2018年1月1日月曜日

「文化」を集団運動の意味のみに解しようとしたり、昔の戦争を「不道徳」として文化の中へ数えまいとしたりする。

 文化の概念をあまりに狭く局限された一群の諸客体だけに限る諸規定を取り扱わねばならない。文化なる語が多くの人々に対してむしろ不快な副次的意味を多分生じて来たからのことであって、この副次的意味から、文化科学なる用語の嫌悪されるわけが判然するであろう。私はもちろん科学とは何の関係もない文化闘争や倫理教化運動のような複合語のことを言うのではない、且つまた「文化」を集団運動の意味のみに解しようとしたり、昔の戦争を「不道徳」として文化の中へ数えまいとしたりする、一部の方面からなされた言葉の濫用に、この語の使用の嫌われる所以があると考えるのでもない。私はむしろ、世間一般にあれほど人気のある「文化史」なる概念と特に結びついている思想を眼中に置いているのである。いわゆる文化史なる学問と、例えば政治史との間に立てられた対立と我々のいう文化の概念とは全く無関係にしておかれなくてはならぬからである。我々の規定によれば、一方において国家は全く国民経済や芸術と同様に一個の文化財であるが、誰も直ちに国家生活と同一視することもできぬ。が他方においてはまた、文化生活を直ちに国家生活と同一視することもできぬ。

ハインリッヒ・リッケルト「文化科学と自然科学」