「思い出の戦争」だけは真の戦争の抑止力となります。戦争により、横たわり、苦しんでいる市民を静かに見守る事しかできない。 戦争を目前にして、市民の地域と家族における存在の尊厳が失われている。 生活が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは僅かな存在にすぎない市民である。戦争の持つ悲惨な歴史を共感できない事にもよる。 世界大戦の戦争から原爆による終止符の犠牲で、市民は多くの辛酸を受けた。 戦争と貴重な経験による平和市民が読み継いだ「日本思い出の戦争」を授けたい。 戦争の荒波を渡ろうとしている市民代弁者として日本思い出の戦争をまとめる。 ささやかな戦争のメッセージである日本思い出の戦争記を平和市民に送り捧げたいために。@Jan/1/2016, JNW, japan.nowar@gmail.com
2017年5月31日水曜日
2017年5月27日土曜日
戦争の義務は、個人の意志ではなく道徳的法則に対する尊敬の念にて為す行為の必然性である。
義務とは道徳的法則に対する尊敬の念にもとづいて為すところの行為の必然性である。私の意図する行為の結果であるところの対象には、なるほど傾向をもつことはできるが、しかしとうていこれに尊敬を致すことはできない、かかる対象は意志から生じた結果にすぎないのであって、意志そのもののはたらきではないからである。同様に私は、傾向性一般をーそれが私の傾向であると、他人の傾向を問わず、ー尊敬することはできない、もしそれが私の傾向性であれば、ただこれを傾向として認めるのが精々だし、また他人の傾向であれば、それが私自身の利益に役立つ限り、時にこれを喜ぶことさえあるだろう。
それだから結果としてではなく、あくまで根拠として私の意志と固く連結しているところのもの、私の傾向性に奉仕するのではなくてこれに打ち克つところのもの、少なくとも対象を選択する際の目算から傾向性を完全に排除するところのもの、すなわちーまったく他をまつところのない法則自体だけが尊敬の対象であり得るし、また命令となり得るのである。そこで義務にもとづく行為は、傾向性の影響を、また傾向と共に意志のいかなる対象をも、すべて排除すべきであるとすれば、その場合に意志を規定するものとして意志に残されているところのものは、客観的には法則だけであり、また主観的にこの実践的法則に対する純粋な尊敬の感情だけである。従ってまたいっさいの傾向を廃してかかる法則に服従するところの格律である。
イマニュエル・カント「道徳形而上学言論」
2017年5月23日火曜日
戦乱干戈の間にして創建し、太平の余化より出でし盛挙に及ぶの暇あらんや。
かへすがへすも翁は殊に喜ぶ。この道開けなば千百年の後々の医家真術を得て、生民救済の洪益あるべしと、手足舞踏雀躍に堪へざるところなり。翁、幸ひに天寿を長うしてこの学の開けかかりし初めより自ら知りて今の如く隆盛に至りしを見るは、これわが身に備はりし幸ひなりとのみいふべからず。伏して考ふるに、その実は恭く太平の余化より出でしところなり。
世に篤好厚志の人ありとも、いづくんぞ戦乱干戈の間にしてこれを創建し、この盛挙に及ぶの暇あらんや。恐れ多くも、ことし文化十二年乙亥は、二荒の山の大御神、二百とせの御神忌にあたらせ給ふ。この大御神の天下泰平に一統し給ひし御恩沢数ならぬ翁が輩まで加はり被むり奉り、くまぐますみずみまで神徳の日の光照りそへ給ひしおん徳なりと、おそれみかしこみ仰ぎ猶あまりある御事なり。
