神は王や君主ではないこと
神のことがあっちでもこっちでも言い伝えられたり、これがそうだと見せられたりするものですから、これはみな王や君主の事蹟なのだと考える人々がいます。際立った資質や勢力ゆえに赫々たる成果を挙げたのが、神だという名声によっていっそう輝かしくされた、しかしやがては運命に従わねばならなかったが、その事蹟と経験はいつまでも驚くべき偉大なものとして記憶される、というように。
ですが、このように説明する人々は、正しい説明をすり抜けて、具合の悪いことは神から人間に移しかえています。そういう例なら言い伝えからいくらでも助けが得られますね。現にエジプト人は、ヘルメスの体は腕が短かったと言っておりますし、テュボンは赤ら顔でホメロスは色白、オシリスは黒かったなどと申しております。まるでこれらの神が本性人間だったのごとくにです。
それだけではありません。エジプト人はオシリスを将軍と呼び、カノボスを舵取り、船長と呼んでいて、天の星にもこのカノボス(カノプス)という名がついている、そしてその船の方は、ギリシア人がアルゴ船と呼んでいるもので、これはオシリスの船の似像であり、オリオンと犬星(シリウス)からさして遠くない空を航行しているのだと言っております。そして、オリオンはホロスの、犬はイシスの聖なる星だとエジプト人は信じているのです。
しかしながら、これは「動かすべからざるものを動かす」ことではないかと恐れてますし、シモニデスの言う(断片193)「古りにし時の間に挑む」ばかりではなく、多くの人間の種族、神々への敬虔な気持ちをしっかりと抱いている民族に対する挑戦ではないかと思います。これでは、人類誕生のはじめから、ほとんどすべの人々の胸に抱かれてきた、かくも古き尊き御名を天上から地上に引きずり下ろし、その尊崇の念、敬虔な気持ちを失わせ、また打ち壊すことになりましょうし、神を平面に引き下げることによって、レオン(前4世紀)のような著述家のために広々と道を空けてやり、メッセネのエウヘメロス(ヤコビ『ギリシア歴史家断片集』63T4e)の徒のいかさまに、自由な発言を許すことにより、光輝を添えることになりましょう。このエウヘメロスこそ、自分の手で、およそ信じるに足りぬ、ありもしない神話を作り上げてから、全世界に無神論を撒き散らした人です。
プルタルコス「エジプト神イシリスとオシリスの伝説について」