2016年8月9日火曜日

家と主観的な故郷の攻防

 なじみの道と近い関係にあるのが家と故郷である。
 故郷はまさに環世界の問題である。なぜなら、それはあくまでも主観的な産物であって、その存在についてはその環境を非常に厳密に知っていてもほとんどなんの根拠も示せないからである。問題は、どんな動物が故郷をもち、どんな動物がもたないかである。
 おそらく、非常に多くの動物が自分の猟場を同種の仲間から防衛し、それによってそこを故郷にしているのがわかるだろう。任意の地域を選んでそこに故郷領域を描きいれてみると、それはそれぞれの種について、攻撃と防衛によって境界線がきまる一種の政治地図のようなものになる。しかも多くの場合、空いた土地は一つもなく、いたるところで故郷と故郷がぶつかりあっていることが明らかになるであろう。
 猛禽の巣と猟場の間には、中立地帯があり、彼らはそこでは普通いっさい獲物を襲わないという、大変注目すべき観察がある。この環世界の区分は、猛禽が自分のひなを襲うのを防ぐために自然によって与えられたものだと鳥類学者は考えており、おそらくこの推察は正しいであろう。よく言われるように、ひなは巣立ちして親の巣のそばで枝から枝へ跳んで過ごす時期に、自分の親に過って襲われるという危険に遭いやすい。このため、ひなは保護地域である中立地帯で数日間安全に暮らすのである。この保護区域にはいろいろな小鳥がやってきて巣を作り、ひなを育てる。ここなら大型の猛禽に守られて、安全にひなを育てられるからである。

ヤーコプ・フォン・ユクスキュル「生物から見た世界」