外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つものに水の恵みを与えるということはない。人は自然の脅威と戦いつつ、砂漠の宝玉なる草地や泉を求めて歩かねばならない。そこで草地や泉は人間の団体の間の争いとなる。すなわち人は生きるためには他の人間の脅威とも戦わねばならなぬ。ここにおいて砂漠的人間は砂漠的なる特殊の構造を持つことになる。人と世界との統一的なるかかわりがここではあくまでも対抗的・戦闘的関係として存する。人が自然において見るところのおのれは死である。死を見ることによって人は生を自覚する。すべての「生産」は人の側にあり、従って外なる自然の生産を「恵み」として持ち望むことはできぬ。草地と泉と井戸とを自然より戦い取ることによって人は家畜を繁殖させる。「埋め、殖やせ」が死に対する生の戦いである。
和辻哲郎「風土ー人間的考察ー」