2017年1月24日火曜日

帝国主義の戦争と投降が人民大衆を圧迫する

 帝国主義が、主要な矛盾と主要でない矛盾との関係が複雑な状況を示している半植民地国に対して侵略戦争をおこなっているときには、このような国の内部の各階級は、一部の売国分子をのぞいて、すべて一時的に団結して民族戦争をおこない、帝国主義に反対することができる。そのときには、帝国主義とその国とのあいだの矛盾が主要な矛盾となり、その国の内部の各階級のあいだのすべての矛盾、封建制度と人民大衆との矛盾という主要な矛盾を含めて、いずれも一時的に、第二義的で従属的な地位にさがる。中国の1894年の中日戦争、日清戦争、朝鮮に対する干渉をきっかけとしておこった。敗北した清朝政府は日本と馬関条約を結んだ。1900年の義和団戦争、および当面の中日戦争、1937年7月7日のいわゆる盧溝橋事件にはじまり、8年間続いた。いずれもこのような状況がみられる。
 しかし、別の状況のもとでは、諸矛盾の地位に変化が生まれる。帝国主義が戦争によって圧迫するのではなく、政治、経済、文化などの比較的温和な形式によって圧迫するばあいには、半植民地国の支配階級は帝国主義に投降し、両者が同盟を結び、共同して人民大衆を圧迫する。こうした場合には、人民大衆は、しばしば国内戦争の形式をとって、帝国主義と封建階級の同盟とたたかい、そして帝国主義は、しばしば間接的な方式をもって半植民地の反動派が人民を抑圧するのを援助し、直接的な行動をとらない。このような場合には、内部矛盾の特別な鋭さがあらわれてくる。中国の辛亥革命戦争、1924年から1927年までの革命戦争、1927年以後の十年間の土地革命戦争には、いずれもこのような状況がみられる。さらに、半植民地国における各反動集団の間の内戦、たとえば、中国の軍閥戦争も、この部類に属する。

毛沢東「実践論・矛盾論」