戦乱干戈の間にして創建し、太平の余化より出でし盛挙に及ぶの暇あらんや。
かへすがへすも翁は殊に喜ぶ。この道開けなば千百年の後々の医家真術を得て、生民救済の洪益あるべしと、手足舞踏雀躍に堪へざるところなり。翁、幸ひに天寿を長うしてこの学の開けかかりし初めより自ら知りて今の如く隆盛に至りしを見るは、これわが身に備はりし幸ひなりとのみいふべからず。伏して考ふるに、その実は恭く太平の余化より出でしところなり。
世に篤好厚志の人ありとも、いづくんぞ戦乱干戈の間にしてこれを創建し、この盛挙に及ぶの暇あらんや。恐れ多くも、ことし文化十二年乙亥は、二荒の山の大御神、二百とせの御神忌にあたらせ給ふ。この大御神の天下泰平に一統し給ひし御恩沢数ならぬ翁が輩まで加はり被むり奉り、くまぐますみずみまで神徳の日の光照りそへ給ひしおん徳なりと、おそれみかしこみ仰ぎ猶あまりある御事なり。
杉田 玄白「蘭学事始」