「思い出の戦争」だけは真の戦争の抑止力となります。戦争により、横たわり、苦しんでいる市民を静かに見守る事しかできない。 戦争を目前にして、市民の地域と家族における存在の尊厳が失われている。 生活が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは僅かな存在にすぎない市民である。戦争の持つ悲惨な歴史を共感できない事にもよる。 世界大戦の戦争から原爆による終止符の犠牲で、市民は多くの辛酸を受けた。 戦争と貴重な経験による平和市民が読み継いだ「日本思い出の戦争」を授けたい。 戦争の荒波を渡ろうとしている市民代弁者として日本思い出の戦争をまとめる。 ささやかな戦争のメッセージである日本思い出の戦争記を平和市民に送り捧げたいために。@Jan/1/2016, JNW, japan.nowar@gmail.com
2018年3月11日日曜日
2018年2月27日火曜日
飢えは日一日と増してくる。用を足すためには小さな壺がある。これが第三帝国文明なのだ。
死刑囚の独房にて。昼夜わたしは手錠はめられており、はずされるのは食事の時間中だけだ。裸ガラスの窓越しに、冬の凍るような風が吹いてくる。独房の暖房は数時間だけ入る。一日中の室温は最高で10度である。身体は全力をつくして寒さに抵抗している。だが無駄だ。カロリーが不足し、上が腸を痛めつける。いつも飢えが腸を痛めつける。いつも飢え、いつも寒い。わら蒲団のうえに毛布一枚で、夜はもっとひどい。おまえは胎児のように縮こまって、頭に毛布をかぶり、自分の息で少しばかりの熱を得ようと努める。朝おまえが起きるしときには、凍りついている。そして少しばかりのコーヒーで暖まりたいと思うのだ。いつもお前は寒さをおぼえている。乾いたパンの皮は歯のくぼみに入る程度だ。夕食と昼食は絶対的に不足している。飢えは日一日と増してくる。おまえの用を足すためには、小さな壺がある。これが第三帝国における文明なのだ。
ルドルフ・ザイフェルト(妻へ、ブランデンブルグの獄舎、1945年1月)「若き死者たちの叫びーヨーロッパレジスタンスの手紙」(J・ピレッツ編)教養文庫
2018年2月24日土曜日
ひとはなぜ戦争をするのか - 国際連盟にもっとも大事な事柄 -
アインシュタイン
人間を戦争というくびきか解き放つことはできるのか?
なぜ少人数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望を手に貸すような真似をするのか?
人間には本能的な欲望が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が?破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのは、それほど難しくはないと思われす。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。
フロイト
人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。だだ、人間の場合、意見の対立というものも生じます。ですから、暴力以外の新たな解決策が求められてきます。
敵を徹底的に倒すには、どうすればよいでしょうか。暴力を使い、敵が二度と立ち向かってこられないようにすればよいのです。そう、敵を殺せばよいのです。
破壊活動に理想の欲動やエロス敵なものへの欲望が結びつけば、当然、破壊活動を満たしやすくなります。過去の残酷な行為を見ると、理想を求めるという動機は、残虐な欲望を満たすための口実にすぎないのではないかという印象を拭い切れません。
アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫) 国際連盟からの書簡 1932年
2018年2月18日日曜日
哲学的精神はいたるところにあって、いかなる体系にも属することなく、一切の人知を支配しなければならぬものである。
