実際問題の例にかえろう。どういう方法で人間が全となり、世の中で悪人がごく僅かになり、アクをなす場合が非常に少なくなり、其の結果、アクの性質があらわれるもっとも多い原因は必要を満たす手段の不足である。人間は自分に必要なものなしでいたくないために、他から何ものかを奪わねばならない時、犯罪やその他の悪行が法外にふえる。人びとは一片のパンのために互いに辱しめ、あざむく。心理学はさらに人間の欲求はその強さによって多種多様の段階に分かれることをつけ加える。あらゆる人間のオルガニズムにもっとも切迫した必要は呼吸しなければならないことになる。ところがこれを満たすに必要な対策は、殆どすべての場合人間にとって十分にあるので、空気にたいする必要からは殆ど何処でも悪行はおこらない。しかし、この対策が万人に十分でないという例外の場合には、おなじように争いと侮辱とがおこる。
たとえば大勢の人間がただひとつしかない窓のない部屋に閉じ込められると、この窓のそばの場所をとろうとして、殆どつねに争いと掴み合いがおこる、殺人さえおこりかねない。呼吸の次の切迫した必要は食べるととのむことである。この要求を十分に満たすための対策は、しばしば、多くの人間にとって不足している。この不足が大多数の悪行の根源であり、悪行の恒常的原因となっている殆どすべての事情や制度の根源である。この悪の原因の一つをのぞくことができれば、人間の社会から少なくとも悪の十分の九は消えてしまうだろう。犯罪の数は十分の一に減るだろう。粗野な習慣や考え方は一時代の経過のうちに人間的な習慣や考えかたでとってかわられるだろう。蛮風と無知とにもとづく拘束的な制度の支柱は取り去られるだろう。そして殆どすべてのの拘束が速やかになくなってしまうだろう。理論のそのような指示を実行するのには技術が不完全だから不可能だと以前では言われたものだ。このことが昔では正しかったかどうか知らないが、現在の工業と化学の状態と、これらの学問が農業に与える手段とのもとで、土地は温帯の各国では、これらの国の現在の住民の十倍も二十倍もの人口がたっぷりと食べられるのに必要な食料より比較にならないほど多く生産できることは論争の余地がない。
ニコライ・チェルヌイシェフスキー「哲学の人間的原理」