2017年2月20日月曜日

名誉欲、復讐欲、支配欲は決して完全には満たされない激情である

 ある欲望が、その対象の表象に先立って、発生するという主観的可能性が性癖である。ー欲求能力が未だ知られていないこの対象を占有するように内的に強いられることが本能である。ー主観に対して規則や習慣として役立つ感性的欲望は傾向性と称される。ーある種の選択に対して、それをすべての傾向性の総和と比較しようとする理性を妨げるところの傾向性が激情である。

 激情はきわめて冷静な反省とも結合せられて、したがって情緒の如く無思慮である必要がなく、それ故にまた狂暴でもなければ一時的なものでもなく、むしろ深く腰をすえ、理屈とすら共存しうるものであるから、自由を毀傷することが最も大であり、情緒が酩酊であるとすれば激情が疾病であることは容易に洞察できる。しかもこの疾病に向かってはいかなる治療薬も効を奏せず、したがってあらゆる一時的な精神動揺と情緒よりもはるかに悪質なものである。後者ならば少なくとも改善の決意を起させるが、激情はそのやうなものではなく、改善をすら寄せ付けない惑乱である。

 我々は激情を呼ぶのに欲という語をもってするー名誉欲、復讐欲、支配欲等々ー。したがって激情的な惚れ込みは、相手方が飽くまで拒絶の態度に執着するかぎり激情の一つに数えられる。それは、客体に関してあくまで固執する原理を含むからである。激情はいつでも、傾向性から主観に指令された目的に従って行動しようとする。主観の格率を前提している。故に激情はつねに主観の理性と結合されており、単なる動物に激情を認めえないのは、純粋な理性存在者におけると同様である。名誉欲、復讐欲等々は、決して完全には満たされないものであるから、まさしくそのため姑息薬しかない痼疾として、激情に数えられるのである。

イマヌエル・カント「人間学」