サン・パウロの寺のそばから馬車に乗ってローマの郊外をぽかぽかと走らせ、ドミチリアのカタコンベという古い墓を見に行った。この前おおぜいで見たカリストのカタコンベの近くで、地上は牧場になっている丘であるが、地下に狭いトンネルを作って、その左右に墓穴がある。古代のローマの貧民が、地上に墓地が買えないため、地下の穴を墓地にしたのだという。『クォ・ヴィディス』でよく知られているように、初期のキリスト教徒はそこを集会場などに使った。秘密結社の運動に加わることを「地下にもぐる」と言い現すのは、ここから始まったことである。初期キリスト教時代の壁画や石棺類が残っている。
この前にもちょっと書いたが、地上には平和なのどかな牧場があるのに、そのすぐ下の地画の中にこういう陰惨なものがあるのは、よほど妙な気持ちのものである。ローマ時代の貧富の階級の距たりや、初期キリスト教の殉職的な戦いなどが、いかに深刻なものであったかをつくづく思わせる。日本人などは、未来は知らないが、これまでにこれほど深刻な人間の争いは経験しなかったように思わせる。武家階級ができて以来、ずいぶん戦争は多いが、しかしそれらは、ギリシアの古代のように、何となく競技的性格を持ったものである。
ただ一つ比較できるのは、キリスタン迫害であろう。ローマではキリスト教徒を数珠つなぎにして猛獣に食わせるというような残虐な迫害をやったというが、日本ではそれほどでなくとも相当残虐な手を使っている。殉教者が不屈であればあるほど迫害者も残虐の度を増すのである。しかし日本では、ローマのように地下にもぐることができなかった。日本の土地は湿気が多くて到底地下の住居を許さないのである。はなはだ比喩的になるが、日本の湿やかさは人間の争いを深刻ならしめない。
和辻 哲郎「イタリア古寺巡礼」