2017年8月25日金曜日

文学は政治の奴隷になると、政治の宣伝機関になり、政治を批判することはできない。

 文学は独立するようになったのでありますが、その後また道徳、政治とからみあって、ずっと変遷して来ております。もし文学というものが、何かとからみあわなくてはならない、極端に言えば、何かの奴隷にならなければならぬものならば、これは政治の奴隷になるよりも、道徳の奴隷になった方がよいと思います。なぜかと申しますと、政治の奴隷になりますと、文学は政治の奴隷になりますと、文学は政治の宣伝機関になるだけであって、政治を批判することはできません。しかし、道徳の奴隷になりますと、道徳の立場から政治を批判することができます。政治の善い悪いに拘らず、文学がただ政治の宣伝機関になってしますますと、世の中よりも一層の進歩ということは、望まれません。ところが、文学が道徳に隷属しますと、ほかの立場から、即ち道徳の立場から、政治を批判することができますから、こうなれば、社会の進歩に貢献する所が多くなりましょう。
欺波 六郎「中国文学における孤独感」