2017年1月29日日曜日

全く盲目的な好奇心に捉えられている戦争

 事物の真理を探究するには方法が必要である。

 人間とは全く盲目的な好奇心に捉えられているので、しばしば、何の見込みももだず、ただみずから求めるものが見つかるかどうか試して見たいばかりに、知らぬ途によってその精神を導くものである。あたかも、宝を見出そうという愚かな欲望に燃える者が、絶えず街路をうろつき、何か旅人の落とした物でもひょっと見つかるかと探しまわる、と同じである。すべてそういう努力をしている。そして実際、迷い歩くうちに時として幸いにも何らかの真理を発見することのあるのを、私は否定せぬ。けれども、だからといって、かれらが、他人よりも有能だというわけにはゆかぬ。より運がよいといえるだけである。ともかくも、事物の真理を探ねるのに、方法なしでやるくらいなら、それを全く企てない方が遥かにましなのである。というのは、そういう無秩序な研究や不明瞭な省察によって自然的な光明が曇らされ精神が盲にされるにきまっているからである。そして誰でもかようように暗闇の中を歩きなれると、視力を弱らせてしまい、後には明らかな光にに耐えられなくなくなる。このことを経験もまた確証する。なぜなら、少しも学問をしたのことのない者が、ずっと学校にいた人よりも、遥かにしっかりとした判断を、目前の事物について下すこと、きわめて多いからである。ところで私が方法というのは、確実な容易な規則、それを正確に守る人は誰でも、虚偽を真理として認容することは決してなく、精神の努力を無益に費やさず常に次第に知識を増しつつ、その達しうる限りの事物の、真の認識に到達するであろうな、規則である。

ルネ・デカルト「精神指導の規則」