2017年6月25日日曜日

戦争は明らかに人を殺して是認しているが、一体倫理は人を殺すことを是認するのか。

 現在の人間の最も願っているものは『平和』である。平和とは一体何か。真の平和をいうならば武力の戦が終わっても資源戦、経済戦など結局人類の滅亡まで、平和は到来しないであろう。最近の書物にちょいちょい見られるのは戦争の倫理性ということである。戦争の倫理性なんて有り得るものであろうか。人を殺せば当然、死刑になる、それは人を殺したからである。戦争は明らかに人を殺している。その戦争を倫理上是認するなんて、一体倫理は人を殺すことを是認するのか。大乗の立場、大乗の立場と強調される。大乗の立場から戦争をみるなら何故人を殺さぬでもよいようにしないのか。人を殺している間に大乗、小乗の区別はあるものか、すべて悪である。死んだ人間に生を与えるなんて、近代の哲学の現実に対するへつらいにすぎない。哲学はあくまでリードするものであるはずだ。過ぎ去った者に道徳性を与えるなど、文化の恥辱、人間の自己行為の欺瞞だ。 
 戦争、戦争、戦争、それは現在の自分にとってあまりにもつよい宿命的な存在である。世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ、大義のための戦、大義なんて何だ。痴者の寝言にすぎない。宿命と感ずる以上、自分は戦いに出ることは何とも思わない。しかし、それで宿命は解決されるのであろうか。
松岡欽平(東京大学経済学部学生、19455月ビルマにて戦死。22)
日本戦没学生記念会編「きけ わだつみのこえ」