2017年5月7日日曜日

意志によって世界は全体として別の強弱の世界へと変化する。

 意志によって世界は全体として別の世界へと変化するのでなければならない。いわば、世界全体が弱まったり強まったりするのではなければならない。

 幸福な世界は不幸な世界とは別ものである。

 同様に、死によっても世界は変化せず、終わるのである。

 死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。

 永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである。

 視野のうちに視野の限界は現れないように、生もまた、終わりをもたない。

 人間の魂の時間敵な不死性、つまり魂が死後も生き続けること、もちろんそんな保証はまったくない。しかしそれ以上に、たとえそれが保証されたとしても、その想定は期待されている役目をまったく果たさないのである。いったい、私が永遠に行き続けたとして、それで謎が解けるとでもいうのであろうか。その永遠の生もまた、現在の生と何ひとつ変わらず謎に満ちたものではないか。時間と空間のうちにある生の謎の解決は、時間と空間の外にある。ここで解かれるべきものは自然科学の問題ではない。

 世界がいかにあるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界のうちには姿は現しはしない。

ルートヴィヒ・ウィトゲンスタイン「論理哲学論考」