2017年3月30日木曜日

民衆とは選挙を多数者に従って下す判断の結果となる

 何よりも最も大切なことは、我々は牧畜の群れのように、前を進む群のあとを追うべきではないということである。ー 進まなければならぬ途をたどることにはならず、単に皆の行く方向をたどるに過ぎないのだから。ところで、多数者の賛同に迎えられていることを最良のことと考え、流言に賛同することほど、また多くの人々の例にならい、我々が理性に従って生活することなく、人の真似をして生活することほど、我々を大きな禍に巻き込むことはない。
 人が倒れると上から上へとかさなって、それこそ大きな転倒者のやまが出来るのだ。民衆が押し合って、誰かが倒れると必ず他の人をも自分と一緒に引き倒さないではおかず、最初の者は次に続く人々にも破滅を至らすことになる。ーこの人間の甚大な数がうち倒れる時に起こるのと丁度同じことが、人生の至るところに起こるのがみうけられるであろう。一人が誤れば、自分ひとりだけではすまない。他の人を誤らしめる原因ともなり、また誘因者ともなる。即ち、先に進む人々に執着するということは害となるからであり、また誰もかもみな自分の判断を下すことなく、常に盲信するばかりで、手から手に移し渡される誤ちの為に我々は翻弄され、打ち倒されてしまうからである。我々は人真似によって失敗している。ただ人の仲間から離れさえすれば、安全になれる。
 事実、民衆とはおのれ自身の害悪をかばい、理性に反する態度をとるものである。これは選挙の場合におこる。即ち、気紛れなひいき心が動き回って、自分の投票した人物が、法務官に当選したからとて、投票者当人が驚いたりする。同じ物事を我々は是認したり、また非難したりする。多数者に従って下す判断は、すべてかくの如き結果となるものである。
ルキウス・アンナエウス・セネカ「幸福なる生活について」