2017年6月20日火曜日

キリストは神に従順のために正義を守りたまうため戦死を招かれた。

 神はキリストに死ぬことを強制せられたのではないのだ、キリストには毫末も罪はなかったのだから。だが、御自身で自発的に死を受けたまうのだ。それは従順によって生命を捨てたまうためではなく、卻って従順のために正義を守りたまうためであった、キリストは極めて強くその正義を守り通されたので、そのため、終に、死を招かれたのだ。
 そのうえ更に、聖父が彼に死ぬことを命じたまうのだと言うこともできるだろう、彼が死を招くに至ったその原因は、聖父が命じたまうことなのだから。そういう訳で、「父の彼に命じたまうところに遵ひて、彼は行った」のであるし、また「父の彼に賜ひたる杯を」彼は飲み、「死に至るまで父に従順なるものとなりたまひ」、且つ「受けたまひし苦によって従順を学びたまうた」のである、即ち、いつまでも従順をまもらなければならないかを学びたまうたのである。
 卻って、それは、キリスト御自身が己を聖父と聖霊とにひとしくしたまうて、死による以外の道で、己が全能の気高さを世に示さうとは為したまわなかったからである。というのは、あの死による以外には、為されることのできなかったことが、死によって為されたのであるから、あの死によって為されたと言っても、不適当ではないであろう。

聖アンセルムス「クール・デウス・ホモ(神は何故に人間となりたまひしか)」