1960年代後半に始まった各国・各宗教の内部的な変動は、1970年代の半ばの石油危機に伴う「近代」的システムの世界的な機能不全と共に、一気に表面化し過激化するのである。こうした経過の典型的なパターンは、第2次世界大戦後に新たに独立を果たしたイスラエル圏産油国の「近代化」過程において見られる。このパターンは、西欧から「近代化」を借りてきた外部からそれを推進しなければならなかった大半の国においては、程度の差はあれ一般的に見られる現象でもある。
欧米を模範にして工業化と市場化を強引に推し進めてきた国は、周辺農村から労働力を吸収して都市化を加速させる。60年代の終わり頃から整備の遅れた都市周辺部および都市内部の隠れた隙間に、移住した労働者の「スラム」が形成され始める。この有形無形の「スラム」の住民は、基本的に保守的な宗教的道徳観を多分に保有し、特にイスラム圏では未だ封建的な経済システムに馴染んでいる階層であった。
最初、工業化と市場化が順調に進展していると思われた間は、彼らの有する反近代的要素も、そして様々な宗教的対立・反目も弱いものか或いは陰に隠れていた。しかし下地の全くない俄作りの工業化の市場競争の弱さが露呈して、財政破綻をきたし政権基盤が崩壊してゆくにつれ、政権維持に躍起となり強権によって保身を図る。政権側の独裁と腐敗に対して、貧窮と服従を強いられる「スラム」住民の、特にだぶついて職につけないでいる青年層の、不満が昂じていき、やがて政権と住民との間の政治的亀裂が口を開き始める。政権の正当性とカリスマ性に対して、その「近代化」の理想やスローガンに対して、疑問が投げ掛けるようになる。民族独立は理想主義から悲観主義の分水嶺を越える。
「近代」の作用によって生み出された普遍的に蔓延する精神的混乱が、その「近代」のイデオロギーによっては救われないことを、宗教関係者は直感していた。その間、政権に利用されるか政治のへの関与を拘束されていた宗教勢力、特にイスラム教指導者は、西欧的「近代化」という「世俗的」社会変革そのものに異議を唱える。そうした混乱を逆に「社会の基礎を聖書に見出す世界の再構築へと変貌させ」、スラム住民の宗教的道徳観の凝集と運動へ方向づける。
田路 慧「人間と現代」