2017年5月1日月曜日

個人が家長たる地位にあり武士団の全体を拘束する

  武士団が主従関係を根幹としていることから来る当然の結果である。族的結合は共同の祖先をもつという意識によって結合する集団であり、その構成単位は個人ではなくして常に家であるから、族的関係自体は個人にとってはただ家を通じてのみ関係をもつ非選択的な所与である。族的関係は、それを構成する家の続く限り永劫であり個人のそれへの隷属は絶対的である。
 これに対して主従関係は、わが国の如く主人と従者における身分的倫理的結合が強く、契約的関係が稀薄であっても、本質的には人格的結合である限り、それは個人対個人の関係でなければならぬ。それが家と家との結合の如き外観を呈するのはそれらの個人が家長たるの地位にあり、したがってその行為は家全体を拘束するからに外ならないと思う。家子郎党が譜代的に主家に臣従する関係は武家社会において望まれたことではあったが、しかし普遍的事実でもなく、また主従関係の特質でもなかったことは、『貞永式目』第十九条の規定から知られる。武士団はその主要な構成分子が同族関係のものであっても、それが個人によって形成され、したがって族的結合の個人に対する関係に比較すれば、より自由な結合の形式である。したがってそれは原則的には同族関係に拘束されることなく、同族関係より広い人間を組織し得たのである。
石母 田正『中性的世界の形成』