2017年4月8日土曜日

理論的にならないで虚偽を意とせざるがために社会全般に弊害がかもされる

 日本は論理の進まなかった国であり、哲学は独創の体系を作らずして実地に活用することを尊び、すべのものが理論的にならないで運用することに長じたものであって、数学もまたその数に漏れず、理論的に発達したというよりも、芸術化されて問題の処理などが進んだのであるが、武士は算盤を手にすることを恥じたほどで、数学は卑しまれつつ発達したのであった。数学が尊ばれ、数学が重んぜられた、というようなことはほとんどないのである。数学のために多少地位を得た人や、多少待遇を進められた人などが、絶無ではないが、概して数学者は貧苦に甘んじて、世の軽蔑を意とせず、一心にこれが開拓を楽しんだのであった。
 この事情はけだし和算においてだけのことではない。日本ではいったいに知識や学問を楽しむという美風はあるが、これを尊ぶの精神はすこぶる欠如しているのではないかと思われる。明治大正時代になってもその風は決して改まらぬ。これについては特に一遍の文を起草している。
 和算家の間にかくも実際の作者と一致せざるものが多かったのは、明治大正時代に無名の書生の著訳が老大家の名義で出版される風のあったことと同じである。いずれも主として経済上の事情から来ているが、要するに虚偽を意とせざるの風あることをまぬがれぬ。最も論理的でまた最も正直であるべきはずの数学者ですらそうなのだから、他は推して知るべきである。和算家自身すでにあんな虚偽になれているほどで、知識の重んじることを知らないのであって、和算の重んぜられなかったのもままことにやむを得ないのである。日本人のこの性格は淵源するところ深く、近くは文相二枚舌事件の起こったのも偶然ではなく、虚偽を意とせざるがために社会全般にわたって多くの弊害がかもされている。和算家の間にあんな風の行われたのはただその一つの発現であったと見るべきである。
三上 義夫「文化史上より見たる日本の数学」