これまで確実に知られていることは、多くの観賞花卉の花の色は、非常に変わり易い形質であるということに止まっていた。諸種の花卉は、栽培すると、その安定性が高度に乱されることになり、或はそれが全然破られてしまうという意見を発表した人達はしばしばあった。そして栽培植物の発達は、全く規則に当てはまらぬもの、偶然なものであるとするのが、大部分の傾向である。それで不安定的なものの見本として、観賞用花卉のはなの色が、よく引き合いに出されている。しかし、唯単に庭の土に植えるということだけで、如何にして、植物体に、それほど徹底的な、永続的な変革が起こるものであるかということは理解すべくもないのである。
自然のままに生えている植物の発育が、庭園に植えられたものとは違った法則に支配されるものであるということを真面目に主張する人は、よもやありはすまい。これら両者のいずれにあっても、ある種のために生活要約が変わり、その植物にその新しい要約に応じて応化する性能があれば、必ず一定の変化が起こるはずである。栽培によって、新しい変わりものの発達が助成され、自然の状態にあっては、仮令形成されても、消失してしまうような変化でも、人手の力によれば、保存されることがあるのは勿論認められる。
しかしながら、庭に植えるということが、変わりものを作る傾向を非常に強くして、それがために、植物の種がすなわちその独立性を失い、その子孫に高度の変更性をもつものが限りなく出て来るという想定は、正しいとするわけにはいかない。もしも生活要約の変わることが変異の唯一の原因であるとすれば、幾百年もの間、ほとんど同一なる要約のもとに育てられて来た栽培植物は、また再びその独立性を回復していると考えるべきである。実際は左様ではないことは、周知の通りであってそれらのうちには、種々様々であるばかりでなく、この上もなく変わりやすいものが見られるのである。
グレゴール・ヨハン・メンデル「雑種植物の研究」