これらの気の毒な人々は、自分達がそのまま不死であって、永遠に生きるものであるということを語りあっていて、従って彼等は死を軽んじ彼等のうち多くの者はむしろ喜んで自ら死に赴くものさえあるような有様であったから。そこへ彼等の最も尊敬する立法者が、彼等に向かってこういう見解を述べた。すなわち彼等が改宗するや否や、換言すればギリシアの神々を否認し、かの十字架にかけられたソフィストの礼拝を承認して、その訓えに従って生活するようになれば、それでもう彼等はすべて兄弟になったのであると。—
教え、それを彼等は誠実と信頼をもって、何の吟味も確証も経ることなしに、採り入れたのである。そこでもしその場合の事情を狡猾に利用することを心得ている熟練した詐欺師が彼等の間に入ったなら、彼はまたたくまに富者となって、これらの単純な馬鹿どもを心中秘かに嘲ることが出来たことだろう。
フリードリヒ・エンゲルス「原始基督教史」