2018年2月18日日曜日

哲学的精神はいたるところにあって、いかなる体系にも属することなく、一切の人知を支配しなければならぬものである。

 私は実験学者としては哲学体系を避けている。しかしそのために哲学的精神までも排斥することはできない。この哲学的精神はいたるところにあって、いかなる体系にも属することなく、単に一切の科学のみならず、また一切の人知を支配しなければならぬものである。私が哲学的体系からは全く遠ざかりつつ、しかも哲学者を大いに愛好し、彼らとの交際において無限の愉悦を味わっている理由はこれである。実際また科学的見地から見ても、哲学というものは未知の事象を認識しようとする人間理性の永遠の憧憬をあらわしている。それ故に哲学者はつねに異説粉々たる問題とか、科学の高尚な部分、上級の限界などとかに関係している。そしてそこから科学的思想に向って、これを活気づけ、高尚にするような運動を伝える。哲学者はまた、一般的の知的訓練によって精神を涵養しつつ強壮にし、それと同時に、到底説きつくすことのできないような大問題の解決に、精神を絶えず接触させているのである。このようにして哲学者は、未知に対する一種の飢渇、或いは研究の聖火ー学者にあってはこれが決して消えてはならないーを維持している。

クロード・ベルナール 「実験医学序説」(実験医学はいかなる医学の学派にも哲学の体系にも属さない)