2017年9月18日月曜日

教会が同じ考えをいだかせるように、教会のきめた意向にそむくものは異端者と見なされた。

 民間信仰は中世をつうじてヨーロッパのどこでもおなじであったと思ったら、それは大まちがいだということである。善の力、つまりイエス・キリストの国についてはヨーロッパじゅうのものが同じ考えをいだいていた。またローマ・カトリック教会が同じ考えをいだかせるようにほねおってきた。この点については教会のきめた意向にそむくものは異端者と見なされた。けれども悪の力、つまりサタンの国については所によっていろいろとちがう意見がひろがっていた。ゲルマン語系の北方の民族はこのサタンの国についてはローマン語系の南方の民族とはまったくちがった考えをいだいていた。これは次のような事情でおこったことだ。つまりキリスト教の牧師らはそこにいあわせた古来の民族信仰の神々をまったくの妄想として否定しまわないで、じっさいに存在するものとしてみとめたのである。けれどもみとめながらもこう主張した。「これらの神々はすべて男性か女性のあくまである。イエス・キリストが勝利をえたので、これらの神々は人間を支配する力をうしなってしまって、今では肉のよろこびやわるだくみによって人間を罪にさそいこもうとしているのだ。」ギリシャの神々のすむと云われるオリンポスの山は天空にある地獄になってしまった。
ハインリッヒ・ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」