「思い出の戦争」だけは真の戦争の抑止力となります。戦争により、横たわり、苦しんでいる市民を静かに見守る事しかできない。 戦争を目前にして、市民の地域と家族における存在の尊厳が失われている。 生活が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは僅かな存在にすぎない市民である。戦争の持つ悲惨な歴史を共感できない事にもよる。 世界大戦の戦争から原爆による終止符の犠牲で、市民は多くの辛酸を受けた。 戦争と貴重な経験による平和市民が読み継いだ「日本思い出の戦争」を授けたい。 戦争の荒波を渡ろうとしている市民代弁者として日本思い出の戦争をまとめる。 ささやかな戦争のメッセージである日本思い出の戦争記を平和市民に送り捧げたいために。@Jan/1/2016, JNW, japan.nowar@gmail.com
2018年1月21日日曜日
2018年1月14日日曜日
流通する以上の紙幣の増加によって、戦時中生産が容易となり、劣った土地が容易に耕作されたので、平和回復後の滞貨と低物価を増すようになった。
金紙の開き以上に出る通貨の価値変動が、どの程度までイングランド銀行正貨支払い制度条例および正貨支払い制度への復帰に帰せられかは、なかなか容易にはいえない。紙幣は金と平価を維持していたのであるが、通貨が前戦時下ではなはだしく下落し、平和回復に伴う諸事情のもとではなはだしく騰貴しているであろうということ、これにはすこしも疑うわけにはいかない。金と平価で流通する以上に出る紙幣の増加によって、戦時中生産が容易となり、劣った土地が容易に耕作に付されたので、それが平和回復後の滞貨と低物価を増すようになったことが、おそらく唯一の差異であったろう。
けれじも平和回復後の土地所有者に対する重圧がどんなであったろうと、公債所有者を犠牲にして償いをもとめようとする試みに対しては、土地所有者にはいささかの弁解もなりたたない。運はめぐりあわせであるから、あらゆる党派は公明正大に振舞うべきである。どんな階級の人でも、不正な恥ずべき手段を講じて、他をおとしいれ、自己の繁栄をはかろうとするのでは、正しいとはされない。とりわけわが国の土地所有者たちは、こんな手段を考えおよんではならない。今日どんな迷惑をこうむっていようと、かれらは、疑いもなく、自分たちの苦境を救ってもらう権利があると考えている当の人たちにくらべると、はるかに大きく通貨の価値変動の利益に均霑してきたからである。
トマス・ロバート・マルサス「価値尺度論」(白)
2017年11月5日日曜日
軍人の職業は、事実上及び本質上、人を殺すのではなく、人に殺されることにある。
軍人の職業は、事実上及び本質上、人を殺すのではなく、人に殺されることにある。これに対して世間は、自分自身の真の積りはよく意識せずに、軍人を尊敬しているのである。凶漢の商売は人殺しであるが、世人は決して凶漢を商人以上に尊敬したことはなかったのである。軍人は自己の生命を国家に捧げていればこそ、世人は彼らを尊敬するのである。なるほど軍人は向こう見ずかもしれない、ー 享楽を好み冒険を好むかもしれない、ー また軍職を特に選択したのも実はあらゆる種類の副次的な動機や賎劣な衝動からであったかもしれない。したがってこれ等のものがその職業における彼れの日々の行動を( どう見ても見た所だけでは )左右しているかも知れない。しかし吾々の軍人に対する評価の根底には次の究極の事実 ー それは吾々が信じて疑わない所の事実 ー が厳存しているのである。もし彼れを要塞の破れた一角に置くならば、彼れの背後には浮世のあらゆる快楽があり、彼らの面前にはただ死と本分とのみあっても、彼れは断じて後を顧みないという事実である。実に彼れは何時何時自己の選択すべき生死の両頭が面前に置かれるかもしれないと常に覚悟している。ー 否、あらかじめ自己の死の役を引き受けたのである、ー 事実時々刻々そうした役を引き受けている、ー 否、実に「日々に死」んでいるのである。
ジョン・ラスキン (栄誉の基礎)「この後の者にも 」(経済の第一原理について )
2017年10月30日月曜日
富と人口の増大は、賃金の充分、不充分にて起る影響ないならば、何処も一般利潤は下落しなければならぬ。
賃金の騰落は社会のすべての状態に共通であって、それが静止、進歩、後退のいずれかの状態にあるかを問わぬ。静止状態においてはそれは全く人口の増減に依って左右される。進歩状態においては、資本と人口の何れがより早く増大するかに依存する。後退状態においては、人口と資本の何れがより早く減少するかに依存する。
経験の示す如く資本と人口とは交互に先導し、その結果賃金は充分であったりするのであるから、賃金の関する限りにおいては、利潤については何等積極的に述べるを得ない。
しかしもっぱら富と人口の増大しつつある社会においては、賃金の充分、不充分によって起る影響を措いて問わないならば、農業の諸改良や、穀物がより低廉な価格で輸入れさることがない限り、何処においても一般利潤は下落しなければならぬことは極めて充分に証明し得るところであろうと余は思うのである。
デビット・リカード「農業保護政策批判 ー 地代論 ー」
2017年10月15日日曜日
大国民が急速に上昇した時代は、臆病、固執、無気力、主動力の欠如という独自の異常な性格を受けとった。
君はおそらく、非常に本質的な相違があらわれることに気がつくでしょう。ドイツでは、小市民は、失敗に帰した革命の、中断され押し戻された発展の結実であり、三十年戦争及びそれにつづく時代ーちょうど他のほとんどすべての大国民が急速に上昇した時代ーによって、臆病、固執、無気力、及びあらゆる主動力の欠如という独自の、異常に作りあげられた性格を受けとったのです。この性格は、歴史的運動が再びドイツをおそったときにも、ドイツ小市民のものとしてとどまりました。この性格は、ドイツの他のすべての社会階級にも、多かれ少なかれ一般的なドイツの典型として自己を押しつけるに十分なほど協力でした。そして遂に、わが労働階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者は、ドイツの小市民的固執をすっかり振り払ったという点でまさに、最もひどく「祖国をもたない」のです。
小市民文学について(1890年6月5日、フリードリヒ・エンゲルス)
「マルクス・エンゲルス文学論」
2017年9月30日土曜日
不死であって永遠に生きると死を軽んじむしろ喜んで自ら死に赴く有様であった。
これらの気の毒な人々は、自分達がそのまま不死であって、永遠に生きるものであるということを語りあっていて、従って彼等は死を軽んじ彼等のうち多くの者はむしろ喜んで自ら死に赴くものさえあるような有様であったから。そこへ彼等の最も尊敬する立法者が、彼等に向かってこういう見解を述べた。すなわち彼等が改宗するや否や、換言すればギリシアの神々を否認し、かの十字架にかけられたソフィストの礼拝を承認して、その訓えに従って生活するようになれば、それでもう彼等はすべて兄弟になったのであると。— 教え、それを彼等は誠実と信頼をもって、何の吟味も確証も経ることなしに、採り入れたのである。そこでもしその場合の事情を狡猾に利用することを心得ている熟練した詐欺師が彼等の間に入ったなら、彼はまたたくまに富者となって、これらの単純な馬鹿どもを心中秘かに嘲ることが出来たことだろう。
フリードリヒ・エンゲルス「原始基督教史」
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