2017年5月20日土曜日

戦争は知覚されることであり、知覚されることを抜きにして戦争は存在しない。

 平明な常識の大道を歩んで自然の訓えに支配される無智な人類大衆は、概ね安穏で心を錯乱されていない。この人たちにとっては、馴染みのものはすべて、說明が不可能ではないと思われ、了解に困難でないと思われる。その人たちは、感官が明証を欠くという不平を少しも言わなく、懐疑論者になる危険性は全くない。
 しかるに、私たちが感官と本能を去って、一そう優った理知の原理の光に隋うや否や、すなわち事物について推測し、静思し、省察するや否や、以前には遺漏なく了解したように見えた事物について、百千の懐疑が心に湧き起こるのである。感官の偏見と過誤とはあらゆる方面から姿を現わして、私たちに視えてくる。そして、こうした偏見や過誤を理知によって訂正しようと力めながら、私たちは知らず識らずに奇怪な逆説や難問や撞着に陥る。この逆説や難問や撞着は、私たちが思索を進めるにつれて累積し、成長して、ついに、多くの錯綜した迷い路をさまよったすえ、私たちは、自分がちょうど前にいた所にいるのを見出すか、あるいはなお悪いことには、寄る辺ない懐疑のうちに座り込むのである。

ジョージ・バークリ「人知原理論」