私は実験学者としては哲学体系を避けている。しかしそのために哲学的精神までも排斥することはできない。この哲学的精神はいたるところにあって、いかなる体系にも属することなく、単に一切の科学のみならず、また一切の人知を支配しなければならぬものである。私が哲学的体系からは全く遠ざかりつつ、しかも哲学者を大いに愛好し、彼らとの交際において無限の愉悦を味わっている理由はこれである。実際また科学的見地から見ても、哲学というものは未知の事象を認識しようとする人間理性の永遠の憧憬をあらわしている。それ故に哲学者はつねに異説粉々たる問題とか、科学の高尚な部分、上級の限界などとかに関係している。そしてそこから科学的思想に向って、これを活気づけ、高尚にするような運動を伝える。哲学者はまた、一般的の知的訓練によって精神を涵養しつつ強壮にし、それと同時に、到底説きつくすことのできないような大問題の解決に、精神を絶えず接触させているのである。このようにして哲学者は、未知に対する一種の飢渇、或いは研究の聖火ー学者にあってはこれが決して消えてはならないーを維持している。
クロード・ベルナール 「実験医学序説」(実験医学はいかなる医学の学派にも哲学の体系にも属さない)
2018年2月11日日曜日
政治家たちは、節制や正義の徳を無視して、愚にもつかぬもので国家を腹いっぱいにしてしまった。
つまり、人びとが欲しがっていたもので、もてなしたなら、人びとにご馳走をした連中、その連中を君は褒めそやしているのだ。また、人びとのほうは、この連中が国家を大きくしたのだと言っているが、事実はしかし、あの昔の政治家たちのせいで、国家はむくんでふくれ上り、内部は膿み腐っているのだということに、気がつかないでいるのだ。なぜなら、あの昔の政治家たちは、節制や正義の徳を無視して、港湾だとか船渠だとか、城壁だとかとか貢租だとか、そういった愚にもつかぬもので国家を腹いっぱいにしてしまったからなのだ。だからあとで、あのいま言われたような病気の発作が起った場合には、人びとはその責任を、ちょうどその時時傍にいて忠告する人たちに負わせて、この災難の責任者のほうは、これを褒めそやかすであろう。そこで、要心しないと、人びとは君に向かって攻撃してくるかもしれないのだ。人びとが新たに獲得したものだけでなく、最初から持っていたものまでも、その上に失うようなことになった場合にはだよ。君にしても、その災難の真の責任者ではなくて、おそらくは副次的な責任があるだけだろうにね。
プラトン「ゴルキグアス」
2018年2月10日土曜日
最後の時が来た折には、時分の過ぎ去った全生涯をまるで違った風に考え始めて、ひどく悲しむだろう。
あなたは、自分が夕方まで行き着けまい、と思い見なさい。また夕べが来たならば、あしたまでの生を約束されているなど、敢えて思ってはならない。それゆえ、いつも用意を怠らずに、死に不意打ちを食わされぬような生き方をしなさい(ルカ・21の36)。不意に、また予期せぬ時に、死ぬものが多い。なぜかというと、「思いがけない時分に人の子は来るだろう」から(マタイ・24の44)。この最後の時が来た折には、あなたは時分の過ぎ去った全生涯を(今とは)まるで違った風に考え始めて、ひどく悲しむだろう、時分がそれほど怠慢で、だらしがなかったことを。
ああ、愚かな人よ、どうして長く生きてゆけると考えるのか、一日として確かなは持てないものを。どれほど多数の人々が、長く生きてゆけると思っていたのに、その望みを奪われたことか、思いかけずに現身を引き離されて。いくたびにあなたはこういうのをきいただろう。あの男は刀で殺された、彼奴は溺れて死んだ、彼奴は高い所から落ちて頸を折った。彼奴は食事をしながら固くなった。彼奴は遊びながら往生したなど。火で死んだ者、刃物で死んだ者、疫病で死んだ者、盗賊に殺された者などとりどりである。そして万人の行きつくところは死であり、人間のいのちは影のようにたちまち移りゆくのである(ヨブ・14の20)。
トマス・ア・ケンピス (第23章 死の瞑想について)「キリストにならいて」
2018年2月8日木曜日
盂蘭盆会を催し、燈をともし経文を念じ、幽冥に沈倫して、極楽に行くことの出来ない者を済度する。
盂蘭盆会
中元の日各寺院では、盂蘭盆会を催し、燈をともし経文を念じ、幽冥に沈倫して、極楽に行くことの出来ない者を済度する。仏典を見るに、「日蓮は彼の母が餓鬼の中に生まれ返って食べることが出来ないので、釈尊は盂蘭盆会を7月15日に催さしめ、五味百果を盆中に盛り、普く十万の大徳寺を供養し、而る後に日蓮の母にも食を得さしめた。そこで日蓮が釈尊に向ひ「凡て仏弟子の中で親孝行は盂蘭盆会の供養を行わなければなりますまい」と申上げると、釈尊は「大いに善」と答えた。それで後世にこれに従うのだ」と記して居る。又「釋氏要覧」には盂蘭盆とは乃ち天竺の国語で、支那語では倒懸の苦を解き救うという意味だ。今の人人が盆を設へて供物するのは誤りである。
清敦崇「北京年中行事記」
2018年1月28日日曜日
悲劇では行為する人々の再現であるから、視覚的装飾が悲劇を構成する要素でなければならない。
悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによって行われ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化を達成するのである。ここで快い効果をあたえる言葉とは、リズムと音曲をもった言葉のことを、それぞれの媒体を別々に用いるというのは、作品のある部分は韻律のみによって、他の部分はこれに反し歌曲によって仕上げることを意味する。
悲劇では行為する人々が再現をおこなうのであるから、まず視覚的装飾が悲劇を構成する要素の一つでなければならない。つぎに歌曲と語法が悲劇の要素としてあげられる。なぜなら、これらを媒体として再現がおこなわれるからである。ただしここで語法というのは、言葉を韻律にあわせて組みたてることだけを意味する。
悲劇は行為の再現であれ、行為は行為する人々によってなされるが、これらの者は性格と思想においてなんらかの性質をもっていなければならない。というのは、性格と思想によって行為もまたなんらかの性質をもつとわたしたちはいうのでありー行為には、おのずから思想と性格という二つの原因がある。ーそしてすべの人々は、このような行為に応じて、成功したり失敗したりするのである。
詩人の仕事は、すでに起こった断る語ることではく、起こりうることを、すなわち、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方が起こる可能性のあることを、語るこどある。歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。したがって、試作は歴にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。といのは詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別なことを語るからである。
アリストテレス(悲劇の定義と悲劇の構成要素について)「詩学」
2018年1月21日日曜日
奴隷による耕作は大なる社会においては存続することはできない。
「奴隷による耕作は大なる社会においては存続することはできない。」
かくして人が互いに集まって大なる社会を構成するとき、新たにに加わる奴隷は耕作によって生じる消費に応じきれなくなる。しかして、人は家畜を用いて人間労働を補うけれども、漸次奴隷による土地耕作は不可能となる時代が来る。これ奴隷使用は家内の用務のためにのみ限られ、結局それは消滅するに至る。なぜなら、国家の文明が進むに従い、国家は戦争による捕虜を互いに返す協約を結ぶからである。かかる協約は、各国人が奴隷に陥る危険から遠ざかることに大なる利益をもつだけ、それだけ容易に締結される。
アンヌ・ロベール・ジャック・チュルゴオ「冨に関する省察」(白)
2018年1月14日日曜日
流通する以上の紙幣の増加によって、戦時中生産が容易となり、劣った土地が容易に耕作されたので、平和回復後の滞貨と低物価を増すようになった。
金紙の開き以上に出る通貨の価値変動が、どの程度までイングランド銀行正貨支払い制度条例および正貨支払い制度への復帰に帰せられかは、なかなか容易にはいえない。紙幣は金と平価を維持していたのであるが、通貨が前戦時下ではなはだしく下落し、平和回復に伴う諸事情のもとではなはだしく騰貴しているであろうということ、これにはすこしも疑うわけにはいかない。金と平価で流通する以上に出る紙幣の増加によって、戦時中生産が容易となり、劣った土地が容易に耕作に付されたので、それが平和回復後の滞貨と低物価を増すようになったことが、おそらく唯一の差異であったろう。
けれじも平和回復後の土地所有者に対する重圧がどんなであったろうと、公債所有者を犠牲にして償いをもとめようとする試みに対しては、土地所有者にはいささかの弁解もなりたたない。運はめぐりあわせであるから、あらゆる党派は公明正大に振舞うべきである。どんな階級の人でも、不正な恥ずべき手段を講じて、他をおとしいれ、自己の繁栄をはかろうとするのでは、正しいとはされない。とりわけわが国の土地所有者たちは、こんな手段を考えおよんではならない。今日どんな迷惑をこうむっていようと、かれらは、疑いもなく、自分たちの苦境を救ってもらう権利があると考えている当の人たちにくらべると、はるかに大きく通貨の価値変動の利益に均霑してきたからである。
トマス・ロバート・マルサス「価値尺度論」(白)
