2017年9月27日水曜日

悪業を離れることのできぬ悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがある。

 善事をなすものは善人、悪業を離れることのできぬものは悪人である。しかしまた悪人には悪業を離れることのできぬ悲しみがあり、善人には善事を頼むということもあろう。そこに善人には自力の限界を知らざる限り、本願他力に帰するということがないという迂遠さがある。けれども悪人は大悲の願心をきいて直下に身心に応えるものがあるであろう。まことに深重の本願である。
 それ故に自力作善の人は、弥陀の本願の正機ではなく、他力をたのみてたてまつる悪人は、最も往生の正因を身につけしものである。

唯円「歎異抄