2017年1月15日日曜日

暴君は暴逆で統率し民衆も暴逆を行う

 わが身をよく修める根本がでたらめで、末端の国や天下がよく治まっているのは、めったにない。力を入れることを手薄にしながら、手薄でもよいところがりっぱにできているという例は、まずないものだ。つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事をはたらいてどんなことでもやってのける。自分の悪事を隠して善いところを見せようとする。
 暴君は、自分で暴逆を行って天下を統率したから、民衆もそれに従って暴逆を行った。君主の命令が君主のほんとうの好みとはうらはらだというときは、そんな命令に民衆はしたがわない。一方的に相手を責めるだけでいて、他人をうまく納得させたという人は、あったためしがない。
 根本のことをなおざりにして末端に力を入れたりすると、民衆を利のために争わせて、奪い合いを教えることになる。財物に努めてお上の倉に集めると、民衆の方は貧困になって君主を離れて散り散りになる。道にそむいて手に入れた財貨は、道にそむいて出てゆくものだ。
 実利と名声を求め、小手先の技術を説くなど、世を惑わし民くさをたぶらかして仁義の教えをふさぎ止め、雑然といり乱れることになった。小人としての庶民は不幸なことに最高の統治の恩恵を受けることができないようになった。世の中は真っ暗になってふさがり、上下はひっくりかえって死病にとりつかれ、五代の衰世ともなると、世の乱はついに頂点に達した。

曾子・子思「大学・中庸」