2017年12月31日日曜日

宗教でも人間の道を完全にするのだから、唯我国が国体に同化すれば良い同化しえないものは斥ける。

 近頃神社において戦勝祈祷などを行ったことについて、キリスト教側のものから、宮内省に反抗的の建言書を提出したということだ。趣旨は神社をもって常々宗教以外だといっていながら、戦勝祈祷の如き宗教的形式のことを、ここに行うのは不都合だという意味であるような。これについて、我らも考を定めて置かねばならぬ。予の考では、我国において神を祭り、神を念ずるのは、つまり祖先の霊に対して同情を求めるのである。つなわち物質的の効験があると思惟するがためではない。ちょうど我々友人同士が、何か苦痛や心配のある時、話し合って慰籍を得ることがあるのと同一である。しからば、我国においては、一番勢力(エネルギー)を蓄積された皇室、その皇室の祖神に向かって祭祀もし、祈念するのは当然ではないか。今後世の中が進歩すると、信神ということは神の同情を求めることに帰着するよ。要するに、いかなる宗教でも、人間の道を完全にしようとするのだから、これが悪い、あれが悪いとは言わぬ。唯我国が国体に同化すれば良い。同化しえないものは斥けるより仕方がない。
大正3年「杉浦重剛座談録」