2016年8月20日土曜日

征韓論と文明開花による正義の犠牲

 私は、アメリカ合衆国のマシュー・カルブレス・ペリー提督こそ、世界の生んだ偉大な人類の友と考えます。ペリーの日記を読むと、彼が日本の沿岸を攻撃するのに、実弾にかえて賛美歌の頌栄をもってしたことがわかります。ペリーに課せられた使命は、隠者のくにの名誉を傷つけることなく、また生来のプライドを棚上げしたままで、日本を目覚めさせるという、実に微妙な仕事でありました。彼の任務はほんとうの宣教師のしごとでありました。「天」からの大きな助けによって、世界を治める方に捧げる多くの人々の祈りとともに、はじめて達成される仕事であります。世界の国を開くにあたり、キリスト信徒の提督を派遣されて国は「まことに幸いなるかな」です。
 キリスト信徒の提督が外から戸を叩いたのに応じて、内からは「敬天愛人」を奉じる勇敢で正直な将軍である西郷隆盛が答えました。二人は、生涯に一度もたがいに顔を合わせることはありませんでした。たがいに相手を称えることも聞いたことがありません。だが、二人の生涯を描こうとする私どもは、外見はまったく相違しているにもかかわらず、両者のうちに宿る魂が同じであることを認めます。知らぬ間に二人は共同の仕事に参加し、一人が始めた仕事を、残る一人が受け継いで成就したのです。このように、ただのくもった人間の目には見えなくても、思慮深い歴史家の目には見事に「世界精神」が「運命の女神」の衣装を織りなすのがわかります。

  西郷隆盛は、日本がヨーロッパの「列強」に対抗するためには、所有する領土を相当に拡張し、国民の精神をたかめるに足る侵略策が必要とみたのです。西郷には日本国が東アジアの指導者であるという一大使命感が、ともかくあったと思います。
 征韓論ほ抑えたことにより政府の侵略策は全て消え、日本国はいわゆる文明開化一色となりました。それとともに、真の侍の嘆く状況、すなわち、手のつけられない柔軟、優柔不断、明らかな正義をも犠牲にして恥じない平和への執着、などがもたされました。

 内村 鑑三 「代表的日本人」一西郷隆盛