杉田 玄白「蘭学事始」
2017年5月22日月曜日
寡頭政治の世の中は同罪の死刑に巻き込む様なことを命じる。
まだ国家に民主政治が行われている頃に起こった事である。しかるに寡頭政治の世となったとき、「三十人」はまたもや私を他の四人と共に円堂に召喚してサラミス人レオンをサラミスから、死刑に処せんがために連れて来ることをわれわれに命じた。彼らは、できる限り多くの人を自分達と同罪に巻き込まんとして、他の多くの人々にもしばしば同じ様なことを命じたのである。
その時にもまた私は、言葉によってではなく、実行によってーもしこういういい方があまり粗野に失しないならばー自ら死は寸毫も顧慮しないが、これと反対に、不正と瀆神の行為を避けることは何よりも重視する者であることを証示した。あれほど強大な権力を持っていた政府も、私を威嚇して何らの不正も行わしめることができなかった。そうして私達が円堂を出てから、他の四人はサラミスへおもむいてレオンを連れてきたが、ひとり私は家に帰ってしまったのである。もしある政府がその後に、追いかけて崩壊しなかったら、恐らく私はそのために生命を失っているに違いない。またこの事については多くの人が諸君に証言するであろう。
プラトン「ソクラテスの弁明」
2017年5月20日土曜日
戦争は知覚されることであり、知覚されることを抜きにして戦争は存在しない。
平明な常識の大道を歩んで自然の訓えに支配される無智な人類大衆は、概ね安穏で心を錯乱されていない。この人たちにとっては、馴染みのものはすべて、說明が不可能ではないと思われ、了解に困難でないと思われる。その人たちは、感官が明証を欠くという不平を少しも言わなく、懐疑論者になる危険性は全くない。
しかるに、私たちが感官と本能を去って、一そう優った理知の原理の光に隋うや否や、すなわち事物について推測し、静思し、省察するや否や、以前には遺漏なく了解したように見えた事物について、百千の懐疑が心に湧き起こるのである。感官の偏見と過誤とはあらゆる方面から姿を現わして、私たちに視えてくる。そして、こうした偏見や過誤を理知によって訂正しようと力めながら、私たちは知らず識らずに奇怪な逆説や難問や撞着に陥る。この逆説や難問や撞着は、私たちが思索を進めるにつれて累積し、成長して、ついに、多くの錯綜した迷い路をさまよったすえ、私たちは、自分がちょうど前にいた所にいるのを見出すか、あるいはなお悪いことには、寄る辺ない懐疑のうちに座り込むのである。
ジョージ・バークリ「人知原理論」
2017年5月17日水曜日
死の教えを心から憶念することはなんという喜び!
一切の生は死という本質にある。
永遠の生命を得たならば怠惰の中になり、
欲望は果てしなく湧き起こる。
無益に一生を費やすことなく、
死の教えを心から憶念することはなんという喜び!
あらゆる財力や権力を幻の王国と見る一方で、
慢心や自尊心、快楽を貪る心や虚栄心を起こすことなく、
それらがどれほど無益かを知る智慧をもち、
出離の意志を貫くことは何という喜び!
いかなる名声であっても、それはすべてはあたかもこだまの響き。
さまざまな言葉で賞賛されるようになるまでのこと。
それは悪い種子が捨てられ非難されるようになるまでのこと。
靜寂の中で、マントラの中でそれを悟ることは何という喜び!
分別という悪しき執著が敵となり、さまざまな心が湧き起こる。
この心の本性を、真の法身を知り、
さまざまな事象を識別し、無作の法身を知るとこは何という喜び!
