第一に、犯罪学者は、いわゆる「群衆犯罪」の本質について、劇場の観客心理の社会学的研究から多くのものを学ぶことができるであろう。なぜなら。劇場では、集団的衝動的行動の対象がつね明確に決まっていた、この行動が、芸術といういわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとっていわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとって非常に重要なことであるがー個人が居合わせた多数者によって如何に規定されるか、個人の価値判断や客観的な価値判断が「集団的感動」によって如何に排除されるか、それが他に見られぬほど純粋実験的に、また有無を言わせぬように観察され得るからである。
第二に、宗教学者は、往々、教団の生活、その内部における犠牲的態度を教団の全員に共通な理想への献身ということで説明し、現世の生活の規律を生身の人間の生活を超えた完全な状態への期待ということで説明しようとする。ーつまり、それを宗教的信仰内容の力によるものと見ようとする。しかし、共同の行動や相互間の行動で、これと同じ特徴を示しているということを宗教学者が知ったらーこうした類似は、二つのことを教えるだろう。
その一つは、宗教的行動というのは、宗教的内容とだけ結びついているものではなく、一般的な人間的な形式であって、この形式は超越的な対象において実現されるのみではなく、他の多くの感情に刺激された場合にも全く同様に実現されるものであるということ。もう一つ、宗教学者は、更に重要なこと、即ち、他から独立した宗教生活の中にも、特に宗教的でなく、むしろ社会的な諸要素が含まれているということ、つまり、ある種の相互的な態度や行為が含まれているということである。こういう態度や行為が宗教的感情と融合して発達して来たことは確かである。
ゲオルク・ジンメル「社会学の根本問題ー個人と社会ー」