2017年9月5日火曜日

大和魂を以て鍛錬した鋭利な日本刀で手当たり次第に斬って切り捲ろうと向不見ずの野蛮な考えがあった。

 朝廷からは始終かわらずに攘夷鎖港の勅諚があるにもかかわらず、幕府においてはいつまでも因循して居て、今に朝旨を遵奉せぬというのは、すなわち絨狄是れうち荊舒是れ懲らすという格言に背いて、征夷将軍の職分を蔑如するものである。かくの如き姿では、目前洋夷のために我が神州を軽侮される次第で、万々一にもこの後もし城下の盟いをするように通商条約でも許したならば、それこそ我が国体を汚辱するものといわねばならぬ始末である。仮令和親をするにもせよ、まず一度は戦って相対の力を比較した後でなければ和親というものではない。ナニ彼に堅艦巨砲があっても、我にはいわゆる大和魂を以て鍛錬した日本刀の鋭利があるから、手当たり次第に斬って切り捲ろう、という向不見ずの野蛮な考えであって、今から見ると、まことに笑うべき話にすぎないけれども、その時は攘夷一途に思い込んだ頭脳だから、しょせんこの幕府では攘夷などは出来ぬ、そのうえも徳川の政府は滅亡するに相違ない、何故だというのに、世官世職の積幣が既に満政府を腐敗させて、つまる処、智愚賢不肖各々その地位を顛倒してしまった。
渋沢 栄一「雨夜譚」