2017年6月21日水曜日

国家は常に同一の状態にとどまるものであり、維持すればよく、増大も有益どころか有害である。

 政府が、その基礎を著しく異にする家政に、どうして類似しうるであろうか。父親は子供達よりも肉体的に強力であるから、彼の助力が子供達に必要であるあいだは、父権は自然によって打ちたてられたものと正当にも見なされる。すべての成員が自然に平等である国家においては、政治権力は、その成立に関するかぎり純粋に恣意的なものであって、契約にもとづいてのみ基礎づけられるに過ぎず、役人は、法によらずしては、他人に命令することができない。子供達にたいする父親の権力は、子供達の特殊利益に基礎をおくものであって、その本性上、生や死の権利にまで及ぶものではない。ところが、主権は、特殊利益に基礎をおくものであって、その本性上、生や死の権利にまで及ぶものではない。ところが主権は、共同利益以外の何らの目的をもたないから、すでに諒解ずみの公共の利益以外の何らの制限をもたない。
 首長は、人民に対して首長が行うことを約束した事柄、すなわち人民がその実行を要求する権利をもつ事柄、についてのみ人民に義務をもつに過ぎない。一般行政は、自らに先行する個人財産を保証するためにのみ樹立される。国家の富は、しばしば非常に誤解されているが、諸個人を平和と富裕のなかに保つための一つの手段でしかない。国家は常に同一の状態にとどまるべく作られたものであり、維持すればよいばかりでなく、いかなる増大も有益どころか有害であることは容易に立証しうるところである。

ジャン・ジャック・ルソー「政治経済論」