2017年4月15日土曜日

或る戦争が悪いとは普遍的概念や一般的概念と一致する意味である。

  善及び悪が理性の有に属するかそれとも実的有に属するかということである。しかし、善及び悪は単に関係を表すものにほかならぬから、それが理性の有の中に入れられるべきことは疑いがない。或るものが善いと言われるのは、それほど善くない或る他のもの、或はそれほど我々に有用でない或る他のものに関係してのみ言われるからである。例えば、或る人間が悪いと言われるのは、より善い人間と比較してのみ言われるのであり、或るリンゴが悪いと言われるのも、善い或はより善い他のリンゴと比較してのみ言われるのである。
 すべてこうしたことは、比較してそう呼ばれる他のより善きものが存在しなかったとしたら言われ得なかったであろう。
 従って或る物が善いと言われるのは、それがそうした物について我々の有する普遍的観念や一般的概念と一致すると言う意味にほかならない。
 しかし、我々が前に述べたように、物はその個別性と一致すべきである。個別的観念の対象のみが真の実在性を有するのであるから。そして決して普遍的観念と一致すべきではない。普遍的観念と一致すればそれは全然存在しないものになるであろうから。
 自然の中に存在するすべてのものは事物か作用かである。しかるに善及び悪は事物でも作用でもない。故に善及び悪は自然の中に存在しない。もし善及び悪が事物か作用かだとしたら、それは自らの定義を持たねばならなぬ。しかし、善及び悪は本質を離れて何らの定義されえないからである。
バールーフ・デ・スピノザ「神・人間及び人間の幸福に関する短論文」