2016年11月8日火曜日

宗教の名で最悪の事柄がなされる

 この世に存在したすべての宗教が偽りであるという意味になるのであろうか。そうではないのである。なるほどたいていの宗教が、理性的信念に分析されるならば、偽りであることは明白である。そして私はこの世に存在する百万の宗教団体のどれか一つに属する徹頭徹尾正統派的な信仰をもつ人にとっては、この百万から一つを覗いたその他のものが悪しく偽りではないにしても兎も角も偽りであることは心中疑いの余地なく明白であるに相違ないと思うのである。それこそが私たちが明瞭に意識していなければならないことだと私は考える。しかもなお人間が自分の周囲をかこむ道標なき神秘的な人生の領域に対して何らかの関係をもたなければならないという事実は相変わらず残るのである。
 それこそ宗教に残された大いなる事実ではあるが、私たちはそれについて二つの事実を記憶せねばならない。第一に誤りを犯す可能性は大きく、事実ほとんど無限であり、第二に確信した誤りのもたらす結果は極めて恐ろしいものであるということがこれである。おそらく史上を通じてかつて一かどの人々によって大規模にこの世でなされた最悪の事柄は宗教の名においてなされたものであり、そしてその事は現在でも真理たることを全く止めたとは決して思われない。

ギルバァト・マレー「ギリシア宗教発展の五段階」