ユトク・ニンマ・ユンテン・グンポ
「ユトク伝ーチベット医学の教えと伝説」
2017年5月14日日曜日
分子集合である有機体制の生命の活動は死により停止される。
有機体制の活動、すなわち内型の力が死によって停止せしめられると、体の分解がこれに続行する。しかし、有機分子は依然として残存し、体の解体と腐敗において釈放され、他の内型の力によって接収されるや否や別の生物体内に移行する。言わば、有機分子なるものは、毫も変化することなく、生物体に栄養と生命とをもたらす永劫不易の性質を保持しつつ、動物体より植物体へ、または植物体より動物体へと移行しうるのである。
ただ、内型の力が無力である合間には、すなわち有機分子が分解した死体の物質内で開放され、しかもそれが動植物の普通の種を構成する有機体によって吸収されるに至らない合間には、無数の自然発生が生起する。つねに活動的である有機分子は腐敗した物質に衝動を与えようと努め、この物質から原質粒子を獲得し、これらの粒子の再結合によって無数の小さい有機体を生成する。
この有機体の或ものは、みみずやきのこなどのごとく相当大きい動植物として出現するが、他のものは顕微鏡によってはじめて観察しうるほど小さく、数はほとんど無限である。これらのすべてのものは自然発生によってのみ存在し、生命ある単純な有機分子と動植物の間の間隙を埋めている。
ルイ・パストゥール「自然発生説の検討」
2017年5月7日日曜日
意志によって世界は全体として別の強弱の世界へと変化する。
意志によって世界は全体として別の世界へと変化するのでなければならない。いわば、世界全体が弱まったり強まったりするのではなければならない。
幸福な世界は不幸な世界とは別ものである。
同様に、死によっても世界は変化せず、終わるのである。
死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。
永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである。
視野のうちに視野の限界は現れないように、生もまた、終わりをもたない。
人間の魂の時間敵な不死性、つまり魂が死後も生き続けること、もちろんそんな保証はまったくない。しかしそれ以上に、たとえそれが保証されたとしても、その想定は期待されている役目をまったく果たさないのである。いったい、私が永遠に行き続けたとして、それで謎が解けるとでもいうのであろうか。その永遠の生もまた、現在の生と何ひとつ変わらず謎に満ちたものではないか。時間と空間のうちにある生の謎の解決は、時間と空間の外にある。ここで解かれるべきものは自然科学の問題ではない。
世界がいかにあるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界のうちには姿は現しはしない。
ルートヴィヒ・ウィトゲンスタイン「論理哲学論考」
2017年5月6日土曜日
武器は敷物に野営し戦死を気にかけず注意を集め誉めて受け継ぐ
子路が強さについておたずねした。先生はいわれた、「南方の強さのことかね、北方の強さのことかね。それともお前の得意とする強さのことかね。心やたかな柔らかさで人びとを教え導き、でたらめな相手にもこちらの節度を守ってしかえしをしたりはしないというのが、南方の強さである。君子の行動はそれによっている。
武器や甲・冑を敷物にして野営をかさね、戦死することも気にかけないというのが、北方の強さである。お前の考える強者はそれによっているのだ。
そこで君子は、もの柔らかく人びとと和合しながら、しかも節度を曲げて人に流されるようなことはない、しっかりとして強いことだ。中正の立場に直立して少しも偏らない、しっかりとして強いことだ。国じゅうに道徳が行われてその身が栄達したときも油断なく平生の節度を変えることはない、しっかりとして強いことだ。国じゅうに道徳が行われないで困窮したときも死ぬまでその心がまえを改めない、しっかりとして強いことだ。」
先生はいわれた、「わかりにくいはっきりしないことをむりにさぐり出したり、風変りな奇怪なことを行ったりすると、人の注意を集めて、後の世にそれを誉めて受け継ぐものも出るだろう。だが、わたしはそういうことはいない。君子は道を規準として行動するものだ。たとえ力及ばず途中で挫折することがあるにしても、わたしには道を守るのをやめることはできない。君子は中庸に依りそってゆくのである。世間に背を向けて隠遁し、だれにも知られずに終わっても悔いることがないというのは、これはただ特別の聖者だけにできることだ。それもわたしの望むことではない。」
