2016年12月6日火曜日

戦争は種の異同ではなく政治である

 ことに従前白人が抱いていた有色人種のごときは、我々は自ら学ぶことによって、これにかぶれるのを予防することが大切である。黄色という類の人種差別などは、考えれば考えるほど怪しいものだ。彼らの謂うところの蒙古人とはぜんたい何であるか、韃靼はヨーロッパに入って今の露国人の要部をなし、ラップやフィンも早くからその一隅に住んでいた。ハンガリア人はアリアン種の真中に国を作り、血は半ば化して言語と思想には古い伝統を保っている。その他東方から遠く移って、末は混同したものの痕跡は、今でも尋ねたら次第に分かってくる。これと対立してペルシアにもインドにも、もと白人と同種と称する人民が多数にいて、これまた甚だしく差別されているのである。
 血は到るところ混同し、宗教もまた大いに入り交ろうとしている。要するに種族の抵触は政治であって、種の異同に基づくものではなかったのである。翻って白人彼ら自身の国を見ても、大陸の種族は横にほぼ三段に分れ、国は河流山脈などに由って、かえって縦に分解せられていた。
 即ち人種は共通なるにもかかわらず、ドイツ・フランスなどと政治的に対立すると、殺し合わなければ承知しなかったのである。結局はいかに顕著なる人としての共通点があろうとも、依然として以前の民族は相闘争していたということを見だすのほかないのである。
 この悲惨な状態は、不幸にして現在まで続いた。我々が白人の跋扈と名付けたのも、じつはたんに白人の国の中にばかり、跋扈しうる力のある国があったということを意味づけるだけである。前には班葡蘭英仏、後には白独米などと、要するに一時覇をとなえた一または二の国民のみが、その威力を各方面に振ったまでで、抵抗力のことに弱い擁護者の一人もなかった遠洋島上の土人らほどひどい目に遭っていないが、近隣の国民たちもむしろ大か小か被害者の側に立っているくらいである。たとえば東ヨーロッパのあわれな住民などは、我々の目から見ればひとしく白人だが、有色人をいじめ殺した責任は、他の大国民と分担するわけに行かぬのみか、彼ら自身もまた被害者の中である。

柳田 国男「青年と学問」