2016年11月15日火曜日

太平の治世から困窮の乱世

  太平久しく続く時、漸々上下困窮し、それよりして紀綱乱れてついには乱を生ず。和漢古今ともに治世より乱世に移る事は、皆世の困究より出る事、歴代のしるし鏡にかけて明か也。故に国天下を治むるには、まず富豊かなるようにする事、これ治めの根本也。
 管仲が詞にも「衣食たりて栄辱を知る」といえり。孔子も「富まして後教える」とのたまえり。手前困究して衣食たらざれば、礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ、種々の悪事はこれより生じ、国ついに乱るる事、自然の道理也。
 何程法度を厳しく、上の威勢をもって下知するというとも、上下困究して動く力もなきようになりたる時節に至りては、その動く力もなき所偽りもなく真実なる故、用捨せずして叶わず。ひた物あそこをも用捨し、ここをも用捨すれば、後は法の破るる事になる也。法は国をつなぐ綱なる故、法破れては乱れずという事なし。その法の破るる所を愁いて、その動く力もなき者に用捨をせざれば、畢竟力にかなわぬ事を下知するというものになりて、無理の名を得る故、これまた乱を招く媒也。
 所詮の所皆困究より生ず。国の困究するは病人の元気尽るが如し。元尽きれば病生じて死する事必然の理也。元気盛んなれば、いかようの病気を受けても療治はなるものなる故に、上医は必ず病人の元気に心を付け、よく国を治むる人は古より国の困究せぬようにと心用ゆる事也。ここの境を会得して、国の豊かに富むようにする事、治めの根本也。されば何事も指置きても、当時上下の困究を救う道を詮索せずして叶わざ事也。

萩生 徂来「政談」