2016年8月28日日曜日

殺人刀は天道の成敗

殺人刀

 古にいえる事あり、「兵は不祥の器なり。天道これを憎む。止むことを得ずしてこれを用いる、これ天道なり」このこと如何にとならば、弓矢・太刀・長刀、これを兵といい、これを不吉不祥の器なりといえり。その故は、天道は物本来の生命力をいかす道なるに、かえって殺す事をとるは、まことに不祥の器なり。しかれば天道にたがう所をすなわち憎むといえるなり。
 
 しかあれど、止むことを得ずして兵を用いて人を殺すを、また天道なりという。その心は如何となれば、春の風に花咲き緑そうといえども、秋の霜来て、葉おち木しぼむ。これ天道の善をなし悪を敗成るなり。物が十分に出来上がる所を、打つことは理あればなり。人も運に乗じては、悪をなすといへども、其悪の十成する時は、これをうつ。心をもって、兵を用いるも天道なりといへり。一人の悪によりて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。これら誠に、人を殺す刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。
 その兵を用いるに法あり。法をしらざれば、人をころすとして、人にころさるるならし。熟思う、兵法といはば、人と我と立ちあうて、刀二つにてつかう兵法は負くるも一人、勝つも一人のみなり。これはいとちいさき兵法なり。勝ち負けともに、その得失わずかなり。一人勝ちて天下から、一人負けて天下まく、これ大なる兵法なり。一人とは大将一人なり。天下とは、もろもろの軍勢なり。もろもろの軍勢は、大将の手足なり。もろもろの勢いをよくはたらかぬは、大将の手足はたらかぬなり。太刀二筋にて立ちあふれて、習にとらわれずに自由自在に刀を使うことをなし、手足よくはたらかして勝つごとくに、もろもろの勢をつかい得て、よくはかりごとをなして合戦に勝つを大将の兵法というべし。

柳生 宗矩「兵法家伝書」