2016年11月13日日曜日

イスラームは血塗られた歴史

   イスラム (Islām) という言葉自身、アラビア語としては、すでに語源的に自己痛く、引き渡し、一切を相手に任せること、という意味なのです。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何者でもないのです。ですから、ふつうイスラームの信者、イスラーム教徒の意味で使われている「ムスリム」(muslim)という語も、本来の意味は「絶対帰依者」、すなわち已のすべてを挙げて神の心に任せきり、神にどう扱われようとも、敢えて已の好悪は問わぬ、絶対無条件な神への委嘱、依存の態度をいつでもどこでも堅持して放さない人のことです。ついでながらmuslimは、文法的にはIslāmとまったく同じ語源SLMから派生した言葉で、muslimとIslāmとの違いは、前者が能動的分詞形、つまり「絶対に帰依した(人)」の意味、後者が動名詞形、つまり「絶対に帰依することの」の意、であるだけののことであります。 イスラームの長い歴史を通じまして、各時代ごとに衆に優れた第一級の人物と認められた人たち、権威者が『コーラン』解釈の許容範囲を逸脱していると認めれば、ただちに正規の法的手続きを踏んで、それに異端宣告する義務がある。その政治的権力は実に絶大なものです。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人あるいはグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてします。イスラム教徒の一切の権利を剥奪されて、「イスラームの敵」語源的には「神の敵」('aduww Allāh)となるのです。「イスラームの敵」になったものの刑は死刑、全財産没収。個人の場合はもちろん死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人々が刑場に消えていったか、数えきれません。内面への道を行った人々は、たえざる死の危険に身をさらして生きねばならなかった人たちです。イスラームの歴史は文字通り血塗られた歴史です。

井筒 俊彦「イスラーム文化ーその根柢にあるもの