2018年1月7日日曜日
無礼な子供に、コテで焼印をつけ、驢馬を飼うためにパンの寄与を強要して餓死させた。
植民者はもっと大きな犯罪の罰として、監獄船に乗せられていた。友人こそ、この男を絞首台へ連れていった有り難い人であった。この小暴君ネロは、自分に無礼をしたという子供に、真赤に焼けた壁土を貼るコテをもって真実に焼印をつけたり、若驢馬を飼うために、我々の食用のパンを半分づつ出せと寄与を強要して、我々四十人をほとんど餓死させたのである。その驢馬というのは、一寸信じられない話であるが、情婦であった保姆の娘に黙認してもらって、そっと連れ込んで来て、監房と言われた寄宿舎の鉛板の屋根の上に飼っておいたのである。この慰みは一週間以上も続いたが、この馬鹿な獣類、自分の幸運を黙っていることができず、落ち着いて己を制していることができたら、カリギュラの馬よりも、幸福であったろうにー物語にあるその同類の何れかよりも、ああ更に愚かにもー飽食して得意になり、蹴散したりして、不幸にもある時、思わず下界に向かって声を挙げて、自分の幸運を呼ばずにはいられなくなった。それで一生懸命、その一つと調子の喉をしぼって、もう隠し仰せぬような角笛の一声を吹き立てたのである。一種の情状酌量が加えられ、驢馬の保護者がその折どんな咎めを受けたか、それは知らない。
チャールズ・ラム著 (クライスツ ホスピタル (三十五年前の) )「エリス随筆集」
2018年1月6日土曜日
すでに人間と生まれたからには、いかに才能、古今にすぐれ、識見、天地をきわめつくそうとも、人の境界を出ることはできない。
すでに人間と生まれたからには、いかに才能、古今にすぐれ、識見、天地をきわめつくそうとも、人の境界を出ることはできない。そうであるからには、学ぶのも身を修めるのもすべて、人事のためです。それゆえ、内にあっても、外に出ても、貴は君公の位にあろうと、賤は奴婢早隷にいたろうと、ただもう人の間のことですから、ただ孝悌、忠信、礼儀、廉恥の間のことなのです。もし、道というものをこの人の外に立て、人事に害をなすならば、それは人の世、どこにいこうとも、非でありましょう。つまるところ、民衆を安んずるより大いなる道はなく、民衆を利するよりすぐれたる功はありません。そこで、上は一人から下は民衆にいたるまで、その身分に差等はあっても、天の生生の徳にならい、天物をそこなわず、人それぞれが造化を助けようと心がけるなら、天地の大徳に背かないですむのではありますまいか。人は生まれるとすでに早く各己の天地を有し、おのおのの混倫の体を立ておのおのの鬱勃の神を活かしています。人間とはそのようなものですから、人間あいての政治にあってはときに権謀術数をもって民衆を御するなりゆきにもなります。しかし制御するにしても、もしそのやり方に徳を失すれば民衆は粥のようににえたぎって、その権謀も用をなさなくなります。それぞれの心の鬱勃、それぞれの身の混倫と、同じものをもちながらそれぞれ異なったものを同居させている。これが人間です。
三浦 梅園 (人使然の世界)「自然哲学論集」
2018年1月1日月曜日
「文化」を集団運動の意味のみに解しようとしたり、昔の戦争を「不道徳」として文化の中へ数えまいとしたりする。
文化の概念をあまりに狭く局限された一群の諸客体だけに限る諸規定を取り扱わねばならない。文化なる語が多くの人々に対してむしろ不快な副次的意味を多分生じて来たからのことであって、この副次的意味から、文化科学なる用語の嫌悪されるわけが判然するであろう。私はもちろん科学とは何の関係もない文化闘争や倫理教化運動のような複合語のことを言うのではない、且つまた「文化」を集団運動の意味のみに解しようとしたり、昔の戦争を「不道徳」として文化の中へ数えまいとしたりする、一部の方面からなされた言葉の濫用に、この語の使用の嫌われる所以があると考えるのでもない。私はむしろ、世間一般にあれほど人気のある「文化史」なる概念と特に結びついている思想を眼中に置いているのである。いわゆる文化史なる学問と、例えば政治史との間に立てられた対立と我々のいう文化の概念とは全く無関係にしておかれなくてはならぬからである。我々の規定によれば、一方において国家は全く国民経済や芸術と同様に一個の文化財であるが、誰も直ちに国家生活と同一視することもできぬ。が他方においてはまた、文化生活を直ちに国家生活と同一視することもできぬ。
ハインリッヒ・リッケルト「文化科学と自然科学」
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