2017年6月13日火曜日

自分自身の魂をゆだねるべきか否かを、いろいろと思案を重ねないことだろう。

 自分がいま、魂をどのような危険にさらそうとしているかがわかっているのかね? かりにもしこれが、君が身体を誰かにゆだねて、身体がよくなるか悪くなるかの危険をおかさねばならないというような場合だったとしたら、君はきっと、その人にゆだねるべきか否かを、いろいろと思案を重ねたことだろうし、また、何日も何日も考えながら、友人や身内の者の助言を求めたことだろう。しかるに、君が身体よりも大切にしているこの魂というもの、君のすべての幸不幸はそこにかかり、それが善くなるか、悪くなるかによって左右されるところのもの、そういうものについては、君は父親にも、兄弟にも、またわれわれ仲間の誰ひとりにも、ほかならぬこの君の魂をあの新米のよそ者に、ゆだねるべきか否かを、相談しなかったのかね。

 君の話によると、昨夜このことを耳にするや、夜明けを待たずにとんできて、君自身をあの男にゆだねるべきかどうかということについては、一言も語らず、相談もせず、そして自分の金ばかりか、友達の金まで注ぎこんでもかまわぬつもりになっているのかーまるで何が何でもプロタゴラスにつかなければならないと、もうすっかり決め込んでしまったかのように! そのプロタゴラスという人を、君は知りもしなければ、まだ一度も話をかわしたこともないと言う。ただソフィストと名づけるだけで、ソフィストとはそもそも何ものであるかについては、明らかに君は知らずにいながら、何もわかっていないその人に、君自身をゆだねようとするのか。

プラトン著「プロタゴラスーソフィストたち」