2017年11月16日木曜日

時に声あり胸中に聞ゆ、細くして殆ど区別し難し、尚ほ能く聞かんと欲して心を沈まれば其声なし。

   時に声あり胸中に聞ゆ、細くして殆ど区別し難し、尚ほ能く聞かんと欲して心を沈まれば其声なし、然れ共感霊懐疑と失望を以て余を挫かんとする時其声又聞ゆ、曰く「生は死より強し、生は無生の土と空気とを変じアマゾンの森となすが如く、生は無霊の動物体を取り汝の愛せし真実と貞操の現象となせし如く、生は人より天使を造るものなり、汝の信仰と学術とは未だここに達せざるか、此地球が未だ他の惑星と共に星雲として存せし時、又は凝結少しく度を進め一つの溶解球たりし時、是ぞ億万年の後シャロンの薔微を生じレバノンの常磐樹を繁茂せしむる神の楽園とならんとは誰が量り知るを得しや。最初の博物学者はけむし変じてまゆと成しときは生虫の死せしと思ひしならん、他日美翼を翻へし日光に逍遥する蛾はかつて地上に匍匐せし見悪くかりとものなりとは信ずる事の難かりたらん。暗黒の時代より信仰自由と代議政体が生まれ、「三十年戦争」の劇場として殆ど砂漠と成しドイツこそ今は中央ヨーロッパの最強国になりしにあらずや、地球と人類が年を越ゆる程生は死に勝ちつつあるにもあらずや、さらば望と徳とを有し神と人とに事えんと已を忘れし汝の愛するものが今は死体となりしとて何ぞ失望すべけんや、理学も歴史も哲学も皆希望を説教しつつあるに何ぞ汝独り失望を信ずるや」。
内村 鑑三 (愛するものの失せし時)「基督教徒のなぐさみ」