2017年1月10日火曜日

独裁とは権力と利益を熱望する支配欲

   独裁とは権力と利益とを熱望する支配欲であると考えられるので、独裁者とはつぎのようなものである。庶民が、だれだれを挙げて執政官の補佐として祭礼の行列を司らしめたものかと協議をしている。その場にでて、その人たちは当然全権をにぎるべきものであると主張する。他のものらが人数は十名ではどうかと申出ると、それに答えて、言う「一名で十分である、ただしその者が真人間でなくてはならぬ」。

 ホメロスの詩句のなかでただこの一言だけを覚えている「多数統治は好ましからず、治者は一人たるべし」。その他は皆ご存じない。また得意顔につぎのように口説をもてあそぶ「われわれは結束して自ら之等の事件を審議しなければならない。愚民や市場を遠ざけよ。当路の者につきまとったり、かれらより侮辱や恩顧をうけたりすることを慎めよ」。端然と上衣をまとひ、程よく髪を刈らせ、念入りに爪をつませ、日の頂きをみはからって家をでて次のやうな御託をならべながら、そこらをのしまわる。

 「公務に向うて口嘴をはさむのが一体なんのつもりか合点がいかぬ」「あさましいものは民衆である、いつも施す人と与える人との奴隷となっているんだ」大会のときみすぼらしい不潔な者にそばにすわられると気がひけるものだ。

 またいう「いつになったら、わしらは公役や兵船用意で破産の憂目をのがれることか」「憎むべきは民塊の一味である。まず最初に民衆の手にかかって殺されたのは、全部の大衆を統御し在来の王権を覆滅したその人であった。」そのほかこのようなことを他国の人々へも、また市民のうちで同気同好の者どもへもいう。

テオフラストス「人さまざま」