監獄のなかには、収監されている人びとを見れば、その管理になんらかの誤りがあるに違いないとも誰もが確信するようなところがある。囚人の士気の痩せこけた顔つきが、ひどく惨めな境遇を無言のうちに物語るからである。入ってきたときには健康であった者の多くが、数カ月もたてば痩せ細り、生気を失った人間に変わり果ててしまう。ある者は病気になって ー すなわち「病気なのに監獄入り」という状態になって衰弱し、またある者は伝染病の熱病や天然痘に罹り、よどんだ空気のこもる監房の床で息をひきとる。これらの犠牲者が生じるのは、執政官や治安判事たちが残酷であるが故とまでは言わないにしろ、少なくとも彼らの職務怠慢に起因するものだとは言えるだろう。
このような惨状の原因は、監獄で物資の供給か乏しく、人間が生存するための最小限度の衣食にさえこと欠くところが少なくない、というところにある。
懲治院の囚人が強制労働を科されているのは周知の事実である。ならば、囚人たちの労働で食い扶持を賄うことはできないのか。そう問われるむきもあるかもしれないが、現実は信じがたい有様なのだ。何らかの作業を行っている、あるいは行える状態にある懲治院などはほとんど存在しない。なぜなら、囚人たちは作業のための道具も、いかなる種類の材料を持たないからである。怠惰と瀆神と堕落のなかで、彼らはいたずらに時間をすごしている。それがきわめて衝撃的な状況にまでいたっている施設も、現にわたしは目撃してきた。
ある著書から「ここにあげた悲惨さは、監獄のなかで経験することのできる諸害悪の半分にも及ばない。監獄は、貧困と悪徳が生み出しうる種類の堕落に満ちている。すなわち、ひどい無分別がまねく恥知らずで放埒な大罪の数々、飢えへの怒り、そして絶望にみちた怨嗟といったものがある。監獄の中では、人目もないだけに、法の力も及ばない。怖れもなければ、恥じらいもない。淫らな者たちが、より慎み深い者たちの欲望に火をつける。豪胆な者たちが、臆病者たちを鍛えあげる。誰もが心の底に残った分別に逆らうことができるよう、自らを鼓舞し励ます。自分がされることを他人にもしようとし、最も悪い手合いの仲間たちから、彼らのやり方を真似ることで喝采を浴びるのである。」
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」