2017年9月6日水曜日

悲劇は魂を高調に導き、高揚せしめんと期待するものである。

 問題の解決は、悲劇が文学の最高部門として認められているために、特に困難であるように思われる。悲劇は魂を高調に導き、また我々を高揚せしめんとするものである。ゆえに人は悲劇において、至高・至貴・至福なる姿を、またー言い得えればー最も神に適き姿を見ることを期待するかも知れぬ。しかるに悲劇が事実我々に示すところのものは、これと甚しく異なっている、ー即ちそれは専ら苦悩であり没落ーしかももますます極めて優れた人々の没落であり、また劇場、犯罪或いは狂気等である。
 しかも悲劇は、更にこの他に一見不可解な矛盾を含んでいる。喜劇においては個々の要素がいかに不合理であるにせよ、なおその全体は少なく共に一種の満足な表情を与えるけれども、悲劇にはかくの如きもの存せず、会々存するとしても極めて稀有な場合に限られている。実際、事件はおおむね極りなき葛藤の解決を告げ、顧客は悲しみに覆われた心を懐いて劇場を辞するのを常とする。
フランツ・ブレンターノ (悪)「天才・悪」