「中庸」第2章第4節(朱子) 曾参・子思『大学・中庸』
2017年5月5日金曜日
平和とは戦争とは何か。
平和、それは、一政治社会が享有するー国内では、その成員間によき秩序が支配することによって、国外では、互いによく和合しあって他の諸人民と共生することによって享有するー安寧である。
戦争は、人間の腐敗の果実であり、政治体のけいれん性の重病である。政治体は、平和を享有するときにのみ、健康状態、すなわちその自然状態にある。国家に力をあたえるのは平和である。平和は、市民のあいだに秩序を維持し、法律に必要な力をあたえ、人口増加、農業、商業を促進する。一言でいえば、平和は、すべての社会の目的である幸福を人民に得させる。
戦争は、これに反して、国家の人口を減少させ、国内に無秩序を支配させる。戦争がもたらす放縦にたいしては、法律は沈黙を余儀なくされる。戦争によって、市民の自由と財産は不確実となり、商業は混乱し等閑にふされ、土地は耕されず放棄される。いかなる国家であろうと、もっと目ざましい勝利でも、戦争の犠牲となった多くの成員の損失の埋め合わせをつけることは決してできない。その勝利そのものの国家にもたらす重傷をいやし得るのは、平和のみである。
ダミラヴィル「平和 Paix」
ドゥニ・ディドロ、ジャン・ル・ロン・ダランベール『百科全書』
2017年5月4日木曜日
死との戦いに勝てる従者、復讐の念、愛、名誉、悲しみ、恐怖、あわれみ
哲学者で自然人としてのみ語ったセネカが、「死そのものより、むしろ死に付随するものが人を恐れさせる」と言ったのは至言である。うめき声、ひきつり、青ざめた顔、泣く友人たち、黒の喪服、葬式などが、死を恐ろしいものに見せる。人間の心の中にあるどんな情念も死の恐怖を負かして支配できないほど弱くはないことは注目に値する。それゆえ、人が死との戦いに勝てるほどの多くの従者を引き連れている時、死はそれほど恐ろしい敵ではない。復讐の念は死に打ち勝つ。愛は死を軽んずる。名誉はそれを願う。悲しみはそれに逃げ込む。恐怖はそれを先取りする。それどころか、皇帝オトーが自害すると、あわれに思って、あわれみが感情の中で最もやさしい感情である、多くの人が主君に対する純一な同情から、いわば最も忠誠なお供として殉死した、ということが書かれている。
さらにセネカは気むずかしさと飽きやすさをつけ加える。「君がどんなに長い間、同じことをしてきたかを考えてみたまえ。勇士とか不幸な人とかが死を願うばかりでなく、気むずかしい人も願いかねない」。人間は勇敢でも不幸でもないにもかかわらず、ただ同じことを何度も繰り返すのにうんざりした結果、死を欲するだろう。
フランシス・ベーコン「ベーコン随想集」
2017年5月1日月曜日
個人が家長たる地位にあり武士団の全体を拘束する
武士団が主従関係を根幹としていることから来る当然の結果である。族的結合は共同の祖先をもつという意識によって結合する集団であり、その構成単位は個人ではなくして常に家であるから、族的関係自体は個人にとってはただ家を通じてのみ関係をもつ非選択的な所与である。族的関係は、それを構成する家の続く限り永劫であり個人のそれへの隷属は絶対的である。
これに対して主従関係は、わが国の如く主人と従者における身分的倫理的結合が強く、契約的関係が稀薄であっても、本質的には人格的結合である限り、それは個人対個人の関係でなければならぬ。それが家と家との結合の如き外観を呈するのはそれらの個人が家長たるの地位にあり、したがってその行為は家全体を拘束するからに外ならないと思う。家子郎党が譜代的に主家に臣従する関係は武家社会において望まれたことではあったが、しかし普遍的事実でもなく、また主従関係の特質でもなかったことは、『貞永式目』第十九条の規定から知られる。武士団はその主要な構成分子が同族関係のものであっても、それが個人によって形成され、したがって族的結合の個人に対する関係に比較すれば、より自由な結合の形式である。したがってそれは原則的には同族関係に拘束されることなく、同族関係より広い人間を組織し得たのである。
石母 田正『中性的世界の形成』
登録:
投稿 (Atom)