが鈍るのは、個人の生活はもとより、集団生活でも実に動揺である。
 鎌倉時代に、それまで長いあいだ外国との交通が途絶えしていたのが、また初められた。平安時代が政治上に崩壊的気勢を示し、文化的に爛熟期をすぎて頽廃期に入ったとき、何かの衝撃が与えられないと、民族精神はいび不振、ついに取り返しのつかぬほど腐敗するのであった。
  そこへ大地の声が、農民を背景とする武家階級から上がって来た。そこへ南宋を圧迫した勢いで、日本の西辺を侵しきたらんとする蒙古民族の猛進が頻繁に伝わってくる。入宋の僧侶たちは新しき大陸の空気を呼吸して帰ってくる。今まで沈黙を守るしかなかった庶民階級の思想と感情が、武家文化ー大地文化ーを通じて聞かれるようになる。何が日本民族の霊性そのものの響きが、この間に鳴りわたらなければならぬのである。果然、武家階級は禅堂に入り、庶民階級は浄土思想を草案した。武家文化は更に公卿文化を統摂することによりて、善精神をして日本人の生活および芸術の中に深く浸透した。一方浄土系思想は日本霊性の直接的顕現として大地に親しむものの中にに結実した。

鈴木 大拙 「日本的霊性」

2016年7月19日火曜日

宗教紛争とスラム

  1960年代後半に始まった各国・各宗教の内部的な変動は、1970年代の半ばの石油危機に伴う「近代」的システムの世界的な機能不全と共に、一気に表面化し過激化するのである。こうした経過の典型的なパターンは、第2次世界大戦後に新たに独立を果たしたイスラエル圏産油国の「近代化」過程において見られる。このパターンは、西欧から「近代化」を借りてきた外部からそれを推進しなければならなかった大半の国においては、程度の差はあれ一般的に見られる現象でもある。
 欧米を模範にして工業化と市場化を強引に推し進めてきた国は、周辺農村から労働力を吸収して都市化を加速させる。60年代の終わり頃から整備の遅れた都市周辺部および都市内部の隠れた隙間に、移住した労働者の「スラム」が形成され始める。この有形無形の「スラム」の住民は、基本的に保守的な宗教的道徳観を多分に保有し、特にイスラム圏では未だ封建的な経済システムに馴染んでいる階層であった。
 最初、工業化と市場化が順調に進展していると思われた間は、彼らの有する反近代的要素も、そして様々な宗教的対立・反目も弱いものか或いは陰に隠れていた。しかし下地の全くない俄作りの工業化の市場競争の弱さが露呈して、財政破綻をきたし政権基盤が崩壊してゆくにつれ、政権維持に躍起となり強権によって保身を図る。政権側の独裁と腐敗に対して、貧窮と服従を強いられる「スラム」住民の、特にだぶついて職につけないでいる青年層の、不満が昂じていき、やがて政権と住民との間の政治的亀裂が口を開き始める。政権の正当性とカリスマ性に対して、その「近代化」の理想やスローガンに対して、疑問が投げ掛けるようになる。民族独立は理想主義から悲観主義の分水嶺を越える。
 「近代」の作用によって生み出された普遍的に蔓延する精神的混乱が、その「近代」のイデオロギーによっては救われないことを、宗教関係者は直感していた。その間、政権に利用されるか政治のへの関与を拘束されていた宗教勢力、特にイスラム教指導者は、西欧的「近代化」という「世俗的」社会変革そのものに異議を唱える。そうした混乱を逆に「社会の基礎を聖書に見出す世界の再構築へと変貌させ」、スラム住民の宗教的道徳観の凝集と運動へ方向づける。

田路 慧「人間と現代」